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ああ素晴らしき無駄な時間

私がはじめて物語らしきものを完成させたのは、広告用紙の裏にひたすら描き続けていた漫画でした。

物語らしきというのも、展開も構成もめちゃくちゃで、とてもではないがお話として読めたものではなかったからです。行き当たりばったりの思いつきでストーリーを描きすすめた、完全な自己満足漫画でした。

いま思い出しても自分で驚くのは、それを小学校高学年から高校生の頃まで描いていたことです。毎日ではないが、描いてはやめ、また描き始めてはやめてを繰り返し、なんだかんだで完結させました。広告用紙も積もり積もって八十枚は越えたので、それが初の長編と言えるのかも。

そして誰にも見せませんでした。
誰にも見られず評価もされず、なぜ続けて描くことができたのか。それは、ただ純粋に描くのを楽しんでいたからです。自分が好きなシチュエーションをつめこんで、自分で読みかえして楽しんでいました。

とりあえずハチャメチャでも、漫画もどきのらくがきでも、ひとつの作品を完成させたことは私にひそかな自信を与えてくれた……という美しい思い出になっているかといえば、否です。あれはデトックスというのか、湧いてくるなにかを吐き出したものであり、美しくはないが、恥ずかしいような懐かしいような思い出です。
描いていた当時の自分でも、こんなに時間を費やして何をしてるんだとは思いました。気づいたら半日ずっと描いていたりして、今日は漫画(?)しか描いてなかった……これでいいのか? と。

こんなことして、なにになるのだ?
そう思う時間でも、当の本人が楽しんで過ごしたのならば、無駄ではあっても無意味ではなかったのではないか。自分ひとりの世界に没頭できた時間が、あの頃の自分の内面を癒してくれた気もするのです。

なんの利益も生みださない、究極に無駄で、あんなに贅沢な時間は、もしかしたら二度とないかもしれません。

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