きょうだい児である

 自分が子を成せなかった場合、順当にいけば家族の中で最後まで生きるのは知的障害のある妹だ。
 さて、どうしたものか。
 私は3年ほど前までのメンクリの診察で、当時の主治医に心中をする予定であると告げていた。これは小学生の頃から決めていたことで、今も第1候補に変化はない。
 施設には入れたくない。環境の悪さがその主たる理由。そこで嫌な思いをして生きるなんてことをさせたくない。これはエゴである。
 しかし本当にいい噂を聞かない。実際見学や研修に行ったところはなかなかのアレだった。ちゃんとした施設もあるだろう。けれど私が知っているところは収容所みたいな場所だった。虐待の話もよく聞く。
 とはいえ自分が妹よりも長生きできるとは思えない。なんなら最近は親より早く死にそうな体調加減である。できればそれは避けたい。

 しかし、そういったことを考えているのは家族の中で私だけなのでは? と感じることが多々ある。言わないだけかもしれないが、言わないならば考えていないのと同じだ。
 妹は、困った時にはどこに何を聞けばいいのかさえわからないと思う。何に困っているのかもよくわからないと思う。社会の制度や仕組みをあまりに知らない。
 手帳(正確には妹は療育手帳で5年ごとに更新だが、自分から連絡をして都会の方から地元に検査員的な人を頼まなければいけない)の更新すらできない。というか更新必要なの? 先天性の知的障害で治らないのに? おかしくない?
 そんな状態で孤立させるくらいなら、やはり心中したほうがいいとすら感じる。
 福祉と繋げておけばいいと思うのだが、現状で繋がっていてくれる福祉はない。なぜなら家族が健在だからだ。死んだら勝手に繋がるのだろうか。まさか、そんなはずはない。己から掴みにいかなければ、向こうはこちらを丸無視である。
 実際、孤立した障害者の死亡ニュースだってある。

 さて、どうしたものか。
 そもそも引きこもりの私ですら福祉に繋がっていないので、何から手をつければ、という部分もある。引きこもっていたせいで、完全に逃げそびれた。本当は上京したかった。役者になりたかった。まだ諦めてはいない。
 しかし幼少期より、お前だけが頼りだと呪いの言葉をかけられて育ったため、引きこもっていなくても、逃げることはできなかっただろうと容易に想像がつく。
 それに妹は可愛い。たとえ本人に嫌われていても妹は可愛い。もうアラサーだけど可愛い。見捨てることはできなかったはずだ。

 で、だ。現状困っていることはないが(実際にはあるのだが、福祉に対応できることではない)なんらかの支援に繋がるためのコネは作っておかなければいけない気がしてならない。
 親が要介護になって福祉に繋がる時に一緒に対応してもらうというのが現実的なのかなあ。それまで私が生きてるかわからんなあ。
 病院などに定期的にかかったりしていれば福祉にも繋がりやすそうだが(少なくとも私が通うところは手帳の期限なんかは気にかけてくれるし、相談窓口がある)、通う理由がないのでそれも無理。
 というか病気になったらひとりで病院にかかれないと思う。病院に行こうかという提案をしてくれる誰かがいなければ無理だ。予約だってできないし、そもそもどの病院がいいか、どこにあるか、電話番号すら調べられないはずだ。心配事が増えた。お腹が痛い。

 妹はどうしても知識が少ないために応用が効かせられないので、ひとつひとつを都度都度に説明して促してあげないといけなく、それを他所様が丁寧にしてくれるとは思えない。今後の社会にも期待はできない。これは金でも解決できなそうな気がしている。むしろ金を騙し取られないかと気が気ではない。
 自立型のグループホームが理想なのかな。しかし地元にないんだな。難しいな。
 考えているとお腹が痛くなるな。私の人生はなんなんだろうな。
 頼むよ福祉。頼むよ社会。ありふれた穏やかな人生を送る権利を人間全員にくれよ。

 さて、どうしたものか。

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