賢治と嘉内(追記)—童話「やまなし」
宮澤賢治の童話「やまなし」は、大正12(1923)年4月8日、「岩手毎日新聞」に掲載された。大正10(1921)年7月18日、上野帝国図書館閲覧室での保阪嘉内との再会と別離を経て書かれている。賢治と嘉内の親交を知ったことから、「やまなし」をこんなふうに読むことも可能だろうか。
まず、かの「クランボン」とは何か。アルファベットで「clambon」として、「clam」は英語で「二枚貝」の、「bon」はフランス語で「良い」の意。「クランボン」とは英語とフランス語の合成(語順が逆かもしれないけれど)で「良き二枚貝」を意味し、親交を結んだ賢治と嘉内の象徴と考えてはどうだろうか。「クランボン」が「笑う」「かぷかぷ笑う」「跳ねて笑う」からは、若い学生の二人が、山頂で日の出を仰いだ岩手山登山の楽しい思い出が想起される。
それが「死ぬ」「殺される」「死んでしまった」とは、嘉内の放校処分による別離と上野帝国図書館での再会と齟齬により、二人の親交が破棄されたことを表す。そうしてまた、クランボンが復活して「笑う」のは、賢治が気を取りなおし、嘉内との友情を心のうちに温めなおしているからではないか。
この作品で「やまなし」とは、もちろん「(イワテ)ヤマナシ」であり、岩手など東北地方で採れる野生の梨のことだろうが、嘉内の故郷である「山梨」を彷彿させずにはいない。それは「いい匂い」がする。賢治は生涯、嘉内との友情を大切なものとして懐に抱きつづけている。
図書館での再会の日の日記に「宮澤賢治/面会来」と記した後、それを大きく「×」印で抹消し、賢治との関係をいったんは断ち切った嘉内にしても、「農への炎」を絶やしたわけではなく、生涯を青年への農業指導に捧げ、臨終の枕元には賢治からの手紙を置いた。離れてはいても二人は最期まで「同志」であったに違いない。
もっともこのような読みは「こじつけ」にすぎないだろうけれど、「やまなし」はさまざまな読みができる詩的な不朽の名作童話であることに疑いはない。