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自分を責めちゃうASDへ


自分の世界を壊された痛み


ある時、発達障害の傾向のある人が、自分の勝手な論理で相手がいかに酷い人物で自分はいかに傷つけられたかを言い募り罵倒する場面を目にした事がある。

その時わたしは「どうして貴方はさも自分が被害者であるかのように振る舞い、他者を裁き傷つけるような事が出来るのか」と不思議に思った。

きっとその人は、自他境界(バウンダリー)が緩かったのだ。
世界は自分の為にあり、世界は自分の思い通りになるべきだと思い込んでいる。
子どもの頃はみな多かれ少なかれこのような”全能感”を持って生まれるものだけど、多くの人はそのうちに気づく。
人それぞれに見ている世界が違うのだと。

だが自他境界が弱く他責思考が強い人だと、相手が気に食わなかった時他者を思い通りにする為に攻撃的な振る舞いに出る事がある。

そうつまりその人実は、「ショックを受けている」 のだ。
思い通りになると思っていた世界が、自分自身に牙を剥いてきた事に。

次の瞬間、わたしはハッと息を呑んだ。
わたしはこの人と、おなじだ。

その人は自分が加害者側であるにも関わらず、頭の中では相手に”自分の世界を壊された痛み”を抱いていたんだ。
そして身勝手にもそれを相手にぶつける事で、世界をどうにか変えてこの痛みを少しでも和らげようとしているんだ。

そしてその感覚を、わたしも同じように感じた事がある。

  • ”自分の世界を壊された痛み”
    わたしはずっと、この痛みと共に生きてきた。

  • でもわたしの場合、この痛みの解消方法は彼らと違っている

同じ点と違う点。
今回はここに焦点を当てて記事を書いていきたいと思う。



自分の"世界"しか見えていない人


わたしたちASDはバウンダリー(自他の境界線)が緩い。
それによって他人や社会が許せなくなってイライラしちゃう事ってあるよね、って話をこの前したよね。


この感情が行き過ぎると、わたしたちは時として人を傷つけてしまう事がある。
例えばこのツイート


「被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された「被害」に対して、復讐をはじめる」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P79)

このように他害する人は時として自分の方こそが被害者だと思い込んでいるケースがある。
この「信じていた世界に裏切られた」という身勝手な被害感情が激しい怒りとなって、時として裏切った世界へと牙を向く事がある。

普通の人なら「まあ、拒絶される事もあるよね。それぞれ違う人間だもの」
と割り切るところが、バウンダリーが緩い人だと
「相手は自分と同じように世界を見ている(認識している)に違いない」
と思い込んでいるから、ちょっとの違いに痛みを覚えて
「なんでそんな事を思うんだ!ありえない!」
認知的不協和※を起こして「許せない!」になる。

認知的不協和(Cognitive Dissonance)
認知的不協和
とは、自分の信念や価値観と、周囲の状況や他者の言動が一致しないときに生じる心理的な不快感を指します。この不快感は、自分の認識や信念に対する外部からの情報との矛盾が生じたときに発生し、それによって解決を求める心理的な状態が生じます。

OpenAI 2024

悲しいけどASDの中にはそうやって無自覚に自分は被害者の立場から相手に過度な要求を突きつける形で相手を責めてる人たちもいるよね。
例えば私たちの身近な例で言えば高圧的な父親やヒステリックな母親なんかは、バウンダリーが緩く身内に攻撃的な人としてある人の人生には登場しているかもしれない。

彼らはいわば、他者に対して依存し、過度な期待をかけているとも言える。
それが近しい存在ー自分の子どものようなーであればあるほど、不躾にも自分の理想を投影していくる。

なぜ彼らはそうなったかと言うと、普通の人ならば「人それぞれ見えてる現実は違うよね」って事を理解しているんだけど、ASDには自分の世界しか見えていない人が多いから。
これを他者視点取得※というんだけど、これを柔軟に取り入れるのが苦手な特性がわたしたちASDにはある。

他者視点取得(Perspective Taking)
他者視点取得
は心理学において重要な概念の一つで、これは自分の立場や視点ではなく、他者の立場や視点を理解し、共感する能力を指す。他者視点取得は、他者との良好な関係を築くために不可欠であり、対人関係のコミュニケーション、共感、および理解の向上に役立つ大切な概念

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自分の見えている世界が全てで、他者には他者の世界がある、と言う事を理解できるようになるには実は相当な時間と経験、知識と訓練が必要になる。
ASDはこれを生まれつき持ちにくい為、特別な訓練や指導を受けない限り
「みんなわたしと同じ考え(彼彼女が考える正しさ)を持っているはずなのに、なぜ正しく(自分の思い通りに)動いてくれない?」
という怒りと困惑で何度もつまずく事になる。
これは周りにとってストレスなだけではなく、本人にとっても過大なストレスになるんだろうね。

これの対処法については前回の記事を参考にして。



ここまでが前の記事の補足ね。
ここから先が、今回の記事の要。

バウンダリーが緩いと他者に過度に期待を掛けてしまい、拒否されると「裏切られた」という激しい感情を勝手に抱き、人を責めてしまう人がいる。

それに対して同じくASD当事者のわたしの場合、「世界から拒絶された」強い痛みや深い悲しみを感じる場面は多くなるが、だからといって他者を責める方向へ痛み解消の為の攻撃性が向かう事は滅多にない。

だがその痛みと攻撃性は、別のベクトルへと向かっていたのだ。それは

”自分自身”へ

それは例えば何かが上手くいかなかった、出来なかった時に自分自身に対して感じる
「なんでももっとちゃんと出来ないの?」という自責の念ー自分で自分を責めてしまう感情だ。


攻撃のベクトルが自分へと向かう人



わたしの場合、世界や他人に拒否された時に感じるその激しい痛みは、他人や社会よりも自分自身へと向かい、「そんなのおかしいから自分自身を変えろ」という自分を攻撃する大きな圧力となる。

一見、それは内省的で環境に適応しようとする合理的な行動に見えるがその実、心の中には「そんな自分はおかしいから変えなければいけない、許されない」というとてつもない葛藤が生まれる事になる。

つまり両者は向かうベクトルこそ違えど、認知的不協和が生じた時に「そんなのおかしいから変えろ」と”何かを攻撃している”という点で、他者に攻撃的な前者と、自分に攻撃的な私は何ら変わりはないと言うになる。


[ここまでまとめ]
バウンダリーが緩い人は、認知的不協和を起こすと強い痛みと共に「許せない」という感情に頭が支配され、攻撃的になる。
その矛先が他者に向かう人は被害者仕草で他責し、
自分に向かう人は自罰的になり、
あるいは「相手が悪い」「自分も悪い」と両方起こる事もままある。
両者は怒りを向ける矛先が相手か、自分かの違いでしかなく、その攻撃性が生まれる過程の精神構造は全く同じなのではないか。


内なる批判者


前回の記事で、バウンダリーが緩く他罰的に振る舞ってしまう人の場合、その対応策として「アドラーの課題の分離が有効である」と書いた。
相手が間違っているように感じたとしても、それは相手の課題だから、自分は深く介入したり口出しせず放っておく、というもの。

前回の記事はこちら↓




そして今回は、
「自罰的で自分を責めがちな人は、どうやって”内なる批判者※”を分離したらいいか?」
という話だ。
わたしは幼少期からこの者を”裁判官”と呼んで長く対峙し続けてきた。

「内なる批判者(Inner Critic)」
内なる批判者は、自己評価を低下させ、心の健康や幸福感に悪影響を与える心理的な現象です。内なる批判者は、自己批判的な思考や内向的な自己評価を引き起こす傾向があります。

内なる批判者は、一種の内在的な声や考えの形で表れます。これは、過度に厳しい期待や基準を持ち、自分自身に対して厳しい批判や否定的な自己評価を行う傾向があります。内なる批判者は、過去の失敗や過ちを持ち出して自己を非難し、将来の不安を煽って自己評価を低下させ、うつ病や不安障害などの精神的な問題と関連していることがあります。

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内なる批判者との付き合い方


『このような”内なる批判者”をのさばらせない為に、相手との間にバウンダリーを設けるだけではなく、自分との間にもバウンダリーを設ける必要があるのではないだろうか』
というのが今回の記事の提案。

その為に『自分と内なる批判者との間にもバンダリーを設け自己批判をやめる意識を持つ』事が凄く大切だと思う。

セルフコンパッション

その為の考え方として、いわゆるセルフコンパッション※が有効だと考える。

セルフコンパッション(Self-Compassion)
セルフコンパッションとは、自分自身に対する優しさや理解、思いやりの心を持つことを指します。自分自身に対して厳しい批判や非難をするのではなく、自分を受け入れ、支え、励ますことがセルフコンパッションの基本です。

セルフコンパッションには以下の要素が含まれます:
自己受容: セルフコンパッションは、自分自身を受け入れることから始まります。自分に完璧さや優れた能力を求めるのではなく、自分自身をそのまま受け入れることが重要です。過ちや失敗があっても、それを否定せずに自分を受け入れることが大切です。
共感と理解: セルフコンパッションは、自分の感情や経験に共感し、理解することを含みます。自分自身に対して同情や共感の心を持ち、自分が抱える困難や苦しみを理解しようとすることが重要です。
思いやりの表現: セルフコンパッションは、自分自身に思いやりの心を向けることも含みます。自分自身に対して優しく、支援的な言葉や行動を行い、自分を励まし、癒やし、肯定的に扱うことが大切です。

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つまり、「自分で自分に優しく接する」って事ね。


マインドフルネス


次にこのセルフコンパッションを行う為の方法を、今回は2つ提案します。

一つはマインドフルネス※
もう一つは認知行動療法※ね。

マインドフルネスとは
マインドフルネスは、瞑想や注意の集中を通じて、現在の状況や体験に対して意識的に注意を向けることを指します。これは、過去や未来の出来事に意識が散漫になるのではなく、現在の瞬間に集中することを意味します。マインドフルネスを実践することで、感情や思考、身体感覚に対する自覚を高め、ストレスの軽減や心の平静を促進することができます。
マインドフルネスの実践は、次のような方法で行われます
呼吸に集中する: 呼吸を意識的に観察し、深くゆっくりとした呼吸を取ることで、心を落ち着かせます。呼吸に集中することで、心が安定し、不安やストレスが軽減されることがあります。
身体感覚を観察する: 身体の感覚や感情を観察し、それらがどのように変化するかを意識します。身体の緊張や痛み、リラックスした感覚などに注意を向けることで、自己認識を高めることができます。
外界の刺激に注意を向ける: 外界の刺激や環境に意識を集中し、周囲の音や風景、匂いなどに注意を向けます。外界の刺激に敏感になることで、自分の周りの状況をより鮮明に認識することができます。
思考を観察する: 思考や感情が湧き上がってきたときに、それらを観察し、受け入れることを学びます。思考や感情が過去や未来に関するものであっても、現在の瞬間に注意を戻すよう努めます。

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要は”今”を深く味わい、ありのままに受け入れる、って事。
その為の訓練方法がマインドフルネスね。
本記事では特にこの中の「思考を観察する」が有効だと思い紹介しています。


認知行動療法

また認知行動療法も有効とされる。

認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy, CBT)
認知行動療法
は、心理療法の一種であり、精神的な問題や心理的な苦しみに対処するための効果的なアプローチです。認知行動療法は、問題行動や感情、思考のパターンに焦点を当て、それらが互いにどのように関連し、どのように影響を与えるかを理解することに重点を置いています。

認知行動療法の主な目標は、不健全な思考や行動パターンを変え、健康的な代替パターンを身につけることです。これにより、精神的な苦しみや問題を軽減し、より満足度の高い生活を送ることが可能になります。

認知行動療法にはいくつかの基本的な原則があります
認知の修正(Cognitive Restructuring): 不健全な思考パターンや信念を特定し、それらを客観的に評価し、修正することを目指します。これにより、客観的な現実に基づいたより健康的な思考パターンを育成します。
行動の変化(Behavioral Activation): 不健全な行動パターンを特定し、健康的な行動パターンに置き換えることを目指します。行動の変化を通じて、感情や心理的な状態を改善し、問題解決能力を向上させます。
問題解決技術(Problem-Solving Skills): 問題解決技術を使用して、問題解決能力を向上させます。これにより、課題やストレスによる苦しみを軽減し、より効果的な対処方法を見つけることができます。

認知行動療法は、うつ病、不安障害、摂食障害、パニック障害など、さまざまな精神的な問題に対して効果的な治療法として広く使用されています。

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これは自分の思考をモニタリングして自分の認知の歪みに気づき修正する為の方法。自意識から少し遠く離れた視点をもって評価、修正する点がおすすめで紹介しました。


自分との間にもバウンダリーを設ける

とここまで書いてきたけど要は「自分の思考から少し距離をとって、ありのままを受け入れ、今に集中しましょう」ってことだと思うんだよね。あんまり真面目に深く考え込み過ぎないでさ。

他者との間にバウンダリーを設ける必要性は何度も唱えてきたけど、自分との間にもバウンダリーは必要だと思うんだ。
自分に近づき過ぎず、期待し過ぎず、大切な人として大切に扱う意識。
その為の方法としてわたしが実践しているのは

「なんでも真面目に捉え過ぎてしまう」っていうのは 「全ての問題を自分事として間に受けてしまう」と言う事で それだとしんどくなっちゃうから何が起こっても 「面白くなってきたぞ」 くらいの視聴者目線で自分の人生眺めた方が もっと消耗せずに人生楽しめるようになるんじゃない?


何が起こっても視聴者目線で自分の人生を面白がること。
その為に自分の人生を実況中継してみると、自意識を俯瞰して見る事が出来て気持ちも落ち着くから、おすすめ。



まとめ

"世界"は絶対だ。
自分が見て、触れて、関わるこの世界は"絶対"。
わたしたちはしばしそんな感覚に陥る事がある。

だから、"世界"に拒絶されると、激しく動揺する。
世界=自分自身だから、自分が全否定されたような気持ちになるんだ。

その動揺や絶望の矛先が相手に向かうか、自分に向かうか
バウンダリーが緩く世界に過度な期待と絶望しがちなわたしたちは、
相手を責めたり/自分を責めたり、ベクトルが違うだけで、何かを攻撃せずにはいられないという脅迫観念を抱えている点では一緒。


"世界"は、たった一つなんかじゃない。
人の数ほど"世界"はあるのに、バウンダリーが緩いとそれが理解できない。
バウンダリーが緩いと[他者や自意識]と[自分]を同一視してしまい、そこに齟齬が生まれると認知的不協和から強い不快感や疎外感を覚える事になる。
その不快を解消する為に、人を変えようとしたり、自分を変えようとしたりして他責したり自責したりしてしまうけれど、
実はそのままでいい。変える必要などなかったんだ。

ただ、"距離"を置く事。

他人にも自分にも期待しない
あるべき姿を要求しない
変えようとしない
責めない
少し離れて遠くからそれを眺めながら、そのままを受け入れる

その結果得られるのがセルフコンパッション(自分に対する思いやり)に近い概念ーー手放すと言う事。

その為にマインドフルネスや認知行動療法がおすすめだけど、わたしは自分の人生の視聴者として自分の人生を実況中継する事で、自意識から距離をとって正気を保っている。

何が起ころうとも「面白くなってきたぞ」くらいのスタンスで
人生で消耗してしまわない為に。疲れてしまわない為に

今日から自分自身にもバウンダリーを設けよう。



最後まで読んでくれてありがとう♡₍₍ ◝(・ω・)◟ ⁾⁾♡
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またXもやってるから、リツイートや記事の感想コメント貰えると嬉しいです。

それじゃあまたね。

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