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コップの水が溢れる時


こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
体調を崩しお休みをいただいています。
noteなんて書いてないで休んでなさいヨ、と、天使だか悪魔だかわからないもう1人の自分が問いかけてきます。
でも、今しか書けないような気がするので、書きます。
もう11月も終わってしまう。

(と、このnoteを投稿した翌々日にはお仕事再開しましたので、現在は元気モリモリです)


先週まで、本当に怒涛の毎日を送っていました。
利用者さんがあちらこちらで生きるために力を振り絞っており、それに伴走するべく、まさに走り回っていました。
朝も昼も夜中も訪問看護。
時間が空きそうだなと思った瞬間、臨時対応や会議、スタッフの休みが重なる。
嬉しい新規依頼が入る。
休業日に定期訪問や会議をずらし、自分の休日返上で訪問看護をしていました。
ここ数ヶ月はそんなふうに過ごしてきました。


頭のなかは利用者さんとスタッフのことでいっぱい。
不安なく暮らしを継続できているだろうか、眠れているだろうか、スタッフはlifeを楽しめているだろうか、休息が取れているだろうか…


利用者さんの訪問中はまだ良いのです。
目の前の利用者さんの暮らしといのちに集中しているから。
できることを出し切るつもりで臨みます。
問題は移動中や訪問と訪問の合間。
とにかく頭と心が忙しい。
こんな時、私はどうするか。


事実と解釈、感情を分けて自分を俯瞰する。
(リフレクションの認知の4点セットと方眼ノートの考え方が役に立つ)
コントロールできることとできないことを分けて考える。
(選択理論的な生き方を実践するのだ)
難解に見える課題は小さく分けて考える。
(手帳術、致知などたくさんの本から学んだこと。絡まったように見える糸も、必ずほぐれる)
そして、あとにしても死なないことは、どんどん後回し。
(後回しにして何が悪いの?)
そこから、最善と判断したことを行動に移します。
それでも事実、時間が足りなかった。整理しきれなかった。
自分のための時間を確保するべきでした。

本当は身体からサインが出ていました。
好きな本が読めなくなったり、うまく眠れなかったり。
やたらチョコを食べたりさ…(冬限定のチョコの誘惑は確かにあったけど)
何度も「くーっ!休みたい!」と思いました。
楽しい予定が入ってても、「あー1人になりたい」と思ってました。
今思えば結構重症である。
「え、まま、またお仕事?」
「呼ばれたの?」「なん時に帰ってくるの?」
応援してくれる子供達の声が胸に突き刺さる。
「よろしく頼むね」言いたいことはたくさんあるだろうに、飲み込んでひたすら私の背中を押す夫。
基本真面目で頑張り屋の私なので、こういうことには慣れている。
この痛みは全て、自分自身とlifeの成長のため。
いつだって成長に痛みはつきものなのだということを、私は知っている。
lifeも私も今が踏ん張りどころなんだ、と、常々自分に言い聞かせて、今に至る。
だから、このくらいの痛み、へっちゃらなのである。
これが平常運転になってしまう。

でも、休んでみたらわかった。
もっとちゃんと休むべきだったんだってこと。
そして、体調を考慮して休むしかないとなった時、
「あぁ休めるんだ」と思っただけで少し元気になった。
仮病使ってるわけじゃないのに。
休むことに対してブロックかけてたのは、何よりも私のこころだった。
それがよくわかった瞬間でした。


最近、きみの人生に作戦名を。
という本を読み進めていました。
その本の中で人生を器(コップ)として考えるという例えがありました。



コップには、自分にとって大切な何かが溜まっていくが、それが何かはまだ認識できない。
試行錯誤と思考によって、一定以上溜まると、コップから水が溢れるように、認識が深まり、行動が先鋭化される。
この溢れた時こそ、自分が大切にしてきたものに気づく時であり、他者にも見えるようになる時なのである。

きみの人生に作戦名を。梅田悟司 より一部抜粋

ポイントは、コップの外に溢れるものは、内に溜まっているものでしかないこと。
また、コップの大きさは変えていい。溢れたら、大きな器に移し替えたり、成長に合わせてコップを大きくしていけばいい、とも書いてありました。

私、今、自分のコップの水が溢れているように思います。
皆さんにも見えてしまっているようにも思う。今更ながら。
何が溢れているかって、私が大切にしてきた看護が、です。
lifeで私が大切にしたいと思い行動してきたことが、多くのスタッフに浸透していることを実感できるからです。

利用者さん優先で土日も訪問スケジュールを組む。
訪問にきてほしい!を叶えるために、動く。
最期の日々を過ごす利用者さんに思い出の品をプレゼントする。
訪問の必要性を判断して、自分で直接約束をする。
利用者の真意を代弁して往診医と交渉する。
みんなで最期のお別れの挨拶に行く。
みんながlifeとして、真剣に暮らしといのちと向き合っています。
そこにある喜びや成長。
みんなにとっての働く意義、使命が、lifeの理念と一致していたら。
こんなに嬉しいことはないです。

先日、お悔やみ訪問に行きました。
愛する夫と突然別れて、肩を落とす奥様。
終始緊張した顔をされていて、なかなか休めていない様子を感じました。
玄関先でもなんとなく別れ難かったのですが、次の訪問も迫っていたので、ハグしました。その瞬間、
「ありがとう。ありがとう。本当に。lifeさんは本当にみんないい人ばっかりで。あなたについていけば大丈夫だからって、この前来てくれた2人にも言っておいたからね。しっかりね。辞めないで続けてね」と泣きながら私を抱きしめ返して下さいました。
励ますつもりが、励まされるパターン再び…結局こんなことばかりの私の人生。
多少頼りない私の存在が、失意の中にある奥様の力になれたのなら。
踏ん張ってきて、よかった。
確かに辛いこともある訪問看護。
臨時が重なり眠れない日もある。
涙がちょちょぎれる日もある。
でもその辛さを遥かに凌ぐ喜び、成長を得られるのもまた訪問看護だと思います。
結局泥臭く、地味な積み重ねしかできない私ですが、みんなに見えているものが全てです。
lifeでともに働いてくれているみんな、ありがとう。

中身が溢れたということは、コップを移し替える時。(本を真面目に読み解いている)
器を大きくするべく、またコツコツと溜めていきたいと思います。
しかし、変化を受け入れるには寂しさもあり、怖さもあるのがまた人間。
得意の内省で、しっかり向き合っていきたいと思います。

それと、これからは自分もちゃんと休みを取ることを宣言して、今回のnoteを閉じたいと思います。訪問看護経営の先輩にも「休まなあかん!」と言われました。
今日も頑張るあなたとわたしに幸あれ〜!


ところで

こんなわたしが管理者を務めます訪問看護ステーションlife、看護師さん募集中です!
ともに看護を楽しみましょう!

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