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自分の裏の顔

お久しぶりです

もう何か月何年振り?ってくらい久しぶりにnoteひらいて過去の自分の投稿を見返してみたんやけど、その当時自分が悩んでいたこととか悩みつつも考えて何か前に進もうぐるぐるしてるんやな~ってのが伝わってきて少しふふってなった(笑)

若いな~~って。

ちょっと思い出して何やってたんや自分って恥ずかしくなったり。

夏休も終わり、新しい学期が始まった後期大学院生活。

秋の匂いがして朝少し肌寒くなってきて。

大好きな曲に「Seasons of Love」というのがあるのだけど、この季節に一番聞きたくなる。

この夏はいろんなことがあって、その中で本当に自分がしなければいけない事をそれを理由につけてないがしろにしてしまった。

コロナコロナって自分の中で理由付けるのすごく簡単でしょうもないよね。けれども、一番自分という人間を知ることが出来た夏だったのかなとも思う。これいうたら殺されそうやけど、一度みんなが言う「社会人」ってどういうことを言うんか興味半分で就活始めて、いろんな会社の説明会やインターンで話聞いて自分はどのような業界でどのような会社に興味があって、、、みたいなことをつらつら。

調べてみたら自分が知らない事ばっかりで、こんなに何も知らない自分が自分で恥ずかしくなって「社会人とは何か?」みたいなのをnoteに書いたけど「あぁ、学生気分やったらあかんな」って思ったり。学生なんやけどそうじゃなくて、ちゃんと社会に所属する一員として責任もって自分や大切な人を守れるようにならなって。

あと「教育」ってすごく範囲が広くて自分はどこを対象にどのような形で携わっていきたいのかも自分なりに答えが出た気がする。

たくさん映画と本を読んだ夏でした。

なんかもうこの時点で話が迷子になりかけてる気がするのだけど、、、。

本題

今日書きたかったことは、「裏の自分」について。

人に迷惑かけるようなことや自分が譲れないと思うところは「ちがう」ってはっきり言いたいし言ってしまう性格だ。

(そこが自分の良くないところでもあるんやけど)

自分に嘘をつきたくないから思ったことはがっって言うてしまうんやけど、自分が知らないところで周りにも迷惑かけてるしそれを許してくれている人たちがいるんだからそこも踏まえた時点で一歩引いて考えないといけないんだけどね。

そして自分のこれからの人生に関係のない人に対して考えたり怒っても自分がマイナスなだけやからそこも考えないとなって夏に反省しました。

けれどこんなことを言うてるけど、自分自身を言い聞かせるために嘘をつくことがよくある。

「裏の顔」っていうのか分からないけど。

正解なんてものは存在しないと思うんだけど、自分の中で「これが正しい」「こうでないといけない」「こうありたい」という自己概念があって、それは勝手に自分が設計した社会の像みたいなもので。

自分がそのようであるために表上の虚像を作って生きてる。

気がする。

その自己概念は社会が求めている像であり、私がこれからの人生を歩みたい道の上にあって勝手に崩せないものだと思って、時々ポロっとはがれそうになる表の皮を今必死にセロハンテープで補強してる感じ。

社会が求めてる像なんてどうでもいいのにね。

自分が受けてきた教育にも関係するのかな。

みんなが「当たり前」「普通」だとうことを心の中に取り込むためにワンテンポかかったり。「当たり前」や「普通」なんてものはない、まともじゃないのはみんな一緒ってわかってるんだけど、それを認められない自分と日々葛藤している。

いつかぼろが外れるんじゃないか、そして「こうありたい」と思ったまま言葉がおかしいかもしれないけど未完成のままでこの道に進んでもいいのか。

「誰も完璧な人なんていない!前に進んで経験することで失敗していろんなん人と出会ってそこで自分って形をみつけていくんや」

って言葉ではわかってるし頭でも理解しているのやけどたまに言葉や行動とは裏腹に考えている自分がいてとても怖くなる。

まあそれでも時間は有限だし、前に進むしかないんだけど。

自分で自分の裏の顔を見た時にぞっとするって話でした。

「当たり前」って言葉いい加減使うのやめたいね。

自分を自分で認めることが出来たら最強や。

自分の中では完結したんだけどこの文章を読む人に伝わるんかな私の文章力(笑)

今日もよしもとばななさんの本を一冊読んで寝ます。

このへんで。



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