薄井 灌 Kan Usui

1960年、兵庫県生まれ。群馬県藤岡市在住。2006年11月、「鶺鴒一册」で思潮社50…

薄井 灌 Kan Usui

1960年、兵庫県生まれ。群馬県藤岡市在住。2006年11月、「鶺鴒一册」で思潮社50周年記念「現代詩人賞」奨励賞受賞。2008年1月、詩集『干/潟へ』(思潮社)上梓。noteで断章詩篇『鳥Avese note』を随時発信するとともに、手製和綴じ本『汎水論』を販売します。

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  • 詩集『干/潟へ』とその周辺

    詩集『干/潟へ』(思潮社、2008年1月発行)の販売と、『干/潟へ』について書いたことなどを随時、発信します。

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    アートや音楽、本について書いたことを随時、発信します。 マガジン画像の詩集『きみは転がりこんできたね、マイボーイ』は、川畑battie克行氏の作品です。

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    断章詩篇『鳥Aves note I』を主に土曜日に発信します。

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    今まで手づくりしてきた本のことなどを随時、発信します。

  • 手製和綴じ詩集『汎水論』とその周辺

    手製和綴じ詩集『汎水論』(魴鮄書林、2024年1月より制作開始)の販売と、『汎水論』について書いたことなどを随時、発信します。

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Profile(詩的活動記録)

1960年、兵庫県朝来郡(現朝来市)生野町生まれ。群馬県藤岡市在住。 (詩的活動記録) 2006年11月、「鶺鴒一册」で思潮社50周年記念「現代詩新人賞」奨励賞受賞。 2007年7月、『現代詩手帖』(思潮社)に「気象|簿記学――16葉の銅版画esquisseのためにi-iv」を掲載。 2008年1月、第一詩集『干/潟へ』(思潮社)上梓。「鶺鴒一册」「欄/干」所収。 2009年4月、『現代詩手帖』(思潮社)の「ゼロ年代詩人ファイル」に寄稿。 2010年4月、季刊詩誌『阿吽』創刊

    • 「鶺鴒一册」08

      「鶺鴒一册」08 鶺鴒がヨウシュヤマゴボウの果苞を啄(ついば)む/                        /頬から咽喉(のど)/ /咽喉(のど)から襟/           /ベタシアニン色素の赤紫が散(ち)り滲(し)み/ †白と黒の(この)鶺鴒は 時に自らすすんで赤の飛沫を浴び 校閲ないしは改竄される 染み着くそれらを濯ぐため 遠く川瀬のあのsesëragiに ふたたび帰省を褶(かさ)ねなければならないというのに このページが書けた時もとてもうれしかった。「ヨ

      • Summer Solstice and Major Lunar Standstill

        布施英利さんの『美術でよみとく京都の庭園』(株式会社エクスナレッジ、2024年2月26日 初版第1刷発行)を藤岡市立図書館で借りて読んでいる。最後の章vi「京都の庭園から現代アートへ」の「2 李禹煥の庭 人類1万年史とつながる美の世界」から読み始めた。 李禹煥さんの絵画と立体インスタレーション(=彫刻)の関係を、旧石器時代と新石器時代の関係に結びつけようとする論考で、非常にユニークで興味深い。その中で、2014年、フランスのヴェルサイユ宮殿の庭園に展示された、李禹煥さんの立

        • 鳥Aves note I-x

          鳥Aves note I-x 独歩の『春の鳥』を読んだ14歳よりもっとずっと幼い以前からわたし、私たちの乳白の夢には鳥、鳥たちのつらなりつづく萌芽がありわたし、私たちはまだ若い実を両手にもいでにぎったまま柿の木からあるいは漆木をよけてよじのぼった赤土山の頂上からうでをひらき唐草模様の風呂敷マントを翻し飛び降りてはいつも着地するまえになまあたたかい目覚めを繰りのべていた。六蔵が飛んだ12歳以降もわたし、私たちは幾度となく飛ぶ夢を見るが1から6までどころか「億兆京垓序穣溝澗正載

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        記事

          「鶺鴒一册」06-07

          「鶺鴒一册」06-07 梁から瀬/     /瀬から篠/          /篠から漆感(うるしかせ)の欄干へ/     /欄/干から干潟/             /干/潟から灣/                    /灣から窓へ (あるいは逆に)窓から灣/             /灣から干/潟/             /干潟から漆感(うるしかせ)の欄/干へ/ /欄干から箋篠へ/         /(箋篠に声を濯(すす)ぎ)篠から梁/         /梁から籍の

          「鶺鴒一册」06-07

          鳥Aves note I-ix

          空と雲の写真とともに、断章詩篇『鳥Aves note』をお届けします。 鳥Aves note I-ix 紙のうえなかの鳥、鳥たちの「てにをは」もないtic disorder。横締まりの瞬膜。そればかりが鳥、鳥たちの属性ではないにせよ逆撫でられたからといって紙をつぶすかるい機みは浅はかなわたし、私たちの属性。いかに突飛で苛立たしくともあの複雑に異なる間歇的波状飛行の軌跡はもう二度と同じくは追尾できないと辨えること。

          Pas-sage 3

          1990年、30歳の頃、懐かしのワープロ、Sharpの「書院」で制作していた個人誌(Vol. 3で終了)。A4に両面コピーし、左をホチキスでとめて2つ折りしただけの簡単なもので、5部ほど作って友人に郵送していた。「手製本」とはいえないけれど、一応、手づりではあるので、noteのマガジン「手製本」にアップするために、テキストエディット で入力し直して、データ化しておこう。 《Pas-sage 3》は、薄井 保のペンネームで「棄てる梯子 吉岡 実に」という詩を冒頭に置き、199

          Pas-sage 2

          1990年、30歳の頃、懐かしのワープロ、Sharpの「書院」で制作していた個人誌(Vol. 3で終了)。A4に両面コピーし、左をホチキスでとめて2つ折りしただけの簡単なもので、5部ほど作って友人に郵送していた。「手製本」とはいえないけれど、一応、手づりではあるので、noteのマガジン「手製本」にアップするために、テキストエディット で入力し直して、データ化しておこう。 《Pas-sage 2》は、1990年3月3日(土)~4月5日(木)の期間、兵庫県の姫路市立美術館で開催

          ほしおさなえ『まぼろしを織る』

          表紙写真は染織ブランドatelier shimuraと服飾ブランドmatohuによる植物染・手織の共同ブランド「hikariwomatou光をまとう」の制作風景。 撮影:桑島薫 巻末に主要参考文献として、染織家の志村ふくみさんのご著書が3冊、挙げられている。群馬県立近代美術館では1982年に「志村ふくみ展」を開催し、作品も所蔵しており、別館「山種記念館」で展示された着物を見たことがある。最近、『別冊太陽』で100歳記念特集号も発行された。 群馬には、世界遺産「富岡製糸場」

          ほしおさなえ『まぼろしを織る』

          Pas-sage 1

          1990年、30歳の頃、懐かしのワープロ、Sharpの「書院」で制作していた個人誌(Vol. 3で終了)。A4に両面コピーし、左をホチキスでとめて2つ折りしただけの簡単なもので、5部ほど作って友人に郵送していた。「手製本」とはいえないけれど、一応、手づりではあるので、noteのマガジン「手製本」にアップするために、テキストエディット で入力し直して、データ化しておこう。 《Pas-sage》という個人誌は、1990年1月20日(土)から3月4日(日)まで、東京都港区青山にあ

          鳥Aves note I-viii

          空と雲の写真とともに、断章詩篇『鳥Aves note』をお届けします。 鳥Aves note I-viii 鳥、鳥たちは望まない望みを望まず時を折りわたし、私たちの腋の下にも蹠にも来て飛ぶ。

          賢治と嘉内(追記)—童話「やまなし」

          宮澤賢治の童話「やまなし」は、大正12(1923)年4月8日、「岩手毎日新聞」に掲載された。大正10(1921)年7月18日、上野帝国図書館閲覧室での保阪嘉内との再会と別離を経て書かれている。賢治と嘉内の親交を知ったことから、「やまなし」をこんなふうに読むことも可能だろうか。 まず、かの「クランボン」とは何か。アルファベットで「clambon」として、「clam」は英語で「二枚貝」の、「bon」はフランス語で「良い」の意。「クランボン」とは英語とフランス語の合成(語順が逆か

          賢治と嘉内(追記)—童話「やまなし」

          賢治と嘉内(後編)

          鞍掛山、とし子の死 大正11年5月21日、賢治は盛岡から西へ12kmの小岩井駅に降り立ち、小岩井農場へ向かう。このとき書かれた詩が「小岩井農場」。小岩井駅から小岩井農場へ、さらに賢治が歩みを進めたのは20km先の鞍掛山の麓だった。そこで賢治は「恋愛から宗教的情操の高み」を目指す転身の試みを吐露しているという。 日本女子大学を卒業し、花巻女学校の教師をしていた妹のとし子(本名トシ)が、大正11年11月、24歳の若さで病没。賢治はとし子の魂との交信を求めて、樺太への旅に出る。

          賢治と嘉内(後編)

          賢治と嘉内(中編)

          岩手山登山と電信柱 出会いから1年後の大正6年、賢治と嘉内を含む4人が中心となって文芸同人誌『アザリア』創刊。その夏、二人は岩手山に登る。山頂で日の出を迎えるため、夜中、松明を手に麓を出発。柳沢の放牧場のあたり、柏原にさしかかったとき、嘉内が夜空を振り仰ぐ。嘉内の短歌。 柳沢のはじめに来ればまつ白の/銀河が流れ星が輝く 照しゆく松明の火のあかるさに/牧場の馬は驚きて来る 柏原に至ったとき、不意に松明が消えかかり、二人は代わる代わる松明の熾(おき)に息を吹きかける。賢治の

          賢治と嘉内(中編)

          賢治と嘉内(前編)

          ▼きしやは銀河系の玲瓏レンズ 巨(おほ)きな水素のりんごのなかをかけてゐる 賢治が銀河への旅に託したメッセージとは何だったのか。そこには賢治が生涯を懸けて愛したひとりの男性が深く関わっていた――。 先日来、再生と一時停止、巻き戻しと再生を繰り返しているこのDVDは、宮沢賢治にとっての保阪嘉内(ほさかかない)の存在などまったく知らなかった身には衝撃的な作品だった。ナレーションを要約しつつ再現してみたい。 出会いと芝居『人間のもだえ」 宮沢賢治は岩手県花巻川口町の中心地、

          賢治と嘉内(前編)

          鳥Aves note I-vii

          空と雲の写真とともに、断章詩篇『鳥Aves note』をお届けします。 鳥Aves note I-vii 窓のない紙裏から時折りしろい嘴の先だけあるいは尾羽の先だけ映り込ませる目の見えない雛たち。その子らが偶然にも表にまわることはないにせよその紙背の無垢な柔らかな気配は嗅いでいること。