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ピンクのスパンコール

ピンク色のスパンコール…、なんて夢のような言葉の響きでしょう。
けれどわたしには、ほろ苦い、幼い日の思い出があるのです。

うすももいろのジョーゼット風の布地をたっぷり使った、フリルいっぱいのネグリジェ。それはかつて、母がわたしと妹に作ってくれたものでした。
母はわたしにワンピースのネグリジェを、幼い妹にはお揃いの生地でパジャマを、得意の裁縫でこしらえてくれました。
胸元にはこまかいピンタックの上に、ピンク色のスパンコールがふんだんにちりばめられており、光にきらきらと反射して、お姫さまのドレスのようでした。
けれどわたしはそのスパンコールを目にしたときに、息をのみました。
それはわたしがお店からだまってとってきてしまった、あのスパンコールだったからです。

母のおつかいに付き合って入った手芸屋さんで、わたしはピンクのスパンコールに目を奪われました。こんな魔法のかけらみたいなきらきらしたものを目にするのは初めてだったのです。わたしの胸はどきどきと高鳴り、どうしてもどうしても欲しくてたまらなくなりました。これを手に入れたなら、ひとりの時間に、そうっと手のひらにのせて、お日さまの光に当てながらいつまでもながめていたい。そんな事ができたならなんて嬉しいことだろう。これがあれば辛いことも頑張れる、そう思ったのです。

でも、母に、「欲しいから買って」とは言えませんでした。ロマンを理解しない現実的な母に、ダメよ、何に使うの、と、無下に断られるのがわかっていたからです。わたしはその言葉に、胸がつぶれてぐしゃぐしゃになってしまうのが怖かったのでした。それほどまでに、欲しくてたまらなかったのです。お店で、そして小さな妹や弟の前で、駄々を捏ねて泣くなんてこともできませんでした。

そう思った次の瞬間、わたしはぶらさがっている小さなスパンコールのつつみに手をのばし、そうっとポケットにしまっていました。心臓はどきどきし、顔は青ざめ、口はからからになりました。自分のしたことに怯え、いつ、お店の人に嗜められるかと、足がふるえました。けれど、もう元に戻すことは、それ以上に恐ろしくてできませんでした。
頭が真っ白になりながらも、誰にも咎められることなく家に戻り、わたしは自分の犯した罪に恐れおののきました。
ポケットにはたしかにスパンコールが入っていました。夢や想像ではなく、たしかにわたしがポケットにいれたのだから当然です。

あんなに手に入れたかった魔法のかけらは、わたしの手の中でなんのきらめきも発しませんでした。あんなに神々しくキラキラとして見えたスパンコールは、今やわたしの手の中でどんどんとその重さを増してゆき、いまさら母に懺悔することもできず、わたしはひたすら自分のしでかしたことに後悔するばかりでした。
なぜこんなことをしてしまったのかと自分をひとり責め続けました。
そして悩みあぐねたわたしは、それを隠すことにしました。

寝室にしている和室の、滅多に開けない引き出しー片付けの苦手な母が、ありとあらゆる雑多なものをごちゃごちゃと入れているーの奥深くに、その小さなつつみをねじ込みました。
ああ、これでもう大丈夫。もうあの包みを、見なくて済むのだ…。
そう、わたしは何もなかったことにしたかったのです。
しばらくは引き出しを見るにつけ、後ろ暗い心持ちになりましたが、そのうちに記憶の彼方に忘れ去られていきました。

そしてその数ヶ月かのちに、ピンク色のネグリジェについたスパンコールに再び出会うのです。わたしの心は凍りつきました。
恐る恐る、このスパンコールどうしたの、と聞くと、母はあっけらかんと、引き出しの奥に入ってたの。どうしてこんなの買っていたのかしらね、と嬉しそうにからからと笑いながら言いました。
わたしは青くなったり赤くなったり、感情が目まぐるしく渦を巻き、どうにもならない気持ちでした。
美しい憧れの夢をかたちにしたようなネグリジェを、お母さんが作ってくれた嬉しさ。そして同時に、お前が盗んだのだ、お前は罪を犯したのだ、と責めてくる声が鳴り止まないネグリジェを手にして、幼いわたしはどうしたらいいかわかりませんでした。

わたしは、ばちが当たったのだ、と思いました。
神さまは見ていたのだと。わたしがしたことは、なかったことになんてならないのだと言われているような気がしました。
その時のわたしができる最善かつ唯一のことは、母にありがとうとお礼を言って、その日の晩からこのネグリジェを着てお布団に入ることでした。
キラキラのスパンコールがついたお姫様のネグリジェを着たわたしは、お布団の中でひたすら懺悔しました。
たくさんのものや人に対しての懺悔でした。
ごめんなさい、ごめんなさいと、お店の人やお母さんや、ネグリジェやスパンコールに謝りました。お布団をかぶって誰にもわからないようにこっそり泣きました。

わたしは今でも、ピンク色のスパンコールを見るたびに、遠い日の幼い自分を思い出します。かなしくて、ひとりぼっちで、みじめで、ちっぽけな少女だったわたし。
ピンク色のスパンコールが、現実を一瞬で変える魔法の石で、それをどうしても手に入れなくてはならないと思っていたわたし…。

いまだにほんのすこし痛む胸に手を当てて、少女だったわたしに寄り添うことが、今のわたしにできること。
40数年の時を経て、やっとあの頃の自分に向き合えるようになりました。

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