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「死」へのプロセスを解明する病理解剖ってとても興味深いです。

おはようございます( ¨̮ )

朝の空気を感じるのは、本当に素晴らしい 佳奈 です( ¨̮ )

今日は どんっ!!!

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めちゃくちゃこうゆうの好き!!!!!

「人はどのようにして死に至るのか」

日本の病理解剖件数は、先進国の中ではなかなかの低さなんだそうです。

(病理解剖は、不信な死、殺人事件とかじゃない、病死の解剖のことです。)

病理解剖が少ないと何が問題なのか?

死因が特定できない=死因不明

え?でも、おじいちゃん 老衰って言われました。

老衰にも色々あります。

死亡診断書に書かれる「死因」ですが

「老衰による誤嚥性肺炎」の場合の「死因」は「老衰」

単純に「誤嚥性肺炎」だけを書くと「死因」は「誤嚥性肺炎」

医師の書き方で、死因は変わります。

老衰による心不全とか、、、、

老衰の中にも、さまざまな「直接的な」原因が考えられますが

ひとくくりにして「老衰」としたり、肺炎と心不全を併発していたら、どちらが直接的な死因なのか、特定することは困難なのです。

病院や施設に勤めていた私の肌感覚としては、担当医師の考え方や経験や専門性によって死因の偏りがあるような感じです。

(この先生、90歳以上の方には、ほとんど老衰による心不全てしてるな・・・みたいな感じですww)

死へのプロセスを解明する。

病理解剖の件数が増えてくれば、老衰による「何が」直接的な原因だったのか 特定につながる可能性が広がると思います。

何を防ぐことができれば心身に負担が少なくなるのか

どんな治療が必要なのか否か 

治療の必要性の判断にもなります。

さらに 死期が近づいた場合の 本人だけじゃなく、家族や関係者の 心身への苦痛の軽減 につながると 私は思います。

高齢になると治療の必要性の判断に迷う場面に遭遇します。

「無理やり」な延命治療だと言われることもありますが、それが本当にそうなのかは、誰にもわかりませんし、それを判断する材料が、現在の高齢者医療では曖昧なんだと思います。

だから、終わりが見えない介護看護になってしまい、それは家族や関係者たちの心身の疲弊につながっていることも 事実だと思います。

その終着駅が見える治療を発展させる可能性があるのが、病理解剖だと思います。

(死という終着駅に向かっている途中の、どの段階なのかがわかれば、過剰な治療は避けられるし、まだ踏ん張れるんだ!というのもわかる)

私は仕事がら80、90歳、100歳の方々と話をする機会が多いです。

彼ら彼女たちは、生き続けることの悲痛を時々吐露します。

それは、「生」への諦めではなく、強く生き抜いてきた「生」を、丁度良いところで締めくくりたいという願いです。

そのお気持ちを聞くたびに「死ねない社会」という言葉が脳裏を掠めます。

これからの医学の進歩の方向性が

命を生きながらえさせる事だけに留まらず

死に方=生を自分の満足のいく形で全うする方向にも舵を切ってもらえたらなと思います。


今日もお読みいただきありがとうございます( ¨̮ )

また遊びに来てください( ¨̮ )

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