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発達障害息子の今日は支援級最後の懇談の日だった。

息子は3年生で、発達障害が原因で自信を失い、不登校になりかけた。当時は無気力状態になっていて「何も出来ない子」と言われていた。通常級は諦め、支援級に移籍したら毎日学校に通うことができた。さらに4月から6年生で通常級に戻れることになり、今日は支援級最後の懇談の日だった。

支援級で2年半かかって、やっと心が回復し、成長もした。だけどその過程は、息子の状態に波があったので、どうしたら情緒が安定するのか、私も先生も苦労や心配の連続だった。通常級復帰は無理かもと迷いつつ、でもついに通常級復帰が現実になり、「やっとここまで来れましたね。」「いろいろ大変でしたが本当に良かったですね。」と言い合った。懇談の内容は、今までの振り返りと6年生で配慮した方が良いことの確認だった。

1学期ごろはまだハードルが高かった。

1学期ごろは心が乱れることがよくあって、普通級に戻るには、まだまだハードルが高すぎるように感じていた。2学期、3学期と色々な課題や行事を経験するうちに、どんどん息子にも自信がついてきて、普通学級にお邪魔する交流学級に行く回数も増やすことができた。交流先の仲間にもうまく馴染むことができた。先生の力も大きかったように思う。「息子くんが頑張っただけです。」と言っていたけど、明るい若い女の先生で、声も頻繁にかけてもらえたので、存在を認めてもらえた実感があったのだろう。受け入れられている。こう思えることが何よりも大事なんだと思う。

配慮して欲しいこと

文字を書くことが苦手で時間がかかるので、宿題やドリルは量を減らしてもらうことをお願いした。グループでの話し合いなども自分の考えを伝えることが不得意で慣れていないので、様子を見て欲しいことと、持ち物の管理ができないので、サポートがいるかも知れないということ。特性については私からも新しい先生に説明するつもりだが、支援級の先生からも申し送りをしてもらえるとのこと。でもどこまで対応してくれるかは、次の担任の先生次第ということになる。

普通級で苦しんでいる子は多い。でも対応は難しい。

どうしても聞きたかったことがあった。3年生の時その時の担任はもう学校にはいないが、なぜ息子は笑顔を失い「死んだ方が良いのかな。」と訴えるほど、傷つかなくてはいけなかったのか。今でも悲しくて、思い出しては、なぜなのかと悶々と考えてしまうと伝えた。

先生として、一般的に、急いではいけないと言われるとのこと。子供にはペースがあるし、力を溜める時間も必要なことがある。待たなくてはいけない。特に息子は成長がゆっくりなタイプで、当時はまだ心も育っていなくて、確かに環境が合っていなかったのだろうと。とはいえ、普通級以外には校内にフリースクールもなく、別室登校ができる環境がない。結局支援級を最終的に選んだが、選べなくて普通級のまま、苦しんでいる子は多いのだろうと言っていた。普通級の先生としては子供の苦手を把握して、そこをサポートすると言う姿勢が大切だと思うが、なかなか気がつけないこともあるとのこと。原因としてはやはりひとクラスの人数が多すぎることだと言っていた。理想としてはひとクラス15人くらいでさらに担任を持たない先生がサポートに入れるような体制が良いのだが、そこら辺は制度の問題になってくるのでなんともし難い。ましてや今は反対に先生が足りないという状況にある。

しかし、息子はこの2年でかなり成長した。集中力もついた。人に対しての優しさも育った。何よりも学習に対する意欲が湧いている。自分の特性を理解して説明もできる。そこに劣等感を抱かないので心も強くなった。同級生に比べて、まだまだだ不完全なところはもちろんあるけれど、本当に頑張った。先生も私も一喜一憂しながら頑張った。

振り返ると葛藤の連続だった。

普通級にこだわって、無理をさせてはいないか。障害者手帖はないので、いずれは支援のない場所で過ごさないといけない。だとしたら、心を守るばかりではなく鍛えることも必要だと、心を鬼にすることもあった。でも、やりすぎてはいないかと不安になる。普通級に戻すことが果たして最善か。勉強のスピードが早くて難しいせいで、疲れすぎて気力体力が追いつかないのではないか。それでも普通級に戻ったら、もう後戻りはできないと怖くなる。

でも、今はいろんなタイプの友達がいて楽しいそうだ。世話を焼いてくれる子もいるらしい。顔が明るいのできっと正解だったのだろうと思いたい。

最近思う。子育ては迷っているくらいがちょうどいい。どのみち正解はないのだから、自分の考えを信じて疑わないことは、子供を型にはめて苦しめてしまうのだろう。

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