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内田樹とナギ 2

 内田樹は僕の師匠である。
 しかし、僕は師匠との直接の面識はほとんどない。厳密にはかつて一度だけ言葉を交わしたことがあるのだけれど、おそらく師匠は覚えておられないだろう。
 そんな間柄で師匠と呼ぶのはこれいかにとお思いの方も多いだろう。しかし、紛れもなく内田樹は僕の師匠なのだ。

 2008年(だったと思う)、母校近畿大学に師匠は講演に来られた。その頃においても著名は著名だったが、今ほどビッグネームではなかった。『街場の教育論』『下流志向』がホットな著書で、『日本辺境論』も刊行されていただろうか(調べればすぐに分かるのですが。追憶の手触りをお楽しみください)。しかしそのとき、僕はまだ彼のことをしっかりと認識できていなかった。
 内田樹が講演に来る。なんか、すごいなぁ。くらいにしか思えていなかった。
 しかし、その講演で僕は彼の思考に引き込まれる。講演終了後、知的興奮が冷めやらぬまま、応接室がわりの研究室で言葉を交わしたことを覚えている。

 それ以来、内田樹は僕の師匠なのである。

 面識もあるとは言えないし、別に彼の門を叩いたわけでもないのに「師匠」?と思われるかもしれない。けれど、僕は師匠からたくさんのことを教わった。
 師匠が何をどのように考えているのかに触れたくて著書を読み漁った。ブログにも目を通した。ラジオも聴いた。ものの考え方、事象の捉え方、文章の書き方、話し方、ユーモアの入れ方、現代思想、文学、教育、映画、音楽など実に多彩なことを師匠から学んだ。
 すると「内田樹がこう言ってた」と受け売りができるようになってくる。でもだんだん受け売りをしていい気になってる自分に嫌気が差してくる。

 師匠の考え方を自分の言葉で話したい。

 僕はあらゆるメディアを通じて師匠が教えてくれることを、自分の身体に染み込ませるように学んだ。そこで僕の学び方は大きく転換した。今の学び方のベースとなっている。こうして僕の根っことなるような部分はできあがっていった。

 ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。
内田樹「学ぶ力」

 だから僕は、ほとんど面識がない内田樹のことを師匠と呼ぶ。いや、そんな既成事実がなくっても、僕は彼の言葉からあまりあるほどの物事を教えてもらっている。
 そして僕の授業は毎年「学ぶ力」から始まる。

 師匠はレヴィナスのことを「師匠」と呼ぶ。
 今回の講演会でもそう呼んでいた。そのときの、はにかんだような笑顔が印象的だった。
 照れというよりも、旧友を紹介するときのような暖かい笑顔だった。

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