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最期はお家で過ごしたい。父の愛情と母の大切なもの〜母と私の365日⑤

一度は病院で最期までと決めたけれど、
近くの病院に転院してからの母は思った以上に、元氣だった。

その姿を見た医師が、
1ヶ月や2ヶ月病院で過ごすのはしんどいだろうと、
在宅看護を勧めてくれた。

何かあればウチ(病院)にくればいい。
歩けるなら家で自由に暮らした方がいいんじゃない。

医師の言葉はとても軽かったけれど、
その言葉に勇氣をもらって、
「私が全面的にサポートするから、帰ろ」
そう母に告げ、母は、
「わがまま言っていいのかな?帰れるなら、帰りたい。」

よし!!決まり!!

そこから話は急ピッチで勧められ、
沢山の方々にご尽力頂き、
母は、12月28日、無事に家に帰って来た。

マイホーム。マイスイート(?)ホーム。

私たち家族の40年の思い出が詰まった家に、母は、帰って来た。

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母が帰ってくるとなって、まず初めにやらなければならなかった事は、
部屋の片付けだった。

介護用ベッドを置くためには、今使っているベッドを捨てたり、
在宅医の先生、訪問看護師さんが治療しやすい環境を作らねばと、
不用品の片付けをした。

片付けをしている時、他人からしたら、どうでもいいような物でも、
母にとっては「思い」が沢山詰まってて、
その物が、母そのものなんだなと、
だから、母は捨てずに物をとっておいたんだなと
気付かされたりした。

物には思いが詰まる。のる。
それを捨てることは、自分の思いを捨てる事と同じ事なのかもしれない。
そう思うと、母のいない間に、母のものを捨てることが、
ちょっと心苦しくも感じた。

でも、私たちは変わっていく。

これから、どうなるかはわからないけれど、
母も、私も、父も、兄も、家族の形が変わっていく。

私も、実家にあった私のもの、思い出をいくつか捨てた。

私たちは、前に進んでいく。

片付けが終わり、ベッドの搬入も決定。
あとは、母を待つのみ。
その日に向かい、家族の心が近づいた氣がした。

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12月28日。母、退院。
年末年始のお休みと同時に母の在宅看護が始まった。

在宅医の先生も、訪問の看護師さんも、親身になってくれて、
本当に心強い。
父の気持ちが落ち着いていられたのも、先生たちのおかげだ。

年末年始は、私も実家に寝泊まりして、母を看病した。

母は自力で歩けたし、トイレも自分で行けた。

病状よりも、本人の精神力なのか、なんなのか、
母は、歩き続けた。
自分の足で、腕で、頭で、
全身を、使い続けた。

そして、年末の特番も一緒にこたつで観たりしたw w

のんびりしてた。

いや、してない!!

母は、利尿剤の影響か、トイレに何回も起きるのだ。
夜中になると、特に頻繁に。

歩いているとはいえ、ふらふらとして、だいぶ危なっかしい。
肝性脳症の影響で、頭もぼんやりとしてたりして。

父と私は、ベッドのガタンッという音に敏感に反応した。

ガタンッ。

見守る。

ガタンっ。

大丈夫よ。

ガタンっ。ガタンっ。

体重の軽くなった母の足音はしないのだ。
だから、ガタンっの音に気づかなければ、母は一人、トイレに行っていたり、冷蔵庫を開けて、水を飲もうとしたり。

もうっ!!

年が明けて3日、4日くらいの頃、
母はトイレの場所もわからない時があった。
ポータブルトイレを使ってねと言っても、トイレに行こうとする。

ガタンっの音で、私か父が付き添ってトイレに行かせていた。


ある晩、父も私も、疲れからか、深く眠ってしまって、
ガタンっに気が付かなかった時があった。

カタっ。
いつもと違う音。でも、ドアが開く音に目が覚めた父。
ベッドにいるはずの母がいない事に気づき、
慌てた父は、トイレにダッシュ!!

「あれ?あれ?いない?お母さん?!どこだ?!どこだ?!」
母を探す父(家はそんなに広くないw)
「お父さん、お母さんは台所にいるよ」(私)
「水が欲しくて」(母)
「なんだよぉ」(父)

こんなに狭い家の中で、母が迷子になるとはw w

必死に母を探す父の姿を見て、
私はなんだか面白いのと、
父へのどうしようもない母への愛情を感じて、
今でも思い出すと笑えて、微笑ましくなってしまう。

この夫婦、とても面白いw w
大好きだなと改めて思う。


一日中、氣を張り詰めていた生活。
私も実家と自分の家を往復。
ちょっと大変だなぁ。と思う瞬間もあった。
父も、寝る暇もなく、精神的にも、体力的にもちょっとしんどいかもなって時があった。

でも、父は強かった。
母を守ることが、自分の使命だと、
弱音は吐くけれど、諦めなかった。
母のそばを離れようとはしなかった。

母が大丈夫なように。
母を引き止める様に。

一日、一日、日を追うごとに、
どこか遠くに行ってしまう母を、
ここに引き留めようと、
「まだだ、まだだぞ、まだ俺たちの側にいるんだぞ」

気を抜いてしまったら、母が遠くに行ってしまう様な気がして、
父は、母を見張り続けてたのかもしれない。
私もそうだ。

母の歩みが、遠くに行ってしまわない様に。
母の歩く道が、遠くへ続てしまわない様に。
道を塞げ。道を。
遠くになんて行かせるか。
遠くになんて行かないでよ。

父の心の叫びが、家の中を包み込む。
温かく、強い叫びが、母を包み込んでいた。

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お母さんが家に帰ってきて、
私たち家族の心が再び同じ方を向いた気がしたんだ。

お母さんが家に帰りたいと言ったのは、
私たち家族が、この家に揃っているのを見たかったからじゃないのかな。

お母さんがいつも見ていた風景。

あなたの夫と、大切な二人の子。
4人の家族だね。
あなたが見守り続けたこの家族を、もう一度見たかったのかな。

私の(母の)幸せがここにあるのだと、
もう一度、確かめたかったのかな。

お母さん、あなたの創った幸せは、ちゃんとこの家にあったね。

あなたの大切なものを、ちゃんと感じられたよ。
ありがとね。

・・・・

母は、年明け、1月10日まで、自宅で過ごした。


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