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憧れの大人に近づいた日

高校生の頃に抱いた「理想の大人像」に、私自身が一歩追いついたエピソードです。ただの思い出話なので、カフェで友達からたわいもない話を聞いている気分で読んでもらえたら嬉しいです。

背伸びした思い出の街

知り合いの20代半ばの男性(以下、お兄さん)に誘われ、高校生で初めて訪れた代官山駅。シンプルで洗練された服や雑貨が並び、どの店でもその飾り気のない見た目からは想像できない値札に驚いたことをよく覚えている。この街での楽しみ方はわからなかったけど、年上の遊び方が知れることにドキドキした。これが大人の世界か、密かにいつか理解できるようになりたいと思ったのだった。

18歳の私

渋谷109の派手めなギャルファッションに身を包み、冬でもスタイルが良く見えるミニスカートとニーハイソックスは定番だった。レースの小物やキラキラのアクセサリーを買い足していかに可愛く盛るかに注力していた。一人っ子の私にとって同世代の女友達とギャル雑誌が主な情報源で、当時大流行していた109ファッションは揺るぎない正義だった。

壊れる価値観と大人像との出会い

お兄さんは慣れた様子で店に入って行く。何枚かの服を手に取って「こういう服は着ないの?似合いそうなのに」と提案された。無地のカットソー、ブルーデニム、生成色の大きめシャツ…… どうやっても可愛く着こなせそうになかった。

服屋巡りの途中、ボーダー服だらけの小さな店に入った。ウォーリーのクローゼットのような専門店の存在は、私にとってとても印象的だった(注:悪口じゃないです)。部屋着でしか着なかったカジュアルなボーダー柄も、日本屈指のおしゃれタウンの常識だと言われたようで複雑な気持ちだった。その日はカルチャーショックに打ちひしがれ、自分とは好みが違うと反発したり、どこかで変わらないといけないのかと思い悩んだりしたけど、時間を経るにつれて悩みは忘れ去った。

大学生になると、ハイファッションの世界では「究極の普通スタイル」と呼ばれるノームコアが流行り始めた。国際系学部で海外の情報に触れる機会は多かったし、ファッション文化の授業を選択していたので、シンプルな服装をかっこよく着るモデルやセレブの姿が自然に目に入るようになった。美男美女は白いTシャツにデニムだけなのにかっこいい。今しかできないファッションを楽しんだ後、いつか上質でシンプルな服が似合う大人になろうと腑に落ちた記憶だけは鮮明に残っている。

再会

私ももうすぐ31歳になる。クローゼットの整理をしながら、ユニクロばかりでいいのか?いい歳の大人なのに上質なものを持たないのか?と自分に問いかけていた。着回しや着心地を考えるとユニクロは好きだけど、カジュアルでも上質なものも手元に持っておきたい。そう、高校生のあの時から10年以上が経って、ついに時は満ちたと思った。

曖昧な記憶を頼りにGoogle検索すると、見覚えのある2階の店は今も代官山にあった。あのボーダーだらけの店の名前は、セント・ジェームス。

蘇る記憶

代官山駅からすぐ近く。店までのほんの数分で、お兄さんの横でドキドキしていた高校生の気持ちが一気に蘇った。店名も覚えていなかったけど、ここは確かに「私の憧れの大人像」のタネを形成した場所だった。私は帰ってきた。

すっかり代官山を歩いても違和感のない年齢になったし、少し高い服を買うだけのお金もある。店に入ると、あの頃のドキドキは消えて私は店に馴染んでいた。サイズは少し迷ったけど、すっきりしたデザインなので決めやすく無事に購入。スタイリングは、Instagramでハッシュタグ検索をして参考にしていこうと思う。

無事のボーダーシャツの儀式を終えて、私は心の中であの頃の自分に話しかけた。少しはこのボーダーが似合う大人になれてるかな。

世の中は若さが重宝されるけど、私は歳を重ねることもいいなと思えてきている。これからももっとやれることの幅を広げて、素敵な大人を目指していきたい。

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