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前夜

前回noteに文章を残したのは4月の半ば。それからほぼ3ヶ月、コロナ禍で変容した日常の中で、積極的に文章を書く気持ちになれずに今日まで過ぎてしまった。

そして今日、何かを書き留めてみたいと思わせてくれたのは、またしても音楽の力だった。

今日は在宅勤務で、朝からメールを読んで書いて送って、ZOOM会議をこなして、3時ごろ一区切りで、夕刻の地球の裏側とのZOOM会議の前に気分転換にコーヒーを淹れて、こんなの聴いていた。

PIZZICATO FIVE/スウィート・ソウル・レヴュー
https://www.youtube.com/watch?v=8nv2wE1nu-E

こんなの聴きながらネットをうろうろしていたら、つい最近になってこんなアルバムが出ていたことを発見。

PIZZICATO ONE「前夜」
https://music.apple.com/jp/album/zenya-pizzicato-one-in-person-live/1517730955

PICCICATO ONEとはつまり、PIZZICATO FIVEのリーダーだった小西康陽のソロ作品。昨年10月の台風の夜に行われたライヴ盤を、このコロナ禍の渦中にリリースしたと。しかもこれは彼が初めて全曲自分で歌ったアルバム。

その内容、作った時の心境、その後の世界の激動、それらを合わせると「前夜」というタイトル以外にはなかったのでしょう。

このアルバムを聴いて真っ先に記憶に蘇ったのは、細野晴臣のHOSONOVAというアルバム。そのアルバムもレコーディング直後に311の大震災と原発事故が発生し、街が静まり返っていた時に発表された。私が初めて聴いたのは発売直後の4月の週末、当時中学生だった長男を連れて東京のキラー通りにあるワタリウム/オン・サンデーズを冷やかしに行った時、その店内でHOSONOVAが繰り返し流れていたのだ。

HOSONOVAも全曲細野晴臣の朴訥としたヴォーカル。「前夜」も小西康陽の決して上手いとは言えない歌。

災禍でエネルギーを奪われた街で、本来歌手ではない音楽家が敢えて自分で歌うアルバムが、歌うという意味が、意図せざる形とは言え、聴き手により強く訴えてくるような状況で世に出たのは、偶然なのだろうか。

小西康陽が語るPIZZICATO ONEのライブ盤『前夜』
「自分で歌うレコードはいつか作りたいと思っていました」
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25386

コロナ禍の「前夜」の演奏を聴いて、その演奏に至った心境を読んで、もう一度PIZZICATO FIVEを聴くと、小西の「前夜」がコロナ禍の前夜だとしたら、PIZZICATO FIVEの全活動は21世紀の前夜、つまりまさに世紀末だったのだなあと思う。何故ならPIZZICATO FIVEの音楽には20世紀のおよそありとあらゆる音楽の要素が凝縮されているから。

PIZZICATO FIVE/悲しい歌
https://www.youtube.com/watch?v=3rPUk8L50kg

コロナ禍が、来るべき希望にあふれた時代の前夜であることを願います。

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