1位になること / 孤立すること
人間って、自分自身のルールに縛られて生きてることって
よくあるなぁ、と思います。
今日は、私の中で根強いルールの一つ、
1位になること と 孤立すること
について書こうと思います。
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私は長年、自分が競争心のない人間だと思っていました。
10年やっていたバドミントンも、団体戦やダブルスだと強いけど
個人戦だとすぐに負けてしまうし。
「xxに負けたくない」みたいなのはあまりない。
しかし先日、ふとしたきっかけに
「(自分に競争心がないと信じたいのは)自己防衛の手段なのかも?」
と思うようになりました。
(そのきっかけはとても人を見る力に長けている尊敬している先輩に
「kanaちゃんは負けず嫌いだよ」と言われたことでした)
今思えば、
これは幼少期に 孤独な思いをした瞬間を誤った形で記憶している結果かもしれないなと、気付きました。
<エピソード①>
中学校の時、心を許せる友達ができないことにかなり焦っていました。
かなり、孤独感を感じていたんですね。
で、中学生の時の私は、成績は常に学年1位。
部活もまあ、エースの次ぐらい。
立候補こそしていないものの、部活の部長や、サークルの代表、生徒会....
と、そんな感じでした。
で、その時期に、よく言われる言葉があったのですが
それが、
「kanaちゃんは優等生だから」「私たちと、住む世界が違うから」
でした。ほんとーに、度々言われた。
本当はみんなともっと仲良くなりたいのに、
「あぁ、私は優等生だと認識されてしまったから、仲間になれないのか」
と、理解してしまったのです。
今思えば、関係ないかもしれないのになぁ。
孤独感を感じた時に、たまたま「1番」だっただけかもしれない。
それでも私は、「1番になると人から受け入れられない」と歪んだ認識をしました。
なので高校に入学する時には、「何事も1位にならないこと」「優等生だと思われないこと」と心に誓っていたぐらいです....
<エピソード②>
上記の通り、私は中学校まで、割と多方面で一位を取りがちでした。
これは、元々勉強を楽しめるタイプだったのもありますが、
長女として、「両親が自慢できるような娘でいよう」という思いがあったのも、否めません。今思えばかなり大きな要因だったと思います。
つまり、「親に愛されるために、一位になるようにしていた」という節がありました。
で、ある日、普段優しい母が、父の友人にこう言っているのを聞いてしまいました。
「私も次女だから、T(次女)の気持ちはわかるけど、kanaの気持ちはどうしても、なかなかわからないのよね〜」
この言葉が、当時の私としてはとてもショックで...
自分の理解者だと思っていた母が、私の考えていることがわからないということは、「私のことをそんなに好きじゃない」と言っているように、捉えてしまいました。(今思うと、この時点で認識が歪んでいるのですが)
私は、両親に愛されるために、こうして1位を取っているのに、これはとても的外れな努力だったのか...と思いました。
「むしろ、1位になるような子は、好きじゃないのか...落ちこぼれぐらいの方が、愛されるのか....」とすら、思いました。(これは本当に歪んでいる考えなのだけど)
このエピソードでもまた、
「1位は悪」「1位になると愛されない」「孤独な思いをする」
という認識を自身で植えつけてしましました。
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...とまあこんな感じで、私が1位を取ることに対するトラウマのようなものが、考えてみればあるんですね。
これらの記憶によって、「1位になること」と「孤独になること」は私の中でペアになっているのかもしれないな、と思いました。
でも、本当は別に2つの要素に因果関係はなくて、
たまたま孤独感を感じた時に、私が一位だった
たまたまお母さんが疲れている時に、私が一位だった
ただそれだけのことだったのだろうな、と今では思います。
今競争心がないのも、1位になることを避けてきた結果、そもそも競争することから逃げてきただけなのかもなぁ、と考えました。
自己防衛のために、1位になるシチュエーションから逃げてきたもかもしれません。
ゆっくり、ここの認識はほぐしていきたいなぁ、と思います。
きっと、まだまだ自分で勝手に作った「謎の法則/ルール」のようなものはたくさんあるのだろうな、と思います。
一つずつ、解いていきたいな。
今日は、そんな気付きの記録でした。
明日からも素敵な週末になりますように!
おわり
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