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なぜ、写真を撮っているのか、改めて考えてみた。

最近は、Wasei Salonの限定公開でしかブログを残していなかったので、たまには外部投稿で記録を残しておきたいと思った。

考えたことは、数年後、いや、数日後でも忘れてしまって、ちっぽけな悩みもとても嬉しかったことも、よっぽど思い出にならないと、こぼれ落ちていってしまう。

だから、少しでも記録していきたい。

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2013年、何を撮っていたのか、カメラに出会った頃。

次の誕生日を迎えると、ついに写真を始めて10年を迎える。15歳、高校1年生の春、なけなしのお小遣いを握って、初めてヤフオクを開いて「Pentax K100D」を購入したことを覚えている。たしか、2万円代で買えた。

当時は、フルサイズとかAPS-Cとか、画素数とか全く分からなくて、価格ドットコムをひたすら漁って、限られた予算の中で手に入れた。

初めてカメラが届いた時の感動は、何にも変えがたかった。今思えば、電池式だし、画質はそこまでよくないし、すごく不便だったけれど、当時の写真も全然残ってないけれど、撮るという感覚をこの手に残してくれたのは、2台目以降のカメラには敵わないものがあった。

高校に入学して間も無く、写真部に入って、フィルムを始めて、暗室にこもって、酢酸の匂いの中でradwimpsを流して、カシャカシャと巻き取り現像して、何枚もプリントした。

それこそ、あの当時の写真をもっと残しておけばよかったな。でも、高校生にはカラーフィルムを買って現像するお金もそこまでなかったから、学校でもらえるモノクロフィルムを自家現像するしかなかった。スキャンももちろんできない。これは限られたカラーフィルムで撮った写真。

接写距離とか分からなかったし、1本のフィルムを使い切るのに時間をかけていたから、ところどころ色も変色してしまっている。でも、そこに一生懸命だった。もう、この時間が戻ってくることはない。10年も経ってしまうのか。

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時は変わって2022年。今でも写真を続けている。いつの間にか、写真を仕事にするようにもなった。だけど、10年前と違って、今では誰でも簡単に写真が上達できるサイトやコミュニティが揃っているから、本当に恵まれているなと思う。2-3年前にカメラを初めて買った人がウェディング撮影なんかをできる時代になった。

自分が写真を撮る意味をますます考えさせられる。唯一、携えているものは、いつも、側にカメラがあった10年という時間は、考え続けた頭の中は、亀みたいに成長は遅かったけれど、大切なものだった。

とはいえ、写真が上手い人は山ほどいるこの時代に、「やっぱり、私が写真を撮る理由」を考えたかった。

2022年、何を撮っているのかの記録

仕事ではデジタル、プライベートでは専らフィルムで撮影している。最近は、samuraiというハーフカメラがスマホ写真代わりになっている。

ハーフカメラ、35mm、中判と、いつもカメラでリュックがいっぱいになっている。ランドセルがパンパンに詰まっていた小学生の頃と変わらない。

eos630 / color plus 200
eos630 / color plus 200
Nikon FE10 / lomo 400
fuji 645s / PRO160ns


それでも、「なぜ」撮るのか。

もう、生活の一部だからと言ってしまえば、それまでだけど、今のわたしが何を感じているのかは、未来のわたしでは覚えていないだろうから、ここに残しておきたい。

「今、ここに存在するというのは限られた時間でしか成り立たないから。」

10年の間に大きく変化したことは、身近な人との別れをいくつか経験したことだと思う。高校生の頃は、周りにいる人は、好きなものは、場所は、いつまでも続くものだと思っていた。

だけど、祖父母が亡くなって、親友が結婚して、身内と突然の別れがあって、何度か引っ越しをして、旅をして、多分、もう会わない人と一夜限りの晩餐をして、好きな国で突然クーデターが起こって、カーテンは掛け変わって、お気に入りのコーヒーサーバーが割れてしまって。

後悔してからでは、もう手遅れなのが写真に残すことだった。いつも手遅れだった。もっと早くカメラを持っておけばよかったと、あの時写真を撮っておけばよかったと何度も思った。

どうせ毎日のことだからと見過ごしてしまう時間も、実は案外限られていて、1年も経てば、無くなってしまう。朝焼いた目玉焼きも、ハマっているホットサンドも、通い詰めた土地も、そこにあった恋や愛も、自分の頭の中から消えてしまう日はいつか来る。

終わりを意識するようになってから、本当によく「つまらない写真」を撮るようになった。

20年近く見てきた実家を残ったフィルムで撮った。今は、何の変哲もない「つまらない」写真。これらがいつかかけがえのない写真になるという淡い下心もないではないけど、それならもっときれいに写真を撮るだろう。つまらないままに、撮った、そのことがとても重要だった。

あと、フィルムで撮ると、ネガが「残ってしまう」ことも好き。上手いも下手も、好きも嫌いも、そこにあったと記録される。

それこそが人生のようで、儚くて弱くてとても好きだ。

初めて東京に行った時に撮った写真。今見れば下手くそだけど、多分、この写真は今の私は撮らないだろう。もう見慣れてしまったから。なんなら、逆光だなとか色々考えてしまって撮らないだろうし。

つまらないものをたくさん残したい

今回、書いていて、なぜ、今、わたしが写真を撮っているのか、過去の写真を見返して気付くことができた。

写真を撮る理由は年々変化していく。きっと来年は違うことを考えている。そんな自分の頭の中も一緒に写していけたら嬉しい。

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