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ASDの苦しみの原因は「バウンダリーのゆるさ」にある?




1.自閉スペクトラム症の特徴は他者との距離感がバグってる事


わたしは自閉スペクトラム症(ASD)を持つ発達障害当事者です。
そんな自分や周りのASDの思考や言動振り返ってみると、
なんか「他者との距離感バグってる…」
と思う場面が凄く多い。


[自閉スペクトラム症(ASD)とは]
人とのコミュニケーションが苦手、物事に強いこだわりがあるといった特徴をもつ発達障害の一つ。症状は様々で主な特徴は「社会性の障害(人との関わり方が独特)」「コミュニケーションの障害」「社会的想像力の欠如」「感覚の過敏さ」などが挙げられる。
[よくわかる女性のアスペルガー症候群/司馬理英子著より抜粋]

ASDの特徴の一つには「社会性の障害(人との関わり方が独特)」ってのがあるんだけど、この”独特”の部分ってもしかして「他者との距離感がバグってる」って事なんじゃないかな?
(※専門家ではない当事者の感想です)

例えばわたしは積極奇異型ASD(いくつか類型がある内の、他者に積極的に話しかけるが自己中で一方的な関係を結びがちなASDの型)なんだけど、よく他人に近づきすぎてトラブルになる事結構ある。
まだそれほど距離が縮まっていないのに急に馴れ馴れしくしたり
良かれと思って余計な一言やアドバイスを言ってしまったり


一方受動型ASD(自分から人に関わりを持ったり自分の気持ちや考えを表すのが苦手。従順で人に従う傾向があるタイプ)の友達は、仲良くなりたい人とどう近づけばいいのか分からずあたふたしたり、かと思えば(私嫌われてる…?)という思い込みから自分から関係切っちゃったり


こんな感じで私たちASDは他人と”絶妙な距離感”で付き合うのが凄い苦手なんだけど、これって私たちが生まれつき他人との距離の取り方が分からない特性を抱えているからって事なんじゃないのかな?
わたしたちは時に他人に対して近づきすぎたり___遠すぎたり__
つまりASDは定型発達の人たちとは全く異なる距離感を持つように思う。

まとめ
ASDは生まれつき他者との距離感がバグりがち



2.ASDはバウンダリーがゆるい

自分と他者とのバウンダリー 

ASDが他者との距離感がバグりがちな理由は、わたし達の”バウンダリーが生まれつきゆるい”せいだと思う。

バウンダリーとは、”自分と他者とを分け隔てる境界線”の事で、ここがゆるいと自分が他人を受け入れ過ぎてしんどくなっちゃうし、逆に過度に他人に自分を受け入れる事を要求してトラブルの元になったりもする。そうすると
「貴方の為にわたしこんっなに自分を犠牲にして尽くしてるの!」

「こんなに尽くしてるのにどうして貴方はもっとわたしの事解ってくれないの!?」
という一方的な自己献身押し付け事案が発生してしまう。

通常、精神が健康な人なら
「わたしが貴方に優しくしたのは、自分がそうしたかったから」
って思えるし
「わたしは貴方のことを解りたいし、わたしのことも解って欲しいけど、解り合えない事も含めて受け入れ、一緒にいましょう」
と自分の中で完結し、過度に相手に自分の考える「あるべき姿」を期待したり要求したりはしないのよ。

でもバウンダリーのゆるい人は、それが理解できない……もっと言えば「許せない」。
相手に近づけば近づくほど、相手と自分との境界線は徐々に溶け合い一つになるような感覚があるから、”わたしが良いと思う事”を相手にも過度に求めてしまいがち。

まとめ
図にするとこんな感じ
精神が健康な人       自分ー|ー相手
バウンダリーがゆるい人      自分-相手


自分と社会とのバウンダリー

そしてこの自他の境界線がゆるーい感じ、我々ASDはこれを他者に対してだけではなく”社会”に対しても感じているように思う。

そしてここからが本題、筆者はこの”社会や他者とのバウンダリーがゆるい”という特性が、ASDの生きづらさの根本原因だと考えている。

その理由について今からちょっと解説するからみんな聞いて。

社会とのバウンダリーがゆるいと、以下の「二つの感覚」に常に頭が支配されることになる。
一つは「自分は社会が許せない」という感覚
そしてもう一つは「自分は社会から許されていない」という感覚ね。

まずバウンダリーのゆるいASDにとって社会とは、ニアリーイコールで自分なのよ。
その為自分の思うところの正義が執行されていない社会を自分ごとのように感じて許せなく思ってしまう。

社会≒自分
「自分ごとのように不完全な社会に憤る」

またASDは社会とのバウンダリーがゆるい為、社会を自分の中に内面化し易く、結果社会から常に監視・指導されているような感覚に陥りやすい。
それにも関わらず生得的特性である「対人スキルの欠如」によって社会から爪弾きにされる事が多いため
「”社会≒自分”であるはずのこの私が!社会から排除されているだと……?社会の要請(期待)に応えられていない……だと!?」
という疎外感を常に感じ、それこそ身を切られるような苦しみと焦燥感を味わい続けるのだ。(つら…

自分≒社会
「社会の要請に応えられていない不完全な自分は許されていない」

そしてさらにこのような「わたしはこの社会を許せないと感じているし、自分も社会から許されていない」という思考と、
ASDの特性としてよく見られる、はっきり白黒つけたがる「あるべき思考」が合わさると

「社会は本来こうあるべき」→「そうではない社会が許せない」→「私が社会をより良く変えていかなければいけない」→「そうしてやっと、私は社会を受け入れる事が出来る」

という思考回路が成立する事になる。
また同時に自分に対しては

「わたし自身も社会の要請に従って不完全な自分を変えなければ社会からいつまでも受け入れて貰えない」
というプレッシャーを常に受け続けることになる。

まとめ
「わたしはこの社会を許せなく感じているし、自分も社会から許されていない」
×
「白黒思考のあるべき論」
=わたしも社会もありのままでは不完全で許せないし受け入れられない


3.本来”こうあるべき”あの人へのイラ立ち

ここで「社会」という主語がでか過ぎてピンとこない人は、社会を「身近なあの人」という言葉に置き換え考えてみて欲しい。すると

「あの人は本来こうあるべき」→「そうではない不完全なあの人が許せない」→「私があの人をより良く変えていかなければいけない」→「そうしてやっと、私はあの人を受け入れられる」

という思考回路が成り立つ。
このような思考回路を持つ人が周囲にどのような態度を取るかというと

「あの人のこんな間違った行為は許されない」
「あの人はもっとこうあるべき」
「あの人の為にせっかくしてやったのに何も解ってくれない」

「だから私が指摘してあの人を矯正してあげなければならない」

というおせっかいちゃんになる。もしくは

「あの人の為にこんなに自分を犠牲にして頑張っている健気で可哀想な私……
でもいつかあの人もそんな私に気づいて、自分から変わってくれるに違いない」

という自己犠牲察してちゃんになる。

さらにさらにいうとこの思考手順は自分に対してもベクトルが向かってて

「わたしは本来こうあるべき」→「そうではない不完全なわたしは許されない」→「あの人の言うようにわたしを変えていかなければならない」→「そうしてやっと、あの人はわたしの事を受け入れてくれる」

となり、こうゆう思考回路の人がDV・モラハラの被害者になりやすい。

これがまさしく、バウンダリーがゆるい為に周囲に過度な要求を突きつけたり、周囲の期待に答えようと疲弊してしまう人の正体だ。
※全員が全員そうではありませんので

まとめ
「あの人を変えないとわたしはあの人を受け入れられない」
「わたしが変わらないとわたしはあの人に受け入れて貰えない」
はバウンダリーの越境行為




4.生きにくさを超えるためのスリーステップ☆

みなさんご存知、こうゆう人は本当に生きにくい。
なぜならどれだけ世界をよくしようと奮闘しても、当然ながら社会も相手も自分の思い通りに変わってはくれないからね。

「なんでなんでわたしこんなに正しいのに頑張ってるのになんでみんな分かってくれないのー!!??」
と一人絶叫してみても、誰も振り向いてはくれない。悲しい……

じゃあこうゆう人はどうすればいいか。
最後に私なりの「やってよかった☆これで解決スリーステップ🎵」でも書いてみようと思う。

これで解決☆スリーステップ🎵
1.現実を直視する
2.諦める
3.尊重する

1.現実を直視する

まずは悲しいけれど現実をみましょう。
「自分は社会を自分の思い通りに変えようと試みて何度も失敗し、傷ついている」という事実、そして
「自分は相手に期待し、自分の思い通りに変えようと何度も試みて相手や相手との関係性を何度も傷つけている」という事実をさぁ、直視してください。
社会も、相手も変わりません。
変えられるのは、自分自身だけ。

まとめ
社会も相手もあなたには変えられないって気づいて

ちゅぎ

2.諦める


「社会や他人は変えられない」と分かったら、今度は諦めちゃってください。潔く。これが「嫌われる勇気」でお馴染みのアドラー先生による「課題の分離」です。

課題の分離とは
「他人の課題に介入しないこと」そして「自分の課題に他人を介入させないこと」です。
つまり「あれこれ口出ししないし、あれこれ口出しさせない」という事です。
人はみんな自分の意思で自由に生きる権利と尊厳を持っているので、そこに介入したりされたりするのは余計なお世話です。過干渉です。迷惑。やめましょう。

そして誰かから「貴方はわたしの思う通りに変わって欲しい、変わるべきだ」という期待や要請があったとしても、頑張って応えなくてもいいです。なぜなら変わるか変わらないかを決めるのはいつも、貴方自身だからです。

まとめ
他人の課題に介入しない
自分の課題に介入させない

ちゅぎ

3.境界線をひく

社会も相手もあなたには変えられない
他人の課題に介入しない
自分の課題に介入させない
そう決めたみなさん、おめでとうございます。
これで他人や世界と密着した世界から、少しは離れる事が出来ましたね。
べったりとくっついた密着関係から切り離された今、最後の仕上げに必要なのはこれ。

「世界と、自分との間に境界線をひく」

こと。つまり言い換えるとこれは

「自分と、相手と、世界を尊重する」

ということです。

そしてこれは

「自分と、相手と、世界を信じる」

と言い換えることも出来るかもしれません。

つまりどうゆう事かというと、
自分も相手も世界も不完全だけどそのままでオッケー。
互いの尊厳を大切にしながらご縁があれば一緒にいましょう。
すれ違い離れる時がくれば、どうぞお元気で。

というかなり肩の力が抜けたフラットな関係性になります。

この感覚は上記ツーステップを地道にこなした先に見えてくる世界であり、逆に言えば課題の分離なしでは辿り着けない心境かもしれないな。

まとめ
これで解決☆スリーステップ
🎵
1.現実を直視し、変えられるのは自分だけと悟る
2.諦める為にアドラーの課題の分離を行う
3境界線を引くとは、自分と他者と世界を尊重し信じること




5.まとめ

『ASDの苦しみの原因は「バウンダリーのゆるさ」にある』という仮説について論じてきました。
ASDの特徴の一つにある「社会性の障害(人との関わり方が独特)」の”独特”の部分って、「他者との距離感がバグってる」って事を指し示すんじゃない?
ASDが他者との距離感がバグりがちな原因は、私たちは生まれながらの特性としてバウンダリーがゆるい事が理由。
ゆるいのは[自分と他者]とのバウンダリーだけではなく実は、[自分と社会]とのバウンダリーもゆるい。それこそがASDの生きづらさの原因なんじゃない?
バウンダリーがゆるいと「わたしはこの社会を許せなく感じているし、自分も社会から許されていない」ような感覚に陥る。
その感覚は身近な相手に対しても向けられ
「あの人を変えないとわたしはあの人を受け入れられない」
「わたしが変わらないとわたしはあの人に受け入れて貰えない」
というバウンダリーの越境感情にまで発展する。
このままでは生きにくいのでここで、生きにくさを超えるための「これで解決
⭐︎スリーステップ🎵」をご提案
1.現実を直視し、変えられるのは自分だけと悟る
2.諦める為にアドラーの課題の分離を行う
3境界線を引く__つまり自分と他者と世界を尊重し信じること



以上です。
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じゃあまたね🖐️

注釈:この記事は自閉スペクトラム症当事者の個人的経験や周囲の意見等を元に考察されたもので専門家によるものではありません。過度な期待や精神医学的な正確さを求めませんようよろしくお願いします。
また自閉スペクトラム症の特性の現れ方は三者三様の為、必ずしも全員に当てはまる特性ではない事もご理解のほどよろしくお願いします。


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