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ソウルに触れたい

韓国に行ってきた。私にとって初めての渡韓。

海外に行くのは初めてじゃないのに、空港でフライトまで待っている間もドキドキが止まらなかった。

私はいつも飛行機に乗ると周りが全てハリボテなんじゃないかと感じる。またはグリーンバックで、全部が嘘っぱちなんじゃないかな、みたいな。

飛行機自体はちゃんと揺れてるけど空なんて全く飛んでいなくて、周りの景色も何かの拍子ですぐに崩れ落ちてしまうんじゃないか。たぶん映画とかの見過ぎだ。

でもそれくらい現実味が全くなくて、韓国に着いてハングルばかりに囲まれたり誰も彼もが韓国語を話しているのを聞いて、ようやく自分が韓国に来たことを実感した。

今までずっと画面で見てきた世界が、目の前に広がっているのがとても不思議でわくわくした。

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韓国人で素敵だなと思う人たちを主にアイドルを通してたくさん知っているので、私の好きな人たちはみんなここで生まれ育ったんだ、そしてみんなここで今も生きているんだ…!とバカデカ感情になってしまうくらいにはかなり興奮していた。

私はKpopをはじめとする韓国文化にハマる前までは韓国という国に対して特に強い感情はなく、「食べ物美味しそうだよね〜コスメたくさんあるよね〜」というミーハーすぎる感想を持っていたくらいだった。

だけど今では好きな人たちがその国の出身というだけで、韓国に特別な感情が湧く。素敵な人たちが生まれ育って愛しているその国に行ってみたいと思うのは至極当然の考えだろう。

国としての日本との関係性を考えたときにまだまだ勉強して知識を身につけなくてはいけない、とはよく考える。知っておかなければいけない事実はきっとまだたくさんあるはずだ。今回の韓国旅行でそれを感じた瞬間は実際あった。

いろいろな意見があるかもしれないが、好きな人たちが住んでいる国が私は好きだし、実際韓国はすごくとても魅力的なところだと思った。

それに何より、人が温かかった。たくさんの人の優しさに助けられて、無事満足のいく韓国旅行ができた。

これこそ旅行の醍醐味だと思うし、こうやって少し誰かと心を通わせられたような経験を異国でするのが大好きだ。

私たちが電車の乗り換えに苦戦して片言の韓国語で話しかけ助けを求めたお姉さんは、時間があるからとわざわざ一緒に移動して場所を教えてくれた。

素敵な人すぎて感動したし、日本で自分も同じような状況に遭遇したら絶対にこんなふうに誰かに優しさを惜しみなく分け与えることができるような人でいたいと思ったし、こうなるぞ!と誓った。

お姉さんには最大限の感謝を込めたものの一生'カムサハムニダ'リピートしかできなかったので、その後で友達と「こういう時に'助かりました!!'みたいなもっと感謝の気持ちを伝えられる言葉をさらっと言えるといいよね」と話してすぐにその場で言葉を検索した。

ネイティブの人たちが使うのかどうかわからないけど、좋은 하루 보내세요(良い一日を)に辿り着いて、これ今度言おう!となった。

好きな人たちが喋っていることを分かりたくて翻訳アプリを使ったり、現地のお店での会話をスムーズにしたくてネットで調べたりすることはとてもワクワクするしそれだけですごく素敵に思えるけど、こういう時みたいに誰かに感謝したくて、その思いが伝わって欲しくて切実な気持ちで外国語でなんて言うんだろう?って考える時はなんだか特別に心が温かくなる。

誰かの心に少し近づけるような、人の優しさに触れられるようなそんな瞬間は特に旅行する価値を感じて本当に来てよかったと思う。

綺麗事だと、夢見がちだと世間には言われてしまうかもしれないけれど、私は人と人とのこういう関わりがとても好きだしそういう瞬間を大切にして生きていきたいタイプだ。

優しさを分けてくれたお姉さん、今日も元気かな。お姉さんにとって素敵な一日になってたらいいな。

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ソウルに触れたい。

そう感じたのは今回の韓国旅行がすごく楽しかったと感じる一方で、やっぱり旅行するだけではそこに住んでいる人たちへの気持ちは丸ごと理解できないんだ、と感じて少し寂しくなったからだ。

もちろんそんな簡単に理解できるようになるとは思っていない。

実際違う国に住んだ経験はあるけれど、やっぱりどれだけ住んでもその国の住人として100%馴染んでいるという感覚にはなれなかった。

それは良くも悪くも私の中の'日本人である'という感覚が一生消えることがないからだと思う。

電車からソウル市内を眺めて「ソウルってこういうふうな景色なんだ!」とは思ってもそれはその景色を表面的に見ているだけでそこに実際に住んでいる人みたいにある種のノスタルジーとかは感じることができない。

意味わかんないし私がよくわからない見方をしすぎなのもあるけど、そこに長年住んでいる人の独特の気持ちがわかることはきっとほぼないんだろうと思うと何故か無性に寂しくなる。

その人たちが知っている懐かしい景色、匂い、味、音、言葉、そういうものは私が感じることができる感覚とはきっとまるっきり違う。

(余談だけど、これは逆に日本人として日本に住んでいる私にも同じことが言えると思うので、ここ数年は普段からより感覚を研ぎ澄ませるようにしている、見慣れた景色でもそこで見えるものとか感じるものは多分すごく貴重で、きっといつか思い返したくなると思うから…!)

アイドルをはじめ韓国の好きな人はたくさんいるけれど、その人たちのことを好きな気持ちは本物なのになんだか見えない壁で仕切られてしまったみたいで、大好きな人たちが遠く感じる。

推しにリアコなのに、リアコとか言っている場合じゃなくなるくらいどんどん遠い存在になっていく。

他の国でもその国を知った気になって、ふとした瞬間に寂しくなることがあった。それでも私は旅行するのもその土地にある程度住んでその国の人たちの気持ちを味わうのも大好きだ。

寂しく感じることがあると十分にわかっていても、私はまた同じことを繰り返している。きっとこれからもずっとそうなんだろう。

それくらいに海外に行くことは私にとってとても魅力的だ。
私みたいに考えすぎることが多い人はたぶん留学とか旅行にめちゃくちゃ向いている。たくさんの考え方や感情を吸収できて自分が生きていることを実感する。

もっと新しいものを知りたい、それを吸収して自分がどう感じるのか、価値観はどう変わっていくのかを知りたい。

韓国では特にそれをすごく感じた。もっと韓国を知りたいし人々の心にも触れてみたい。

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ずっと帰りたくなかった。

旅行の終わりかけはいつもだいぶ満足してさあ家帰るか〜ってなるのに何故か今回はダメだった。

不思議な感覚で、自分でもなんでそんな気持ちになっているのかよくわからなかった。きっと私はソウルに恋している。

今まで画面越しにその景色を見てきただけなのにその景色たちを何度も見たことがあるつもりになっているのか、エモくなっちゃっているのか、たったの3日間で愛着が湧いてしまったのかどれなのかはわからないけれど、帰りの空港までの道で韓国の景色にどこか懐かしさを覚えた。

ここに住んでいる人たちが感じる懐かしさとはきっと違うかもしれない。

それでもほんのり感じることができたその感覚に口角が上がったし、それがまさに'ソウルに触れ始めている'ということなのだとしたらとてもすごく嬉しいことだ。

きっとまた来る、って直感的に思えた。少しずつ理解できるようになってきた看板に並ぶハングルたちを見ながら。


汝矣島漢江公園で撮った写真。旅行するときはいつも忘れられないような景色に出会うのが楽しみの一つで、まさにこの景色もそうだった。漢江で自転車に乗るナムの気持ちを理解したくて行ってみた。上に書いたみたいにきっとその感覚を全部は理解できていないんだろうけど、ハッとするくらいの素敵な場所だったことはすごく理解できたしずっと覚えていたい。


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