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「鶺鴒一册」09


「鶺鴒一册」09


灣をめくり/
     /Yves Kleinの灣をめぐり/
 /肺や繋辞のスポンジ灣岸/enfant[ãnã]が膨(ふく)らむ
     /ポリプ貿易と製塩法/pro-visoire/
     /空罐と演繹/
           /声(phone)が濯(すす)がれる


数の[圜牆(カーネーション)]/
     /羊歯を揃えた勾配で/
     /私(ひそ)かに青がうられている/
             /en échange de …


蘭科Seraphim,  鳥葬/彝(ロロ)族の玉葱/イチジクの管と水曜/
/レウキッポスのorgane叢書/《脚韻前綴ハ死セリ》/héliotrope,  開襟


このページの前身は、20代後半に書いた「灣synopsis  Yves Kleinの」という一葉だった。


「灣synopsis Yves Kleinの」を清書したルーズリーフ


「灣synopsis Yves Kleinの」のファイル

白い粘着シートの糊面を針で引っ掻き、万年筆の青インクを垂らして、B6サイズの青いクリアファイルの内側に貼り付けている。このファイルにB6の5mm方眼紙に清書した「灣synopsis  Yves Kleinの」の三葉を入れている。


「灣synopsis Yves Kleinの」01


「灣synopsis Yves Kleinの」02


「灣synopsis Yves Kleinの」03


1986年1月2日(木)から2月24日(月)まで池袋の西武美術館で開催された《イブ・クライン展》の図録を久々に開いてみると、なんと《海綿(スポンジ)レリーフ》作品のページの余白にこれらの詩片をシャープペンシルで書き込んでいた。すっかり忘れていた。


《イブ・クライン展》図録(1985、p.32)


《イブ・クライン展》図録(1985、p.33)

おそらくこれらの《海綿(スポンジ)レリーフ》にインスパイアされて書いたということだろう。

図録に掲載されているイブ・クラインの文章「海綿(スポンジ)」——

▼アトリエでタブローの仕事をしているとき、私は海綿を使う。それは当然のことながら、すぐ青になってしまう! ある日、私は海綿の美しさに気づいた。この仕事道具が私にとって一挙に素材となったのだ。私を魅了したのは、液体ならなんでも吸収してしまう海綿の特異な能力である。海綿という、野生的な生きた物質のおかげで、私は自分のモノクロームを読む人たちの肖像をつくることができるようになった。彼らは私のたくさんのタブローの間を旅してまわり、それを見た後で、海綿のようにすっかりそれに感性を浸されて戻ってくるのである。(イブ・クライン 1958年 CYK)

この図録には展覧会チケットと中沢新一さんが書かれた『聖杯を探求するタイタン イヴ・クライン論』という薄い冊子も挟み込まれていた。


《イブ・クライン展》展覧会チケット


中沢新一『聖杯を探求するタイタン イヴ・クライン論』
フジテレビギャラリー 1986年

この冊子は、1986年2月7日から3月1日まで、フジテレビギャラリーで開催された《イヴ・クライン展》に寄せて書かれたもののようだが、フジテレビギャラリーを訪ねた記憶はないから、あの頃、西武デパートの中にあった「ART VIVAN」という芸術書専門の書店か、「ぽえむ・ぱろうる」という詩や思想書の専門書店かのどちらかで購入したのだと思う。20代の頃は上池袋に住んでいて、両店ともによく立ち寄った。

▼SPONGE――イヴ・クラインのいわゆる「青の革命」が開始された1957年から、彼は「インター・ナショナル・クライン・ブルー」と呼ばれる青い顔料をたっぷりしみこませた、たくさんの海綿(スポンジ)の作品をつくりはじめている。海綿がクライン・ブルーをみごとに吸いあげる。しかも、海綿はその深い青の輝きをすこしもそこねることのないまま、まっ青な海綿に変貌するのだ。空間のもつ無限のひろがり、深みそのものである「青」によって、海綿という物質が「受胎」したのだ、とクラインはこのとき考えた。目に見えない、非物質的な、自由で、純粋きわまりない力が、海綿物質をとおして輝きだしているのだ。私たちはここに、「物質的現実の中に地球の神性として広がっているものを作用させ、感情の中に反響させる」(ルドルフ・シュタイナー)という、イヴ・クラインの芸術にすくなからぬ影響を与えた薔薇十字会(Rosenkreuzers)の思想のひとつのあらわれを、すぐに読みとることができる。

この導入部分の後、図録にあったものとよく似たイヴ・クラインの文章が引用されている。

▼私は1956年にはじめてこの体験をした。そのとき私はスポンジをつかって、モノクローム絵画を製作中だった。スポンジが乾く。そして、スポンジが青によって受胎したのである。なんという美しさだろう。私は思わず自分自身に語りかけていた。それになんてすごいんだ。この青いスポンジが、モノクローム作品をつくる私の姿を見ている人のポートレートになっている、そんな気がしたわけだ。……こうしてスポンジは私の製作の第一物質となった。……青いスポンジは、私のモノクロームを見、その青の海を航海して、文字どおりスポンジとなって、空間の無限を感覚にぞんぶんに受胎してもどってきた人たち、その人たち自身のポートレートとなるのである。

クラインの青い海綿作品を見る人々がそれぞれスカスカの海綿と化し、クラインの青を吸収=受胎して、各々が青い海綿作品となると当時に、クラインの作品も見る人々のポートレート(肖像)と化すということか。作品と鑑賞者との相互浸透?

この冊子では、「生命と非生命の境界線上にあるような、スカスカで稀薄な、奇妙な中間的(in-between)物質」としての海綿に「霊性」を見た薔薇十字の人智学へと傾倒したイヴ・クライン像を、「技術-騎士道-人智学」の結合体として描いている。わずか42頁ながら、濃密な記述で難解。もう一度、じっくり読んでみよう。



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