見出し画像

年齢という呪い

新卒で入社した会社では「22?!若いねー!」とチヤホヤされ、若い上に仕事もできてお金も稼いでいる自分ではかなりイケてるのでは?と思っていました。

それからアレヨアレヨと時間は過ぎ、気付いたら結婚適齢期と言われる年齢に。

そして27歳でプライベートも崩壊した中仕事を突如辞め無職となり、人生ゲームの振り出しに戻る。周りの空気からも言葉には表せない焦りを感じたし、また全部ゼロからのスタートかと思うと途方にくれました。

「女性が最もモテる黄金年齢24〜26歳。この年齢を過ぎたら、値崩れを起こす」

最近こんなツイートを見ました。当時の私はいわゆる黄金年齢を仕事と飲み会に費やし、気付いた頃には値崩れを起こしていたようですww

でもある日ふと思ったのです。

私の人生のピークは本当に20代なのか?20代のうちにその波に乗りきれないと、あとはただただ下降して私の人生はしょうもなく終わるのか?

そんなのは嫌だ!!!と反骨精神が湧きました。まだまだやりたいことがある、まだまだ人生楽しみたい、私はまだまだ終わりじゃない!と。

海外移住という強引な手段をとったことで、私を縛り付けていた「何歳までに〜」の既定路線は全て吹き去りました。それとともに、年齢という呪縛からも解放されました。

アメリカ人は、相手とかなり距離が近くなる、もしくは聞く必要にかられるまで、年齢に関する質問はしません。日本語で言う敬語に匹敵するものも英語にはあまりないので、年齢による相手と自分との位置関係を測る必要がないのもその理由の一つかと。

ハワイでも大学に通いましたが、おそらく10代〜20代前半のローカルの子たちも、日本からやってきた、お菓子作りが大好きで、声が大きくて明るい [Kana] として扱ってくれました。

若い子達の中で、年齢を気まずく伝えることもなければ、自分をおばさんと自虐する必要も全くなかったのです。

ミリタリーを引退して50歳でまた大学に入り直した良き友のRobが自分自身の年齢のことを I have more experience. と表現していました。自分はもうおっさんで…と卑下するのではなく。この表現が私はすごく大好きで。日本語に直すと年齢を「重ねる」がしっくりとくるような気がします。

自分のパーソナリティや得意なことで繋がった、年代を超えるたくさんの友達たちが私に確信させました。

年齢という単なる数字をどこかの誰かが決めた物差しを使って区切り、終わりに向けた悲しい人生のカウントダウンをする必要はない。年齢をひとつひとつ重ね、その経験の上に成り立つ今この瞬間が人生で最も美しい。

まはろ〜!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?