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16年間の私の仕事を振り返る③

人生2度目の就職活動の末、あらゆるメディア制作を行う企業専門の制作会社に就職。

これまでの会社と異なり、平均年齢は20代半ば。
同僚も上司も支社長もみな若く、そして総じてカジュアル。

配属先は8名のチーム組織で、私はそこでディレクターのアシスタンと、進行管理をしました。

書店に並ぶ冊子を扱う仕事に携わり、それだけで当初は胸いっぱいでした。少しづつ夢に近づいている感じが自分の中で微かに見え始め、全力で仕事に邁進。

今振り返っても自由度が非常に高い職場は、一見キャンパスのようでした。みんなそれぞれ着たい洋服に身を包み、「オフィスカジュアル」なんて言葉とは無関係。

当時の支社長は日焼けに短パンにビーサンの出で立ち。
それでも、仕事は大真面目で手抜きは一切なし。
そんなギャプばかりの人ばかりでした。

憧れの仕事にやっと就けた喜び、そして毎日が楽しい職場。夢のようだ!と日々充実を実感していました。

そんな自由が与えられているということに慣れ始めた頃、午後お散歩ついでに近くのカフェでコーヒーをテイクアウトし、会社に戻ると課長から打ち合わせに呼ばれ「この仕事、急遽明日までに仕上げなくちゃいけなくなったんだけど、できるよね?じゃ、よろしくね!」と当時の私には無理難題な業務をすることになりました。

その時すでに16時過ぎ。
そして、締め切り期限は翌日10時。

あれ?これ、私1人で本当にできるの?と冷静に業務内容を確認、把握したあたりから猛烈な恐怖感が襲ってきました。

「ど、どうしよ。これ本当に出来る自信がない」と本気で焦り始めたのは定時過ぎた19時過ぎ。

まだ若かったこともあり、誰かに頼るよりも自力でなんとかしたい!といい思いが強く、我武者羅に資料作成に奮闘しました。途中何度も本気で放棄して逃げようと思うほど、難題な業務だったことは確か。

深夜残業は恐ろしいほどに時間があっという間に過ぎていき、気づけば朝方。課長からメールが届き「どう?大丈夫そう?」と聞かれ「なんとか、今出来上がりました」と報告。

最終的に仕上がった時間は6時過ぎでした。
タクシーで帰宅し、シャワー浴びて数時間仮眠したのち、出社。

提出した書類に目を通した課長に「うん、いいんじゃない。これで提出するから、もう今日はお昼まで仕事したら帰って休んでいいよ。あとは僕が適当にやるから」と。

25歳の私は、自由と責任のセット売りを身を以て知ることとなりました。

スタッフを信用しているから自由が与えられている。そして、自由があるからこそ、責任が伴ってくる。

責任がのしかかる大変さより、私はやっぱりある程度の「自由」があることに喜びを感じるタイプだとこの時、実感し、それは今にも通じています。

社内には同級生が男女10人以上いたので、月イチでイベントを計画したり、時には仕事帰りに真剣に仕事について語り合ったり、まるで青春の1ページのような私にとって貴重な時間を過ごせた場所でした。

つづく



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