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喫茶Endeものがたり

【あらすじ】
裏道にひっそりと佇むお店、『喫茶エデン』。
そこは魔女みたいなママと、小人みたいなおじいさんが腕を振るう素敵な隠れ家。
今日はどんなお客様がくるのでしょうか?


 カランコロン…
「いらっしゃいませ」
そう言って振り返ったママは、わたしを見るとふわっと花が開いた様にわらった。
「あら、かのんちゃん」
「こんにちは、ママ」
わたしはいつもの席に向かう。
すみっこの、窓ぎわのちいさなテーブル。
このテーブルには、真鍮でできたねこの置物と、外国の街並の白黒写真が飾られている。わたしはその空間に座るのが好きなのだ。

「今日は何にする?」
ママがお水をことり、と置きながらたずねる。
「うーん、グラタンにしようかな。」
「やっぱりね。そんな気がしてたのよね。」
OK、ちょっと待っててね、と歌うように言いながら厨房の奥へ消えてゆく。
あはは、バレてたか。ママはなんでもお見通しなのだ。

ママ、といってもわたしのお母さんではない。このお店のママさんだからみんなそう呼んでいる。
年齢は40代くらいだろうか。ふわふわっとした髪をターバンでおさえて、いつもすてきなエプロン姿できびきびと動いている。(今日はルドゥーテみたいなばらの花柄だ)
奥の厨房では、お爺さんのコックさんが主に料理を作っている(らしい。)ほとんど姿を見せないから、ほんとにいるのかどうか怪しいけれど、わたしはちらっとだけ見たことがある。とっても背が小さくて、コックさん帽子が異常に目立った、奇妙なお爺さんだった。はじめて見た時は、まるで白雪姫と7人のこびとみたい、と思ったのだ。

レモンが効いたお水をひとくちのんで、ほっとため息をつく。
窓の外はうすぐもり。秋がやってきて、すぐにセーターが必要になった。今日は気分転換に街に出かけてすこし買い物をするつもり。その前にここに来ようと思って来たのだ。

裏通りの目立たない一角にあるこの店は、駐車場がないこともあってお客さんも少ない。けれどママはそんなこと一向に気にしていないみたい。わたしは静かなお店でゆっくりできるのが嬉しいけれど、あんまりお客さんが来なくてお店がなくなってしまったら困るし、何よりママに会いたくて、なるべくちょこちょこ来るようにしているのだ。

そんなことを考えながらぼぅっとしていたら、ママがぱたぱたとやってきた。
「お待たせー、きのこたっぷりのチーズグラタンでーす。」
わたしの目の前に、おそらくママの手作りだと思われる赤いギンガムチェックのランチョンマットがさっと敷かれ、その上に湯気を立てたあつあつのグラタン皿がことん、と置かれた。
「わーあ、おいしそー!」
わたしは思わず歓声をあげる。
「でしょぉ。かのんちゃんが元気になるように魔法をかけたんだー。どうぞ召し上がれ。」
「わぁ、ほんと?嬉しい!いただきまーす!」
ママはにっこり笑って、あとでコーヒー持って行くねーと言いながら去ってゆく。

ママって魔女みたい、って思うのはこういうところ。魔法とか、おまじないとか、宇宙とか、ちょっと”ふつう”の人が言わないようなことを”ふつう”に言ってくるところ。
最初はギョッとしたけれど、だんだん慣れてきて今はふぅん、と聞き流している。
あ、そういえばどうして、わたしが元気のないことがママにはわかったんだろう。

わたしは木のスプーンを持って、ぐつぐついっているグラタンをひとさじすくう。
ふぅふぅと冷ましてそっと口に運ぶ。
きのこの香りとチーズの香ばしさが鼻をくすぐり、わたしは思わず目を閉じて舌に意識を集中させる。
美味しい…。ほんとうに魔法がかかっているみたい。熱いのも気にせず、わたしは無言でぱくぱくとひたすら食べた。

誰かが自分の為に作ってくれるごはんって、なんでこんなに美味しいんだろう。わたしは思わず自分のアパートの狭いキッチンを思い浮かべる。暗くて、コンロがひとつきりしかない、おままごとみたいな小さなキッチンを。そういえば昨日のお鍋も洗わないで来てしまった。流しには、缶酎ハイの空き缶。
ああ、いやなこと思い出しちゃった、せっかくのお休みの、せっかくの美味しいごはんだったのに。

ちょっとブルーになっていると、ママがカウンターから顔を出して呼ぶ。
「かのんちゃん、食べ終わったらカウンターにいらっしゃいな。ちょっと味見してほしいものがあるのよ。」
えー、なになに?と、わたしは嬉しくなって最後のひとくちをお腹におさめ、カウンターの席に移動する。

「これちょっと食べてみてくれない?ゆうべわたしが作ったのよ。」
そう言ってテーブルに置かれたのは、四角い小さなケーキだった。
「わぁ、これ、ティラミス?」
「そうそう!はい、コーヒーもどうぞ。」
ありがとう、と言って食べると、ほろ苦いエスプレッソの香りと甘いマスカルポーネのクリームが口の中に広がる。
「美味しい!」
思わず満面の笑みでママにそういうと、ママはうれしそうに、よかったわぁ、とにっこり笑ってこう言った。

「かのんちゃん、ティラミスってどういう意味か知ってる?」
「ティラミス?イタリア語だよね、うーん…なんだろう?」
ママは自分にもコーヒーを淹れて、うふふと笑いながらひとくちすすり、それからこう言った。
「ティラミスって、わたしを励まして、わたしを元気付けて、っていう意味なんですって。
かのんちゃんに食べてもらって、喜んでもらえて、わたし元気になったわ。ありがとね。」
突然そんなことを言われて、わたしはびっくりする。
「え、ママも元気じゃない時があるんだ…」
そう呟いてしまって急に恥ずかしくなる。そりゃそうだよね、ママだって人間だもの。
そんなわたしの心の声が聞こえたかのように、ママはうふふと笑った。
「なんかね。時々、ほんとうに時々だけど、自分が何の価値もないような人間に思えることがあるのよね。昨日なんてまさにそうでね。
そんな時、昔は、そういう時は誰かにすぐ頼っていたわけ。ねえ、わたしを癒してよー!って。」
うんうん。身に覚えがありすぎて、わたしは少し胸がきゅっとする。ママは続けた。
「でもね、それは逆効果だってことにある時気づいたのよね。
その代わり、自分で自分を甘やかしてみようと思ったの。
それである日、ふとティラミスが食べたくなって自分で作ってみたんだ。
それがすごくおいしくできてね。わたしたちまち元気になったの。
それ以来、たまに作ってこんなふうにサービスするようになったのよ。
食べてくれたひとみんな、今のかのんちゃんみたいににっこり笑って喜んでくれてね。ママありがとう、美味しかった!って言ってくれて。
その笑顔に、逆にわたしが元気づけられたの。
あ、ティラミス、って言葉の意味を知ったのはそれからずいぶん後なんだけれどね。」
ママはそう話すと、ティラミスをひとくち食べて、ああ美味しい、と満足そうにゆったりと微笑んだ。

わたしはなんだか胸が熱くなって、でも何て返せばいいかわからなくて、黙ってうんうんと頷きながらティラミスをぱくぱく食べた。
それを見たママも、カウンターの向こうで一口食べてコーヒーをすする。
わたしたちは顔を見合わせて、うふふ、と笑い合った。
なんだろう、この感じ。胸の奥から、何かわからないけれどあたたかいものが、じゅわぁと湧いてくる。ティラミスを食べて、コーヒーをのんで、うふふと笑って…それだけで、こんなにも幸福なのだ。
幸福…そうだ、久しぶりにこの言葉に出会ったような気がする。

ママにたくさんお礼を言って、お店を後にする。胸の中では、まだ灯りがぽっとともっている。そうかぁ。わたしも、自分を元気にするために、なにかできることあるのかな。うん、きっとある。
買い物して、すてきなお洋服を買って、そうだ、お花も買ってこよう。ママへのお礼と、わたしのちっぽけなアパートに飾るために。
お花が似合うようにお部屋をきれいに掃除して、風を入れて…そしたらお部屋も喜ぶし、わたしも元気になるだろう。

わたしは素晴らしい思いつきをした自分が誇らしくて、金木犀がほのかに薫る秋の空気を胸いっぱいに吸い込んで、黄金の日差しがやさしくさしこむ街へと出かけて行ったのだった。



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