シリーズ「霊の中に生きる」 No.8人の霊(8)②

シリーズ「霊の中に生きる」 No.8
人の霊(8)②

御霊に従って歩み続ける

人の霊(8) - 牧師の書斎

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊によって生きる」の第八回目です。

今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第二回目です。

『割礼=肉を断ち切る』

割礼の啓示」は、メシア詩篇と言われる118篇では「断ち切る」という表現がなされます。

つまり「彼らを断ち切る」という表現は「彼らに割礼を施す」という意味です。神に敵対する者に割礼を施し、神のみを信頼させ、神のみに従わせるということの積極的な表現なのです。

それゆえこの詩篇がメシア詩篇と言われる所以です。

【新改訳2017】
詩篇118篇8~13節


8

【主】に身を避けることは 人に信頼するよりも良い。


9

【主】に身を避けることは 君主たちに信頼するよりも良い。


10

すべての国々が私を取り囲んだ。

しかし【主】の御名によっては彼らを断ち切る(מוּל)。


11

彼らは私を取り囲んだ。

まことに私を取り囲んだ。
しかし【主】の御名によって 
は彼らを断ち切る


12

蜂のように彼らは私を取り囲んだが茨の火のように消された。

【主】の御名によっては彼らを断ち切る


13

おまえは私を激しく押し倒そうとしたが【主】が私を助けられた。

詩篇118篇で登場する「」とは、イスラエルの民の代表的存在(メシア)と言えます。

その「私」を取り囲む神に敵対する「すべての国々」を「断ち切る」ために、すなわち彼らに割礼を施させるという意味で、割礼用語「ムール」(מוּל)で言い表しているのです。

事実、キリストは十字架上で真の割礼を完成されました(コロサイ2:11)。

それがなされたとき、アブラハムから継続してきた人の手による古い割礼は終わり、新約の人々はキリストの割礼を受ける者となったのです。

教会はまさにキリストの割礼を施された者たちです。

【新改訳2017】
コロサイ人への手紙2章11節


キリストにあって、
あなたがたは
人の手によらない割礼を受けました。


肉のからだを脱ぎ捨てて、
キリストの割礼を受けたのです。


〈アブラハムおよび人々は、割礼を自身に施しはじめる〉

アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、


「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」

アブラムは、ひれ伏した。

神はまた彼に言われた、

「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである」

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