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『酒と泪と男とAI』

「すみません! ハイボール!」
「はい、ハイボールね! もつ焼き、こっちだっけ、おまたせ~、あ、いらっしゃい、ごめんね、今一杯で、あ、外でいい? ちょっと寒いけど、じゃ、お二人さん、外にご案内して~」
やっぱり、いい! 昭和をモチーフにした居酒屋は、連日、昭和生まれの生き残りサラリーマンで大繁盛だ。やっぱり、こうじゃなきゃね、飲み屋ってのは… 令和も終わろうって時にまた昭和がリバイバルとは笑っちゃうね、ホントそうですよね、といつの間にか隣の見知らぬ客とも世間話が始まる。それも昭和、平成流。店員からジョッキを受け取ると、アイダはこの日2杯目のハイボールに口を付けた。
「お宅は例の、つけてるの?」
と一言で気心しれた連れになったように、お隣さんがアイダの腹をみる。
「あ、あれね… 去年、入れました。お宅は?」
「あんなの入れなきゃよかったよ」
とアイダより10は上だろうか、すっかり禿げ上がった頭を抱えてお猪口をあおる。
このところの酒の肴といったら何よりもこの話題だ。
「何にも気にしねえで酒飲みてえよな」
最近の酒飲みのうっぷんを一手に代弁してくれた。そのセリフを待っていたかのように、カウンターの隅の席で昭和風の居酒屋には似つかわしくない電子音が響いた。
『許容量に達しました。本日は終了です』
ガヤガヤした店内がいったん静まり、店中の客が電子音の客に同情の目を向ける。

昔は飲み過ぎると、連れのしっかり者か、店のママか、はたまたカウンター越しの頑固おやじがたしなめた。今はしっかり者もママも頑固おやじもいらなくなった。体が勝手に動かなくなる。体の中に、屈強な番人がいる。AIだ。

人生100年時代から100年現役時代へ突入した今、100年現役でいる事を前提に様々な体内用AIチップが開発された。酒飲みの間でバカ売れしているのが肝臓に埋め込むこのチップ、『酒と泪と男とAI』。昭和のヒット曲に寄せたネーミングにも釣られ、昭和世代ののん兵衛は飛びついた。いや、本人よりも気遣うその家族か。そもそも、この時代、酒のみというのは昭和世代くらいなもので、平成の後半から令和生まれの中間世代に記憶をなくすほどののん兵衛はいない。「のん兵衛」という言葉はすでに死語だ。このチップを入れているのはほぼ昭和世代だろう。昭和世代と言えば、還暦以上の人間で、100歳まで40年、より長く体を壊さずに飲みたい…との事から、一日一日の酒量を割り出し、その日の適正な酒量をこのチップが管理してくれる。リミットを超えると、いかなる場合も強制終了する。冷たい電子音とともに、腕が動かなくなる。下手に抵抗すると、警告の対象となり、3回の警告で一生酒が飲めなくなってしまう。このチップを入れて一年目のアイダもすでに1回の警告を受けていた。

以来、ハイボール2杯というのが、アイダの中の決め事になっている。1杯ではさみしい、が、3杯だと多い気もする。間をとっての2杯、その2杯もいつ制限がかかるか。今日も大丈夫だった、とホッとするようなさみしいような気持ちを手土産に、この日も帰宅の途につく。

「昔はよかったなあ… 」
これもチップを入れたこの一年、口癖のようになった。アイダの学生時代、昭和の終わり頃はまさにコンパの全盛期で、週に何度も宴席があった。クラスでのもの、サークルでのもの、男女でのもの。酒が好きだから、という理由よりも、とにかく集まって騒ぎたかった。コンパが大学以上の学校だった気がする。集団での立ち位置、上下の気配り、会話の術、男女の機微、酔うと本性を現す人間の性… 酒の飲み方はもちろん、生き方の多くを教わった。そんな昭和生き残りのサラリーマンであるアイダにとって、個人個人で生きるていのこの令和の時代は生きづらかった。令和も10年経つと、AI妻が夕食の準備をし、AI板さんが寿司を握り、AIキャバ嬢が水割りを作った。会社でもAI上司とAI部下に挟まれた。中間管理職だけはこの時代になっても人間だった。ただ昔の中間管理職と違うのは気難しい上司とちゃらんぽらんな部下の間を神経すり減らして取り持たなくていいこと。情報伝達がうまくいっているか、を確認するだけのいわば監視員の役割だ。AIを差し置いて人間のやるオフィスワークなどすでになかった。出社して同じ立場の中間管理職の同僚とかわす言葉は、おはようとお疲れ様。楽しみなどなかった。だからみんな、あの昭和の居酒屋に立ち寄るのだろう。オアシスのように。

やっぱ入れなきゃよかったなあ… という考えも、この一年、よくよぎる。アイダはAIを体内に入れたことを、やはり後悔していた。しかし、家族から還暦のプレゼントでもらったものだ。断るわけにもいかなかった。家族が自分の体を心配してくれたことも嬉しかったし、自分をまだ必要としてくれている事も我ながら誇らしかった。期待を裏切れない、とつけたはいいものの、これほどのストレスを抱えるとは思いもしなかった。家族にバレなければ、はずしてしまいたい、それが本心だ。だが、仮にバレないにしても、はずすとなると多額な手術費用がかかる。ボーナス2回分か、とアイダはため息まじりにぼやいた。まだまだ金はいる。長女は嫁いだが、長男は近々結婚する。式はいいのだが、旅行は今はやりの月旅行を望んでいる。ある程度の援助は必要だろう。まあ、それはまだいい。問題は、とアイダは歩を止めた。アイダばかりではなく妻と、そしてアイダ家にとっての大きな悩みの種になっているのは末っ子である次男のコウジだ。コウジは自宅での通信教育で高校卒業の資格を得た。今の時代、それは当たり前になっていた。もちろん、昔のように毎日登校する高校もあるが、それは伝統のある進学校か、格式高い私立高だ。普通の公立や私立はほとんどが通信に代わった。その半数が引きこもりという思っても見ない社会現象を生んだ。コウジもその犠牲者のひとりだった。輝かしいいわゆる青春を仲間と謳歌することも、外で汗を流すことも、夏に真っ黒になることもなく、気づけば成人式を通り越し、すでに20代後半に突入していた。もちろん、長男タカシの結婚式にも出ないだろう。チップを外す皮算用をするとアイダは必ずここにたどり着く。

「金がありゃあなあ…」
言葉に反応して、それに応じたメールが来る。アイダはスマートレンズのメールをチェックする。今はスマートコンタクトが主流だが、それさえも倹約して、今だにメガネ型スマートフォンで我慢している。古いから、傷がついて、メールも読み辛い…。アイダはいったんメガネをはずし、ワイシャツの裾をズボンから引っ張りだしシャツの端でこする。最近増えた、闇医者からの迷惑メールだ。チップを格安で外します、というタイトルから始まる。いつも値段を見てすぐさま消すルーティンが染みついているアイダの右手が止まった。おや、安い、いつもの十分の一だ。しかも名の知れた大手のクリニックだ。このクリニックはこのチップで問題を起こしていた。患者がチップに逆上して、クリニックに乗り込んだ。その汚名返上なのか。それにしても安い。これならば、とアイダは帰宅を急いだ。このスマートレンズからは発注はできないからだ。家の、もう10年は使っている、いや妻のものだからほとんど使ってない、古いノートパソコンを開いた。

デスクトップはもう20年も前か、コウジがまだ中学生で元気だったころ、最後にいった家族旅行の写真だ。青い海のかなたにぼんやり浮かぶ大きな島、それを指さしている子供たちとピースサインの妻、風で帽子を押さえる自分、若きアイダ家の写真だ。もう1回こんな旅ができるのか。まずないだろう、と思いながら、格安チップはずしのメールの予約フォームを書き進める。全てを書き込むとうれしいような、後ろめたいような、不思議な気持ちになった。そもそもこのチップはアイダの還暦のお祝いに家族がプレゼントしてくれたものだ。妻はおそらくこのパソコンで発注したのだろう。デスクトップのピースサインの妻の顔がよぎる。

「あなた、帰ってたの?」
ドキリとした。背後に立っていたのはその妻だった。画面を見られたのだろうか、とっさに前のめりになりながら、パソコンを半分閉じた。
「おお… さっきな… 」
「あのね、たかしの式に、コウジも出るって」
一瞬何の話かわからなかった。
「え、コウジが… なに… 」
「タカシの式にコウジが出るって… 」
アイダはこんがらがった。今、見ていたデスクトップの楽しそうなコウジとたまにトイレに行くときに廊下ですれ違う、頭がボサボサのコウジ、その二人のコウジが一緒にアイダの前に現われた気分だ。振り返りると、ふろ上がりでタオルを頭に巻いた妻が柔らかい表情を見せている。久しぶりにみる妻の笑顔だった。それにしても年をとったな、俺もか、とデスクトップの写真がオーバーラップした。
「タカシの式にコウジが?」
ようやく話を飲みこんだアイダは妻の顔をまじまじと見た。
「そうなの、自分から言い出してね。最近、あの子、昼間、ちょくちょく出かけるようになったのよ」
思っても見なかった明るいニュースをアイダはすぐには受け止められずにいた。
「あ、そうか… 」
妻もおそらくそうだろう、慎重だった。
「式場にコウジの事、伝えといてね。新郎側の家族席、一人増えるって… タカシにもサプライズにした方がいいでしょ」
妻は名案でしょ、としたり顔で寝室に向かった。

そうか、ずっと引きこもっていたコウジが…。アイダは立ちあがり、台所から二階に繋がる階段の元まで行った。階段に一歩、足をかけたが、思い直して、その足を戻した。コウジのいる二階の突き当りの部屋を階段越しに思った。何度も何度もコウジを引っ張り出そうと駆け上がった日々がよぎった。
「そっとしとくか」
中学生のコウジがたった今、部屋から飛び出してくるような、不思議な気持ちにアイダの心はいつしか踊った。うちに帰ってこんな気持ちになったのはいつ以来だろう。台所のテーブルに戻ると、半開きで明かりのもれているパソコンを開いた。コウジも結婚するのかな、できるかもな、とアイダ家にもコウジにも一筋の明るい光が見えた気がした。
「あいつの式でもうまい酒、飲まないとな」
アイダは予約画面を消した。再び映った20年前の家族写真。なぜか祝杯をあげたくなった。今日はあと一杯だけ飲もうか… いや、やめとこう。いつリミットが来るかわからない。コウジが結婚する10年後か、20年後か、いつだろう、その日まではうまい酒を飲めないとな。アイダは酒を飲まないことでこんなに嬉しい気持ちになるのが不思議だった。でも今夜は、飲みたい。アイダは書斎から、ノンアルコールのウィスキーを持ち出した。最近発売され、試しに、と買っておいたものだ。キャップをあけると、ウィスキーとなんら変わらない、モルトの香りが飛び出した。一丁前に、と笑い、ロックグラスに半分ほどついだ。デスクトップの写真を見ながら、一口あおった。
「まずい」
まずいが、うまかった。久しぶりにうまい酒を飲んだ。パソコンを閉じた。今日は寝られるだろうか、とそのまずいウィスキーとまたちびりと舐めた。
 
              【おわり】


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