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うらやむ

お風呂に入りながら本を読む習慣はいつ身についたんだろう。昔は、身一つでお湯と石鹸と自分の体とだけ向き合っていた。早く風呂を出て本を読みたかったから、両親から烏の行水だねと笑われたこともあった。今は、体を洗った後、湯船に浸かるタイミングで手を拭いて、本かスマホを持って湯に浸かる。

確か、今のパートナーと暮らし始めた頃からの習慣だ。同居し始めた頃、あまりにパートナーが長風呂なので驚いた。彼女はいつもスマホを風呂に持ち込んでいた。

「実家にさ、お風呂で本とか読める台みたいなのあるよ。あれ便利だから今度持って帰ってくるよ」

そうして彼女が持ち帰ってきた所見台は、透明なプラスチックと銀色のフレームでできていた。風呂の端から端に渡すと、上にものが置ける。湯や蒸気で本が濡れそうで抵抗があったけれど、興味本位でやってみたら思っていたより本の形への影響はなかった。本を持って入れば、自然と長く湯に浸かることになり体が芯から温まる。リラックスしながら本を読み進めることができる。次第に所見台を使わなくともうまく本を読めるようになって、パートナーに文句を言われるほどの長風呂になることも今では少なくない。

今日も、湯に浸かりながらエッセイを読んでいた。途中、作者さんが結婚する描写があって、読むのを一度やめていた本だった。結婚は、嬉しいことだ。けれど、親に結婚の報告をして、友達に証人を頼んで、という幸せな光景がするすると展開されてゆくのにモヤモヤした。私は、どれだけ仲が良くても長く付き合っていても、パートナーと結婚することはできない。同性だから。

気を取り直して、今日はその少し先から読み始めた。やはり文章のリズムやユーモアが好きだ。心地良く読める。しばらく進むと、友達との会話が出てきた。コロナ禍を経てしばらくぶりに会う友人たちとの会話は、子どもを産むかどうかの選択についてだった。作者は過去の友人との出来事を思い返す。大人になってゆく感慨と、人生の選択肢についてしみじみと語る。

寂しくなってしまって、本を閉じた。

作者さんは、何も悪くない。ただ、身の回りに起こっていることや、感じたことを日記として素直に書いているだけ。なんなら、恋人のことをパートナーと自然に書いてくれている。配慮に満ちて、優しい。

でも、私は結婚できないし、子どもを持つことを考えるような余地すらない。このエッセイに出てくる人たちはみんな、それぞれに人生に悩んで乗り越えてきているけれど、私たちのように、政治家や見知らぬ匿名の誰かから毎日毎日暴言に近い否定の言葉を浴びせられたり、表に出ず隠れていろと言われたりはしない。差別としか言いようのない理不尽な経験を沢山してきているのに「差別なんてない」と無視されたりもしない。そういうことで怒りや悲しみに駆られてSNSから目を離せなくなって時間を浪費したりもしない。全てが嫌になって布団にくるまって鬱々とした夜を過ごしたりもしない。日本から出ていくことをいつも考えなければならない状況に置かれたりしない。

それって、ずるい。私も、自分の人生の選択肢と家族と大切な人のことだけ考えていたかった。暴言や無視や法律で守られないことで削られて消えてゆく時間を、自分の人生を豊かにすることやしっかり休むことにあてたかった。

そうして、妬み嫉みの感情を持ってしまった自分に対して、自己嫌悪する。

別にこの人たちは何も悪くない。悪いのは、政治や、社会のあり方だ。そう自分に言い聞かせながら風呂を出る。

脱衣場の鏡に映る自分の姿は、年相応に体の線が緩み、肌のツヤが失われつつある。今の自分の姿が、自分の人生の中で一番好きだけれど、それでも年齢を重ねつつあるという自覚は鏡を見るたび強まる。もう、私も、中年になってしまった。もうすぐ、三十六歳。若くはない。二十歳の時から付き合っているパートナーとは、同性だからというだけで結婚できないまま、歳を重ねてゆく。このまま、定年を迎える年になって、老後をふたりで過ごして、何もなければいいけれど、きっとどちらかが病を得るし、最後は死ぬ。その時、私は法律上彼女にとっての何者でもなく、赤の他人だ。彼女の死亡届を出すことも、葬儀で喪主になることも、多分できない。もしかしたら病室に入れてもらえず死に目に会えない可能性だってある。

理解増進法なんていう、実効性の薄い理念法であってもここまで揉めて、作られる過程でたくさんの当事者が傷つけられて疲弊しているのだから、私かパートナーのどちらかが死ぬまでに同性婚ができるかどうか、わからない。想像するだけで、奈落に落ちてゆくような気分になる。

こうしている間に、たくさんのLGBTQs当事者が間に合わず、亡くなっている。病気かもしれないし、自死かもしれない。無念の中でひっそりと消えていった命がいったいいくつあるだろうか。一刻も早く、法整備がされることを望む。

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