なぜ今までASDに気づけなかったのか?

なぜ最近になるまでASDっぽいということに気付けなかったのか考えられる理由がいくつかあります。

  1. 職場環境と育った環境が(たぶん)特殊だった

  2. 問題が起こっても学習して対応できてしまった

  1. 職場環境と育った環境が(たぶん)特殊だった
    まず環境が特殊だったように考えています。教員の大学での仕事の1つは研究です。研究を進めるには合理的な判断がどうしても求められます。論理的にこうだからこの手法を試すべきかなどなど。コミュニティ内でこういった判断を繰り返すため、(合理的でない人が淘汰されていった結果として)合理性に特化した人間が増え続けてしまいます。つまりアカデミアは空気が読めない、相手の気持ちがわからなくても「普通」な環境になっているのだと思います(誰かを批判する意図はありません)。だから僕は他人の気持ちがわからなくても違和感を感じることなく生活を続けてしまえたと考えられます。育った環境も特殊だったと思います。出身の大学はASDの割合が高いとされており、空気の読めない人や会話が難しいなと思える人がいるのが当たり前のように思えていて、仮に当時それらしい言動があったとしても自分自身の会話には何の疑問も持ちませんでした。

    僕は中高一貫校の出身で、出身校は校則などのルールが一切ない(して良いことと悪い事は自分で判断しなさいという方針)素晴らしい学校でした。理不尽なルールを押し付けられることなく伸び伸びと生活できていました。幸運にも勉強は好きだったことと進学校で勉強中心の生活だったことがあって学校では真面目な生徒でいられました(でも目立つタイプではなかった)。もし校則などが厳しい学校だった場合、もっと早い段階で生きづらさを感じていたのではないかと思います。

  2. 問題が起こっても学習して対応できてしまった
    学習してASDに関わる問題を回避し続けてきたと考えています。例えば「空気が読めない」というのは「空気が読めない発言をしてしまう」ことで問題が明確になります。しかし発言をしなければ一見して空気が読めていることになります。僕の場合、集団で会話しているときに空気を読めない事を考えている事が多々あります。楽しく雑談をしているときも「話面白くないからこの雑談終わってくれないかな」「研究のあれどうしよう」とか気が散って考えてしまいます。たぶん昔に発言をして微妙な空気にしてしまったことがあったのだと思います。いつしか「余計なことは喋らない」と対策をし、何か他の事を考えてしまっても喋らないようにしています。つまり空気が読めているふりをしているだけ。。

    予定していないこと起こるとめちゃめちゃパニクります。これに対しては想定外のことが起きえないような準備をするようにして対策をしてきました。ほぼ全く準備していないプレゼンやスピーチで大失敗した経験が数回ありました。この経験から「自分はかなり準備しなければ人前に建てない」と考え、発表の尋常じゃない程前から準備をするようになりました。今思えば想定外のことに対応できないのは、ASDの典型的な症状だったようです。

    勉強や仕事にも熱中するタイプでした。大学院生のときに何だか体調がおかしかったり、将来が不安になったりして精神的に少し不安定だった時期がありました。夜遅くまでカリカリ研究をしていたのにうまくいかず気分が落ち込むことが増えてしまっていたので、「やりすぎは良くない」と考え直し「研究は朝早起きして夜○時まで」とルールを決めて生活するようになり、対策として仕事をセーブする術を覚えました(仕事をセーブしても許される環境にいることが幸運でした)。このように学習する事で対応できる事が結構あって乗り切れてしまったことも、今まで表面化してこなかった理由の1つと考えています。

    奥さんには「ステルスなASDだね」と言われています。

    (対応できてしまったことから、ASDで苦しい思いをされている方々と比べると症状は軽く、このような記事を今後書くのが適切ではないのかもしれません。もし不快に思われてしまいましたら大変申し訳ありません。また自分のことをASDだと言っていますが、診断を受けたわけではありません。)


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