電話演劇とその分身
はじめに
2020年7月、わたしたちは途方に暮れていた。
当時、コロナ禍という誰も経験したことのない出来事を前にして劇場はその扉を閉め、数多くの劇団が公演を中止せざるを得なくなった。わたしたちも例にもれず、20年秋に予定していた公演の中止を決定し、活動の目標を失っていた。けれども、それが原因で途方に暮れていたわけではない。
これまでのような公演活動ができなくなった一方、多くの演劇の作家たちは「何かをしなければ」という焦燥感を抱えながら、劇場を使わなくても実施可能な「オンライン演劇」に着手していた。そんな世間の雰囲気に流され、わたしたちもオンライン作品を作れないか、と考え始めていた。途方に暮れていたのは、この新たな試みの実験を開始した矢先のことだった。
オンライン作品をつくるにあたって、いくつかの候補の中から最も可能性を感じたのが、サミュエル・ベケットによる戯曲『NOT I』だった。「口」と「聞き手」を登場人物とし、「口」が、その生い立ちらしきものをまくし立てるこの不条理劇は、『ゴドーを待ちながら』や『しあわせな日々』と並び、ベケットの代表作のひとつとして知られている。特に、彼自身のディレクションによってBBCテレビで放送された、口だけが大写しになった映像は、身体の一部分だけを切り取って映し出す奇妙さと、粘膜の持つ官能性、そして、圧倒的な速度の発話を生み出す唇の運動が見る者に対して大きなインパクトを与える。この戯曲を、舞台上からウェブ会議ツールであるZoomに置き換えて上演できないか? そもそも、サミュエル・ベケットは、小説家としてそのキャリアを出発し、戯曲を書き始めたのは46歳の頃。以降も舞台作品のみならず、ラジオ(『残り火』『カスカンド』)やテレビ(『ねえ、ジョー』『クワッド』)など、さまざまなメディアに向けた作品を手掛けている。もしも、ベケットが存命であれば、インターネットを使った作品を手掛けないはずがない。
そんなことを考えながら、物は試しにと、かもめマシーンに所属する俳優・清水穂奈美に台本を渡し、Zoom越しに口だけを映し出し、テキストを声に出してもらうことから、その稽古は始まった。
けど、それは全くおもしろくなかった。
いったい、なぜ、こんなにもおもしろくないのだろう? スクリーンに映し出される口の映像を見ても、なんだか興味をそそられない。リアルタイムで行われているはずなのに、感覚的には、どこか自分とはまったく関わりのない次元で行われているようだ。そもそも、ベケットの言葉はわかりにくく、意味を追いかけることすらも困難。台本を初めて手にした俳優の音読は、往々にして意味が不明瞭になりがちだが、こんなにも聞いていることが耐え難いことも珍しい。
つまり、オンライン演劇を作ろうとしたら、あまりのつまらなさに途方に暮れてしまったのだ。
もちろん、あくまでも実験なのだから、つまらないことは問題ではない。問題はなぜつまらないのか、であり、これが「おもしろいもの」になり得るのか、だ。
いや、その前に、配信を活用したオンライン演劇は「おもしろい」のだろうか?
パンデミックの発生以降、いくつかのオンライン演劇と呼ばれる作品を見た。いや、正確に言えば、見ようとした。しかし、少数の例外を除いて、そのほとんどが5分として見続けることができなかった。
劇場で観客席に座っているとき、観客は、黙って舞台上のものを見つめなければならないという暗黙の了解がある。暗い客席に固定され、身動きもとれず、私語も禁じられる。そのようにして日常の時間を離れ、観客席に身体を縛り付けられているからこそ、テレビやYou Tubeをはじめとする他のメディアよりも緩慢な時間の流れや、劇作家の書くわかりにくい言葉遣いを受け入れられるようになる。けれども、雑多な情報に溢れる家庭内では、日常の時間の流れから離れることは難しい。スクリーン上で行われていることに対して少しでも興味が削がれると、うっかりとブラウザを立ち上げて別のコンテンツを閲覧したり、部屋の片付けをしてしまうのだ。
もちろん、「オンライン演劇は演劇ではない」なんて言うつもりはない。でも、オンライン演劇が「演劇」なのだとしたら、これまで劇場で行われてきた演劇とは、「演劇」という言葉が名指すもの、そして、その演出、演技、ドラマツルギー、そして観客席のあり方も全く異なるものになって然るべきではないだろうか。
そもそも、わたしたちが、じっとしている/ 息を潜めている/音を立てない「観客の身体」を手に入れたのはこの150年あまりのこと。外界からに閉じられた劇場、真っ暗な観客席、飲食を禁じられた場で大勢の人がひとつの舞台を楽しむという「不自然な」形式は、長い演劇の歴史から見ればほんの最近のことにすぎないし、そこで培われてきたルールも、「西洋演劇」という狭いカテゴリにおけるローカルルールでしかない。歌舞伎であれば大向う(掛け声)が聞こえるのが当たり前だし、民俗芸能を見ている観客は好き勝手に喋ったり酒を飲んだりしている。観客が黙ってじっとしていることに「普遍性」はないのだ。
オンライン演劇の観客席には、観客席の暗闇も、身動きが取れないように身体を縛り付ける椅子もない。迷惑をかける他の観客がいないのだから私語も自由である。寝間着を着たり、自由にうろうろすることもできる居心地のいい日常において、わざわざいくつもの制限がかけられた「観客の身体」へとモードチェンジする必然性はないのだ。
それにも関わらず、多くのオンライン演劇は、従来型の「観客の身体」を要求する。観客は集中し、没入し、あたかも、そこが劇場の観客席であるかのようにおとなしく座って見ることを求められる。わたしのように怠惰な観客がオンライン演劇に飽きてしまうのは、このように、自らの視聴環境に対して最適な席がデザインされていないからではないか。実験として行った『わたしじゃないし』のつまらなさは、そのような理由だったのだろう。
暗闇に座りじっとしている行儀の良い「観客の身体」ではなく、注意力が散漫な「日常の身体」に向けた作品をつくる。オンライン演劇をつくるとは、既存の「劇場空間」にも「観客としての身体」に依拠せずに演劇作品を届けるという、演劇の本質に触れる作業なのだ。そして、それは、きっと既存の「演劇」の枠を脱する最高の機会にもなるだろう。150年前の演劇が異なった形をしていたように、100年後の演劇はきっと別の形をしている。「オンライン演劇」というテーマを設定することによって、100年後の演劇の形を夢想することができるのだ。
いったい、未来の演劇は、どのような形をしているのか? そこで、わたしたちが選んだのが「電話を通じて演劇を行う」という形式の実践であり、「声だけで上演される」「観客と俳優が1対1で行う」演劇だった。その理由を説明するため、まず、かもめマシーンが何を「演劇」と名指してきたのかについて記述していこう。
電話を通じて描かれる身体
わたしたちは、これまで「身体」を軸としながら演劇作品をつくってきた。
俳優たちが役を演じることでひとつのストーリーを表現するのではなく、舞台上に存在する身体を通じて、誰もが持たざるを得ない/持ってしまっている身体の可能性を表現すること。そうして、観客席と舞台上の身体が共鳴する感覚を引き出していくこと。そのため、身体といっても、筋力を高めることで身体を自由に取り扱うのではなく、自分のものでありつつも思い通りにいかない身体と向き合いながら、それとの付き合い方を探してきた。
そして、わたしの身体が自分であり、自分でないというゆらぎを含んだものと捉えるとき、物理的な身体だけではなく、動きとしての身体だけでもなく、自分だけではどうにもままならない感覚としての身体が問題となる。たとえば、今着ている洋服と自分の皮膚との間の空間は身体の一部であるからこそ、そこに手を入れられたら不快な気持ちになるし、毎日持ち歩いている携帯電話は、すでにわたしの身体の一部と化しているから、それを触られるとモゾモゾとした感覚が湧いてくる。内側から湧き上がる身体感覚は、皮膚という物理的な身体の境界をいとも簡単に越境していく。
だが、身体は、そんな「内側」だけでできていないから厄介でありおもしろい。
身体を取り巻く「外部」もまた、わたしたちの身体を構成する要素となる。例えば、静けさが保たれる空間では物音を立てないように身体を用いるし、快適な気温に身を置けばどこか開放感を感じられる。その他にも、箸で食事をする、畳の上で靴を脱ぐといった文化的なコードや死者に花を手向けるような宗教的な振る舞いなども「外部」として身体に影響を与えるものだろう。
わたしたちの身体は、物理的なものだけで成り立っているわけではなく、内面的なものだけで成り立っているのでもない。身体の内部から皮膚を越境する感覚と、身体の外部から働きかける圧力。そのふたつがせめぎあい、均衡を保った場所に、「身体」の境界線は引かれる(もちろん、それは状況によって、関係によって、関わりによって常に揺れ動く)。
そして、この「外部」の中でも、特にわたしたちが中心的に扱っている概念が、もうひとつのキーワードとなる「公共」である。
「公共交通」「公共料金」といった言葉で知られる「公共」という言葉。それまでは、別の言葉との複合語としての用法が多かったような気がするが、00年代から「公共」という言葉単体で使われることが多くなってきたように思う(例えば『「新しい公共」推進会議』が内閣府に設置されたのは2010年)。そして、東日本大震災を経て、この言葉は積極的に使われるようになっていく。震災後の数年は、地震・津波被害、原発事故を受けて、わたしたちはこの社会をどのように設計していくのかがしきりに議論されていた時代であった。演劇や芸術においても、自分を含め、多くの作家たちが個人的な領域への関心から「社会」という領域に対して手を伸ばし始めた。
そのような文脈から「公共」という言葉が積極的に使われるようになったにも関わらず、その単語の意味は、どこか漠然としていて手応えがない。いくら「公共」という言葉を使っても、どこか実態を感じることができない(まるで「みんなが言ってるよ」というときの、存在しない「みんな」のようだ)。いったい、この実感のなさは何だろう?
しかも、現代演劇の世界では、「演劇には公共性がある」ということが(少なくとも表面上は)自明のものとされ、この理屈を前提として組織される芸術文化振興基金やアーツカウンシルからの助成金が不可欠となっている。演劇は、観客に対して考える材料=問いを投げかけ、その問いを受け取った観客たちは議論しこの社会を発展させていく。90年代に助成金システムが整備され、00年代以降広く議論されるようになってきた演劇の公共性の前提にはこのようなモデルがある。だが、芸術が「不要不急」と表現される日本の社会において、そのような論理に対して、社会的なコンセンサスが取れているだろうか?
現代演劇にとっての「前提」でありながら、ほとんど手触りを感じられない公共という言葉。この不思議な手触りの言葉を巡ってずっと考えていたら、だんだん、この言葉が「フィクション」なのではないかと思うようになってきた。
「公共」という言葉の強さから、なにか実態のあるもののように考えてしまいがちだが、そもそもわたしたちは、「公共」など共有していないのではないか。何か自明のものとして捉えても、きっとそこには手触りのなさしか見えてこない。でも、人が集まれば、場所、空気、息遣いなど、必ず何かを共有してしまう。公共はあるのではなくて、生まれてしまう、あるいは作られてしまうものなのだ。そして、生まれてしまったら、それはわたしたちの身体に対して強く働きかける。
そのとき、わたしたちは、「公共とはなにか」と問いかけることではなく、「どのような公共が生まれてしまうのか?」と、問うことなのではないか。それは、公共という目に見えない「フィクション」を作り出していく作業であり、そのような実態のないフィクションをどのようにして生み出していけるかを腐心してきたのが演劇というメディアである。
ここ10年ほどのわたしたちの仕事は、上記のような意味での「公共」を巡ってつくられたものだった。日本国憲法をテキストとして用いた『俺が代』という作品では、日本国民という言葉に「俺」という言葉を代入させることによって、憲法というテキストに別の意味を与え、公共という言葉を手触りある形に引き寄せた。サミュエル・ベケットの『しあわせな日々』では、円丘に埋まった女とその夫を描きながら、絶望的な状況に取り巻かれながらも、そこに「いる」という関係性を描くことで、そこにどうしようもなく生まれてしまうものを描いた。そして、電話演劇もまたその延長線上にある。
「現れ」ではない公共
「電話だったら感染の心配もなく演劇ができるよね。お客さんは一人だけど」
誰が言い出したのかはすっかり忘れてしまったけれども、それが、とても魅力的なアイデアのように思えたのは、オンライン演劇はもとより、舞台で行われる演劇作品以上に、身体を感じることができると直感したからだ。
人の声は、けっして伝達内容を乗せるためのメディアではない。電話越しの声を通じて、その言葉の意味だけでなく、話者の感情や息遣い、健康状態、体位など、莫大な情報をもつメディアである。そうして、浮き上がってくる他者の身体は、ビジュアル的にクリアなものではない。しかし、視覚情報をストップすることによって、クリアな視覚情報以上に身体を感じさせ、聞き手は、そこに他者を実感するのではないか。
また、電話を耳に当てるという行為が規定する身振りは、オンライン演劇を行う際に懸案となっていた「観客席」のデザインとして適切な負荷を与えるものだろう。過度な参加を要求するのではないが、ある身振りをしないと参加できないというのは、劇場の観客席に座るのと同様に悪くない振付だ。
では、わたしたちがフォーカスしてきたもうひとつの概念である「公共」についてはどうだろう?
これまで、演劇の公共性の根拠を担保してきたのが、「劇場において人々が集う」という仕組みだった。劇場において、多くの観客たちとともに作品を享受する。それによって、「わたし」とは異なった人々と出会うことができる、と。けれども、電話を使うことによって、観客と俳優は1対1となり、そこに人が集うことはない。
だから、電話を使った演劇作品には公共性はないのだろうか?
きっとそうではないだろう。むしろ、1対1という特殊な環境を設定することによって、人と人との間に生み出されてしまう前述の意味での公共性について、原理的に考えられるのではないだろうか。
そこで着目したのが、電話を使うことによって、ひとりの空間に演劇を届けるということの意味だった。
諸外国のような強いロックダウンこそなかったものの、緊急事態宣言下において、わたしたちの身体はプライベートな領域に留められていた。他者の存在が排除されたこの空間は、居心地よく感じることもある一方、圧倒的な物足りなさを覚える。ハンナ・アーレントは公共空間を「現れの場」と定義していたが、周囲から眼差されることのない環境=「現れの場」が奪われた環境は、どこか非人間的なように感じる。
しかしその一方で、わたしたちは公共空間を失いながらも確かに生きていた。アーレントは公共の前提として「舞台」をイメージしているが、俳優は舞台上よりも楽屋や稽古場で過ごす時間のほうが圧倒的に多いように、わたしたちの生は、圧倒的な量の「現れない時間」によって構成されている。アーレントの言葉遣いで言えば「私的領域」や「親密圏」といった言葉がこれに当たるだろう。緊急事態宣言下とは、「私的領域」や「親密圏」といった空間に向き合う時間であった。
電話を用いて演劇を行うことで、公共圏ではなく私的領域/親密圏にアクセスする演劇をつくる。そして、「現れ」ではない形の公共を想像する。それは、コロナ禍以降に必要とされる、新たな公共の形ではないだろうか?
「もしもし」の発見
もしもし、わたしじゃないし(2020)
では、実際に、電話演劇の創作や上演はどのように行われてきたのだろうか? ここからは時系列に沿ってその発展を振り返っていこう。
『もしもし、わたしじゃないし』のリハーサルは、今から考えると、これまでにない暗中模索の中で行われた。そもそも、電話を用いて演劇を上演することが本当におもしろいことなのか否かもわからないし、電話を通して物語を聞くとき、どれくらいまで聞き手の集中力は保たれるのかも定かではない。いわゆる「劇的」な盛り上がりはどれくらい必要なのか? 電話は、こちらからかけたほうがいいのか、それとも、観客がこちらにかけたほうがいいのだろうか?
そんなわからないことだらけの中、まず、わたしたちが行ったのはその速度をゆっくりにすることだった。ベケット自身が監督したBBCのバージョンでは、膨大なセリフを全速力で喋り上げ、上演時間は11分あまり。それを視聴していると、全力疾走に似た身体的な疲労が伝わってくる。ビジュアルのインパクトも相まって、この速度は作品の圧倒的な特殊性を強調する一方、あまりにも早口であるために、「口」の話についていくことができない。もちろん、一般的な演劇作品とは異なり、ベケットの場合、話の内容を理解することはけっして重要度の高いものではないが、なぜ「口」は、この言葉をまくしたてるように喋らねばならないのか? 言葉の背景には何があるのか? そんな疑問を感じる隙間もなく、言葉はただ一方的に投げつけられていく。
観客席にいる観客はその状況における傍観者なのだから、従来の演劇であればそのような暴力性も許容されるだろう。けれども、電話という双方向のコミュニケーションでは、従来のような傍観者としての観客ではいられない。電話口の相手に言葉を受け取ってもらうため、できるだけゆっくりに、できるだけ親密に、という形で、このテキストに向かい合おうと考えてリハーサルを積み重ねていった。
そして、このリハーサルの過程において発見したのが『もしもし』という言葉だった。
『わたしじゃないし』という戯曲には、たびたび、「imagine」という単語が使われる。岡室美奈子の翻訳においては「ちょっと!」と翻訳されている言葉。ここに「もしもし」という言葉を代入することによって、電話口での上演という特殊な形態が生きるだろう、と簡単に考えていた。
けれども、実際に「もしもし」という言葉を使うとそれだけに留まらない可能性に気づく。電話口での会話という記号的な意味だけでなく、それを聞いた途端、聞き手は、この言葉に引き付けられてしまい応答せずにはいられなくなる。現代では、電話口という限定された状況でしか使われない特殊な挨拶でありながら、あるいは挨拶であるからこそ、この言葉は奇妙なまでに身体化されているのだ。
「ちょっと!」という言葉の代わりにこの言葉を差し挟むことで、こちらの言葉へと注意を向けさせ、こちらの状態を想像するように誘導していく。「もしもし」という言葉ひとつで、「聞いていますか?」「あの……」「聞いて!」とさまざまな意味を込めることが可能になるのだ。この「もしもし」という言葉の特殊な効果は、電話演劇という特殊な枠組みにおける有効な武器となり、わたしたちは以降も積極的に作品の中に取り入れることとなっていった。
このほかに、スマートフォンを身体から離して会話をすることで、電話口の聞き手とは異なった別の聞き手の姿を想像させたり、話し手である「口」が置かれた状況を想像させるために屋外の中央分離帯につくられた緑道にて電話をかけることで、車のエンジン音をはじめとする環境音が含まれることを狙ったり。その結果、BBCのバージョンにおいては11分あまりだった上演時間は、初演において20分、再演において30分、さらに再再演において33分と伸びていった(観客の反応によって上演時間は大きく異なるのでこれはあくまでも目安に過ぎないが)。また、観客の中には、相槌を打つ人、一言も音を発しない人だけでなく、質問を投げかけてくる人など、人によってさまざまな反応が返ってきたのは、舞台上演にはない経験となった。
そして、上演の終了後には、Zoomを使って「ポストパフォーマンス・オンライン座談会」を実施した。そもそも、『電話演劇』は、手探りの実験的な取り組みであり、どのような発展の仕方があるのかを検討したかったのだが、参加者にとっても、電話口で「ひとりで聴く」という体験に終わらせるのではなく、その体験を他者と共有する場が必要ではないかと考えたのだ。この場において参加者は、どのような場所で、どのように聞いていたかについて、それぞれの体験や体感を語ってくれたのだが、わたしたちにとって意外だったのは、少なくない観客が自らの「劇場」をつくり、作品を鑑賞していること。部屋を暗くしたり、設えを整えたり、あるいは自分で決めた場所(公園、河原、コンビニなど)に出向いたりと、場所にとらわれないはずの電話を使った演劇作品は、観客に対して「特定の場所」を自ら設える行動を生み出していた。
2020年9月に初演した『もしもし、わたしじゃないし』は、2021年のTPAMフリンジに参加。さらに、演劇博物館による『ロスト・イン・パンデミック』展においてパネルと音声データの展示がなされたことを受け、再再演を実施した。この際、演劇博物館の協力の下で実施したのが「特別バージョン」と名付けた公演だった。これは、閉館後の演劇博物館に観客を招き、開演時間になると展示室内に置かれた携帯電話が鳴り出し、これに応答することによって作品がスタートするというもの。もちろん、リアルな場所を用意するとはいえ、会場内に観客は1人だけ。特殊な環境において上演することで、携帯電話だけでは果たすことができないフィジカルな「劇場」の魅力について、改めて考えてみたいと思ったのだ。
わずか3名のみの枠ではあったが、これに参加した人々は、その特殊な環境を戸惑ったり、面白がったりしながら耳を澄ませていた。(参考:内野儀「もしもし?!」KEX magazine https://kyoto-ex.jp/wp-content/themes/kyotoexperiment/assets/files/KEX_magazine_web_210922.pdf )。ひとつの場所を設定することによって、テキストの意味やテキストを聞く行為の意味は大きく変わる。プライベートへと侵入する(演劇作品という)パブリックは、パブリックに侵入するプライベートへと変わった。では、いったい、電話演劇において必要な「物理的な場=劇場」とは、どのようなものか? その問いは、次の作品である『もしもし、シモーヌさん』へとつながっていく。
薄暗がりで共有する言葉
もしもし、シモーヌさん(2021)
20世紀前半に活躍したフランスの思想家・シモーヌ・ヴェイユ。その代表作である『重力と恩寵』(筑摩書房)については、キリスト教を前提としたその思想の根本的な部分はわからないが、圧倒的にストイックかつナイーブなその筆致に惹かれ、個人的にも一時期まるで救いを求めるように読んでいた本だった。しかしながら、そのナイーブさ故に、この作品を演劇作品として上演することはないだろうと考えていた。
劇場において、言葉は、舞台上にいる俳優を通じて不特定多数の観客に手渡される。だから、その言葉は、俳優によって発声されることや、多くの人々とともに聞き取られることを前提とする。彼女が書く小さく弱い言葉は、演劇の言葉としては適切ではないと考えていたのだ。その言葉を「みんな」に伝わるように発声したら、つまりパブリックな場所に引き出してしまったら、この言葉が持つ大切な魅力が失われてしまう。シモーヌ・ヴェイユは、南仏のぶどう畑で労働したあと、薄暗い小屋でノートに向かい、公開するあてもなく言葉を記した。それと同様に、この言葉も、静かな場所でひとりで向き合うような環境を必要としているのだろう。
けれども、電話を使って1対1で上演するという電話演劇の形であれば、このナイーブな言葉をナイーブなままに届けることができるかもしれない。パブリックの光の下に引きずり出すのではなく、薄暗がりの中でこの言葉を共有できる。そのような意図から、『もしもし、わたしじゃないし』に続く電話演劇の第2弾として『もしもし、シモーヌさん』は動き出した。
では、そのとき、この言葉はどこで聞かれるべきだろうか?
『もしもし、シモーヌさん』の創作にあたって必要とされた「パブリック」ではないリアルな場所。わたしたちは、それを「電話ボックス」と呼んだ。電話ボックスの中で、電話口の声に耳を澄ます。それは、けっしてパブリックな経験ではなく、とはいえパーソナルな経験でもない。その両者が混じり合うような場所として、わたしたちは「電話ボックス」を規定していった。そうして考えを進めていくと、その場所は、もしかしたら「告解室(懺悔室)」に似ているのではないかと思った。俳優から言葉を投げかけられる電話演劇の観客は、懺悔の言葉を託された神父のような存在であるのかもしれない。その言葉は、神父が聞いている必要がある。けれども、同時に、その言葉は特定の誰かに対して向けられているものではないこともまた似ている。
そこで、四ツ谷にある聖イグナチオ教会に行き、実際に告解室の中に入らせてもらった。改装されてから、まだ時間があまりたっていないというそこは、柔らかな光の差し込む落ち着いた雰囲気の空間だった。扉から入って正面にある小窓を開くと、神父のいる別の部屋へとつながっている。一方、神父側の部屋から見れば、神父が座る椅子の左側にこの小窓が位置している。懺悔者と正対することはなく、目が合うこともない。ただ、耳だけを傾けるように、その空間は設計されていた。
また、特に印象的だったのが、小窓を開けた瞬間の空間の変容。その小窓をスライドすると、ふっと風が流れ込み、密室に閉じ込められた反響から、広がりを持った空間の反響へと変わる。窓が開くと、思わず安心感が込み上がってくるのだ。「別の空間、別の世界との通路が開通した」ということが、身体的に腑に落ちる。
息苦しい密室ではなく、どこかにつながる特別な空間としての「電話ボックス」。これを作ることによって、室内で電話を聞くだけでもなく、劇場空間で演劇作品を見るのとも異なった体験を得ることができるだろう。そこで、以前から親交があった仙台の建築家・白鳥大樹に電話ボックスの制作を打診した。
「もしもし、シモーヌさん」は、兵庫県で行われる「豊岡演劇祭」のフリンジ演目として初演を迎えることが決定していた。そこで、豊岡市内のいくつかのロケーションをめぐりながら、竹野海岸にある埠頭と、江原地区にある酒蔵・友田酒造というふたつの場所を移動して上演することに決まった。通常の劇場とは異なり、わたしたちの「劇場」は、移動することも可能なのだ。だが、この上演に向けて準備が進められていた矢先、兵庫県の緊急事態宣言発出を受け豊岡演劇祭は中止に。もちろん、フリンジ演目の上演もキャンセルを余儀なくされた。
わたしたちの上演も中止が決定した。けれども、そもそも電話演劇という形式は、コロナ禍という状況を踏まえてつくられたものであり、場所に縛られずにどこでもできる。緊急事態宣言が発出されたからといって、この作品の上演そのものを中止する理由にはならない。ただ、一方で「場所」に対して可能性を見出し、電話ボックスを用意していたわたしたちにとって、『もしもし、わたしじゃないし』のように携帯電話と携帯電話とを結んだ「電話演劇」を上演するだけでは満足できない。劇場ではない、けれども場所を使って上演することはできないか。もちろん、感染のリスクが限りなく少ない場所で。
そうして、決定されたのが「公衆電話」での上演だった。
この公演では、申込みをした参加者に対してテレフォンカードを送付する。このテレフォンカードを使い、指定した電話番号こちらの電話にかけてもらうことで、全国各地にある公衆電話どこからでもこの作品に参加することが可能となる。もちろん、公衆電話ボックスを使うということであれば、「公衆電話ボックスから電話をかけてください」という指示を出せばいいのかもしれないが、その指示は直接的すぎておもしろくない。観客が自然とそうするように仕向けるための仕掛けとして、テレフォンカードという「振付」が必要だった。
そうして、全国にある任意の公衆電話を舞台にして行った『もしもし、シモーヌさん ─公衆電話バージョン─』。ほとんどの人が携帯電話を所有している時代に、公衆電話を使う人の存在は、街の中で奇妙に可視化される。そして、周囲には社会の一般的な時間が流れている中、電話回線上にはシモーヌ・ヴェイユが語る「真空」のような空間が広がり、「恩寵」を待つ彼女の存在が見えてくる。観客は、その内と外の奇妙なねじれの中に身を置きながら、作品に参加した。
『公衆電話バージョン』の終了後、わたしたちは『もしもし、わたしじゃないし』に続き、YPAM(この年からTPAMはYPAMへと改名した)フリンジへの出品を行った。作り手としては、どこにでもある装置を活用した「公衆電話バージョン」もおもしろい枠組みだったが、当初の計画通り、「電話ボックス」を使ったらいったいどうなるのだろうか?
また、このYPAM公演から、知人のエンジニア・立原充泰に、スマートフォンと接続可能な黒電話の制作を依頼した。公衆電話を使ってみると、受話器の重さやプッシュ式ダイヤルを押す動きなども、電話演劇を構成する体験として重要なものに感じられる。そこで、携帯電話ではなく黒電話を用意し、そのダイヤルを回し、重い受話器を持って聞いてもらう。それによって、「電話をかける」という行為が前景化し、特別な空間にある特別な電話というしつらえが体験として前面に立つだろう。そうして制作された黒電話は、中にRaspberry Pi(小型のマイコン)が組み込まれており、スマートフォンと接続されることで、あたかも固定電話回線を使っているかのように電話をかけられる機械となった。また、Raspberry Piから音声を引き出すことによって、録音作品の聴取も可能になるというおまけ付きだ。
では、わたしたちは、横浜のどこでこの作品を上演するべきなのか?
幻となってしまった豊岡演劇祭では、埠頭と酒蔵という2つの場所が上演会場として決定していた。横浜市内のいくつかの候補を検討しながら、わたしたちが選んだのは、関内にある「泰生ビル」の屋上だった。雑然とした関内の街を見下ろすことができる屋上に電話ボックスを設置することで、街の喧騒という「あそこ」と、静かに電話越しの音に耳をすます「ここ」という2つのレイヤーができる。このレイヤーが体験の中に同時に入り込むことで、観客は、個人的である(親密である)と同時に、社会にさらされる(公共的である)ことになるのではないか。
屋上に設置された電話ボックスは、壁紙の貼られた内壁によって「部屋」というイメージを受ける空間となっていた。三方に開けられた窓からはそれぞれ異なった景色が見える。打ち捨てられた見張り小屋のような電話ボックスは、どことなく時間の堆積を感じられる空間であり、シモーヌ・ヴェイユの繊細なテキストに耳を澄ますのに最適な空間であった。
また、YPAMフリンジにおける上演では、それまでZoomを使って行ってきた観客参加による「ポストパフォーマンスオンライン座談会」の代わりに、山小屋に置かれているような「伝言ノート」を設置した。この伝言ノートを通じて、観客は、自らの感想を書き込むだけでなく、他の人々の感想も閲覧可能になる。そのノートをパラパラとめくっていると、文字を書く人、絵を書く人、作品の内容に沿った感想を書く人、全く関係のないことを書く人など、それぞれの観客によって、全く異なった記述がなされていた。そうして、「ひとり」で作品を体験するのとは異なった「他者」に対する意識が浮かんでくるのだ。また、ひとつの感想が、別の感想を呼んだり、前の人の感想に呼応してまた別の言葉が生み出されたり、ノートがそれとして独立した発展を遂げていたことは、電話演劇における「他者」の存在のあり方として、とても重要なものとなった。
そして、黒電話内に組み込まれたRaspberry Piの特性を活かし、YPAMでは「録音上演」という枠組みを用意した。
早稲田大学演劇博物館で行われた『ロストインパンデミック』展では、QRコードを掲示し、音声データにアクセスするという方法によって来場者に録音を聞いてもらったが、会場に足を運び、実際に自分でも音声データを聞いてみると「これは演劇とは呼べないのではないか?」と思った。なにか「演劇」と呼ぶには足りないような気がしたのだ。「俳優がリアルタイムで上演しているわけじゃないからしょうがないか」と思ったものの、「演劇と呼べない」理由は、決してそれだけでもないように思う。QRコードを読み取ることによって、いつでも手軽にデータにアクセスできる。その手軽さは同時に「体験」としての強さを薄めてしまう。
もしも、体験としての強さがあるならば、俳優との共時性は演劇において必要不可欠なものではないのではないか。そこで、録音データの再生が「演劇」と呼びうるのかをテストするため、従来の俳優による「ライブ上演」とともに、音声データを聞くことができる「録音上演」を用意した。
この録音上演においては、開演時間が設定され、ライブ上演と同じく観客がひとり電話ボックスの中に入る。開演時間になると、観客は黒電話の受話器を上げてダイヤルを回す。そして、俳優の持つ電話ではなく録音された音声データにアクセスし、『もしもし、シモーヌさん』の言葉を耳にする。手順としては、俳優がリアルタイムで演じるという以外は、ライブ上演と変わらない。もちろん、録音された声だから聞き手側からの質問に俳優が答えることはないし、その息遣いを察知しながらの上演にはならない。演劇は、これまで舞台と客席との相互作用をひとつの根拠としてきた。その意味で、これは、演劇ではない。
けれども、手応えとしては、どうやらこれは演劇的であると言えそうだ。そう思ったのは、これが身体が引き付けられる体験になったから。「もしもし」と言われたとき、たとえ録音であっても、特別な場所で特別な受話器とともにその話を聞いていると、うっかり「もしもし」と返したくなってしまう。電話ボックスや黒電話、自分のために用意された開演時間といった仕掛けを通じ、作品の「中身」に限らず、そのフレームまでを作品として提示することによって、それは「演劇的」な体験となり得る。逆に言えば、これまで演劇を支えてきたのは、中身ではなく仕掛けに過ぎず「劇場空間で上演すること」「リアルタイムで上演される」こともまた、取替可能な仕掛けの一部に過ぎなかったのではないか?
こうして、演劇における「リアルタイム性」という要件が(大切なものではあるけれども)絶対的なものではないことがわかってきた。この発見は、2022年3月に吉祥寺シアターで開催された『ベンチのためのプレイリスト』へとつながっていく。これは、かもめマシーンとしての作品ではないものの「電話演劇」の方向性をつくっていく上で、非常に重要な取り組みとなるものだった。
"観客"ではない人々に向けて
ベンチのためのプレイリスト(2022)
吉祥寺シアターの前にある長いベンチは、演劇を見に劇場を訪れた客ばかりでなく、そこを通りかかる多くの人々に愛用されている。よく観察をしていると、佐川急便やウーバーイーツの配達員が休憩をしたり、近隣のサラリーマンがランチを食べたりしているし、時間をもてあました老人たちが散歩途中の休憩場所として使ったり、劇場以上に地元の人々に支持されている様子も見えてくる。高齢者など、まるでかつての井戸端のように、このベンチで出会う人もいるようだ。
実際に、ベンチに腰を掛けてみると、たしかに休憩するのに最適な場所である。誰でも座ることができるという適度な開放感と、向かいにはすぐ建物があるという適度な閉鎖性。道を歩く歩行者からの距離も近すぎない。このベンチに、劇場とは全く無関係の、独特の「生態系」という関係が生まれることも理解できる。
『ベンチのためのプレイリスト』は、この場所に、黒電話と電話台代わりのテーブルを置くことによって実施された。直前のYPAMにおける『もしもし、シモーヌさん』で、録音上演に対する可能性を見いだせたこともあり、黒電話を再生装置として使いながら、詩人、劇作家などが描き下ろした8作品を上演。すべてのテキストは俳優たちによって声を与えられた。
これを設置する上で問題となるのが、ベンチにおいて生まれているこの微妙な生態系との共存である。ピーター・ブルックが「なにもない空間」というように、通常の演劇作品はそれが行われる空間を「なにもない」ものと見なした上で、その上に何かを構築していく。つまり、空間は、作品に対して従属するという関係を強いられる。しかし、やわらかな生態系が広がっている吉祥寺のベンチにおいて、そのような収奪をするべきではないだろう。とはいえ、YPAMにおける録音上演においてわかったように、ここを特別な場所とすることによって「演劇性」も担保したい。
この生態系と共存しながら演劇をつくることは可能なのだろうか?
そんな問いに対して応えてくれたのが、建築家・福留愛によるテーブルだった。カフェに置かれるような丸テーブルの上に、ベンチの周囲にある並木に調和するような丸太を乗せ、さらに、その上に円形のアクリル板を乗せる。そうして、テーブルとしても電話台としても機能する装置を作り上げ、ベンチの空間を、演劇作品に従属させることなく特別な場所へと変えた。
1つの作品につき2日間の稽古時間しかなかったものの『ベンチのためのプレイリスト』の制作には、これまで手掛けてきた電話演劇作品では使えなかった様々な演技体を試してバリエーションを用意した。朗読として言葉の魅力を届けるもの、カセットテープで録音し、音質を劣化させたもの、二人の俳優の掛け合いを盗み聞くもの、背景音を取り入れたもの……。それらの音声作品を詰め込んだ電話機は、3月1日に吉祥寺シアター前のベンチに設置された。
これまで、私は劇場空間の中から、演劇を通じて公共性についての思考を巡らせてきた。電話演劇においても、実際の劇場こそ使っていないものの、演劇に触れるための「劇場」をつくってきたことには変わりない。しかし、『ベンチのためのプレイリスト』は屋外において、誰でも手に取れる環境に演劇を差し出す。これまで考えてきた「公共」が理論編だとすれば、「実践編」としての公共が『ベンチのためのプレイリスト』だった。
では、いったいこの作品は誰に向けられているのだろうか?
そもそも、電話演劇は、オンライン演劇における、観客の身体に対するアプローチへの違和感から始まった。だが、今回、わたしたちが相手とするのは、「観客」として作品に向き合う身体ではない。それは、帰り道や散歩の途中にばったりと黒電話に出会ってしまったような身体だ。彼らは、わたしたちと時間と空間をともにする共犯者ではなく、ただ「電話を取る」という行為をしたにすぎない。彼らにとって、この電話が演劇であるかどうかは、ほとんど重要な問題ではない。
聞き手は、観客になる必要はなく、それが「演劇」と名指される必要はないのだ。
前述のように、そもそも「電話演劇」をつくりながら、わたしたちは観客のあり方を問題としてきた。劇場における「観客の身体」とは異なった、電話演劇における「観客の身体」。それを形作るために、わたしたちは携帯電話から黒電話へ、家から電話ボックスへと作品の形を変化していった。観客は暗闇の中で大人しく座っている空気のような存在ではない。そこに来るまでに様々な経験を経てきた身体であり、別の言い方をすれば、たしかに身体を持った存在である。
では、それが「観客」ですらなくなったとき、わたしたちはどのような関係性を架橋できるのだろう?
そのときに必要なのは、作品を「届ける」のではなく、「共有する」という態度ではないか。そのとき、聞く人間の身体や思考、想像に働きかけ、それに共感したり、補強したり、あるいは別の角度を指し示したりすることなのではないか。その意味で、俳優が劇の主体ではなく、聞き手こそが劇の主体となるのではないか。
『ベンチのためのプレイリスト』は、1ヶ月間の会期で、数多くの人々に使われ、驚くべきことに、地上波ニュース番組でも取り上げられた。それまでつくってきた『電話演劇』とは異なる思考をすることで、異なる人々と出会うことができたのだ。そして、ここで得られた「観客」ではない人々とのコミュニケーションは、次の『もしもし、あわいゆくころ』における演技体へとつながっていく。
もしもし、あわいゆくころ(2022)
あるいは電話演劇の大きさについて
そもそも「電話を通じて俳優が喋る」という説明をすると、少なくない確率で「俳優さんの朗読が聞けるんですね」と返される。はじめのうちは「いえ、テキストを覚えているし『朗読』とは違ってみっちり稽古して『演技』をしているんです」と返答していたけれども、だんだん面倒くさくなって「まあ、そんな感じですね」と言うようになってしまった。でもただの朗読なら数ヶ月もリハーサルを重ねることはない。朗読と演技との違いを聞けば、人それぞれ一家言があると思うけれども、ここでは、ひとまず「朗読は文字を音声にする」「演技は文字を身体にする」という違いがある。
けれども、『ベンチのためのプレイリスト』を通じて、「演技」ということにこだわらなくてもいいのではないか、という気持ちが芽生えてきた。「ある設えのもとで、黒電話を通じて音声を聞く」という行為が、すでに十分演劇的な行為である。その上で、さらに俳優の演技として演劇性を重ねることは必須ではない。演劇は、俳優による演技がその核心であるかのように語られることが多い。その魅力について異論はないが、その場合、舞台上が演劇の核心であるという思考から抜け出すことができないのではないか。「聞き手」の身体が劇の主体として置かれたとき、俳優は、あるいは俳優の演技は、その主体に対してどのように関係を築けるのだろう? 観客の身体を既存の演劇とは異なったものとして捉えるなら、俳優の身体もまた変わるべきではないだろうか。
そもそも、このような疑問を感じ始めたのは、22年末に上演した『もしもし、シモーヌさん』でのこと。シモーヌ・ヴェイユの膨大な著書に目を通すことと、そこからどのような方向性のドラマを抽出していくかについては時間をかけたものの、いざ、抜き出した言葉を構成していくことにはほとんど時間がかからなかったし、その出来にも満足することができた。しかし、それは無意識のうちに自分の別の作品『俺が代』と近いリズムの構成となっており、これまでの劇場作品と同じ「劇的」なものを求めていたことに気づいた。
もちろん、劇的であることは悪いことではない。けれども、「劇」の枠組みを広げるならば、それは劇場で行われる演劇と同じような「劇的」である必要はないはずだ。そのときに、俳優が主体にならない劇の形が考えられるのではないか。
こうして、わたしたちの前には「俳優を主体としない演技」と「電話演劇における劇的」という2つの問いが形作られていった。そして、この思考を後押ししたのが瀬尾夏美の『あわいゆくころ』に書かれた言葉たちだった。
『あわいゆくころ』については、刊行当初から漠然とその存在について知っていた。だが、ある展覧会において実際にその言葉に触れたとき、その言葉が持つ批評性に感動するとともに、この言葉は文字ばかりでなく声を通して伝えられることで、また別の感覚を描くことができるのではないかと感じた。そして、その声は、劇場空間ではなく電話回線を通して語られたほうが、より適した響きを得るのではないか。
東日本大震災後、東京から陸前高田に移住した瀬尾夏美が、その日々をTwitterに掲載したテキストをまとめた『あわいゆくころ』。そこには、瀬尾が陸前高田で暮らしながら考えたことや、周囲の人々によって語られたことなどが描かれている。Twitterに投稿された言葉たちは、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』と同様に、どれも短文であり、小さな言葉たち。公開を前提としているか否かという違いこそあれど、その小ささ、個人的な感覚をとても大切にしていることは変わらない。
ただし、それは、わたしたち日本人にとって、ただの小さな言葉ではない。
言うまでもなく、2万人もの犠牲者を出した東日本大震災は、わたしたちに強いショックを与えた。「あの日、何をしていた?」という問いに多くの人々が答えられるように、東日本大震災や3.11という言葉は、いまだに身体的な記憶を強く呼び覚ますもの。東日本大震災をめぐる言説は、聞き手の中にある「わたしたち」という自我に対して強く働きかける。
個人的であると同時に、わたしたちの社会・公共に刻まれた共同の記憶を呼び覚ます言葉。それは、震災から11年を経た東京において、もう一度語られ直す必要があるのではないか。そして、瀬尾の書いた小さな言葉は、電話を通じた1対1の声として届けられるとき、なにか大きなものを描けるのではないか。
もちろん、電話演劇という実験は、1人というこれ以上なく少ない観客に向けて行われる。けれども、告解者が神父に対して語ることを通じて神に向けて言葉を届けるように、ひとりひとりに対してアプローチをしながら描きたいのは、俳優と観客という小さな関係性の先にある大きなもの。1対1の関係から大きなものに触れることは可能なのか? もし可能なのだとすれば、それは、同じく「小さなもの」である演劇がどのように社会においてどんな役割を果たし得るのか、という問いへとつながっていくだろう。
「演技」と「劇的」に関する疑い、そして、「小ささ」と「大きさ」を両立させること。電話演劇の第三作は、上記のような前提のもとにつくられた。その結果、いわゆる「劇的」な盛り上がりを極力排除し、構成はとても淡々としたものに変わった。俳優は大声を出すことはなく、街中を歩きながら、つぶやくように話すようになった。街中を歩くことで、上演に一定のテンポを刻むと同時に、被災地を動き回りながら言葉を集めた観察者の身体が浮かび上がってくるだろう。
ただし、ひとつだけ、試してみたかった「劇的」な部分があった。それが、吉田恭大の『光と私語』から短歌を使うこと。感情の高まりやそれに対応する発話の強さによって「劇的」をつくるのではなく、歌という形式を使って「劇的」をつくることはできないか。散文の世界から離れることで、別の「劇」が立ち上がるのではないかと考えた。
こうして、淡々とテキストを読むための条件が整えられていく。もちろん、演劇は時間芸術であり、そこには流れや密度をコントロールする作業は繊細にこなしていかなければならない。しかし、その総体が「淡々と」した姿を描くことで、この作品の聞き手は、あたかも「言葉」に直接アクセスするような感覚になる。
2022年6月に行われた仙台公演は、仙台一の繁華街・国分町にほど近い『定禅寺通グリーンベルト』に決定した。仙台市内には津波に流された荒浜地区のような場所もあったが、わたしたちが『あわいゆくころ』というテキストを通じて届けたいのは、津波被害の大きさや悲惨さではなく、その後にも連綿と続いていった人々の暮らしだった。そのような暮らしに触れるためには、津波によって跡形もなく流された震災の悲劇性ではなく、その後の暮らしをイメージできる場所のほうが適切だと考えたのだ。
そうして、定禅寺通グリーンベルトに電話ボックスが設置され、観客はその中へと入っていった。中央分離帯となっている緑道なので、その両側には自動車がひっきりなしに行き交っている。けれども、電話ボックスの中に入ると、驚くほど周りの音が気にならなくなる。目の前には、ずっと先まで続く緑道。道の両側につくられた歩道には、急ぎ足で歩く人々の姿も見える。そんな環境の中で、黒電話のダイヤルを回すと、どこかにいる俳優に繋がり、簡単な注意事項の説明の後、『あわいゆくころ』の言葉が語られ出す。「演技」というには静かだが、朗読というには沈黙やわずかな抑揚が大きな意味を持って語る。その声を通じて、聞き手の頭の中にはそのテキストの意味するものばかりでなく、その当時の記憶が喚起されていった。
仙台公演で印象的だったのが、仙台に生きる人々もまた、東京にいる人々と同じように「負い目」を背負っているということだった。当然ながら、同じ東北といっても、被災の状況はさまざまであり、被災者というカテゴリは一様ではない。震災から2ヶ月後の2011年5月にはどうにか日常が復旧された仙台市内に対して、壊滅的な打撃を受け、多くの人々を失った沿岸部。その被害の差は、とても複雑な気持ちを抱かせた、とある参加者は話してくれた。
電話演劇に限らず、わたしたちが演劇という装置を通じて達成したいのは、作品によって観客を圧倒するのではなく、このように記憶を触発し、語りを誘発することなのではないか。記憶を喚起することが、演劇、あるいは芸術が担えるひとつの役割なのではないか。そのためには、完成品を手渡すのではなく、作家やパフォーマーは未完成なままの行為を手渡さなければならない。それによって、手渡された側が、触発され、喚起される。完成品がどのような形になるのかは作り手側にはわからない。
東京における上演は、仙台公演からおよそ半年後に行われた。会場となったのは東村山にある「竹田商店」。2年前までソース工場として使われていた場所を、公演の会場として使わせてもらうこととなった。そこには、ソース作りに使われる巨大な釜やタンクが当時のまま残され、昭和30年代に建てられたという工場には、60年以上にわたる記憶が厚く堆積していることが知覚できる。YPAM〜仙台公演にかけて使っていた電話ボックスを使わずに、机と黒電話だけという形にしたのは、そこにある空間を通じて、堆積した記憶にアクセスしてほしいと考えたからだった。
『あわいゆくころ』には、津波被害を受けた町の記憶が語られる。仙台に生きる人々にとって、その街との心理的な距離はおそらく近い。しかし、震災から12年を経た東京においては、どこか「遠い場所」のことにならざるを得ない。そこで、場所としての記憶を抱えている元工場という建物でこの作品を聞くことで、わたしたちは、わたしたちの記憶にアクセスすることができるのではないか。
話を進める前に、ここで言う「記憶」について補足する。
わたしたちが「記憶」というときに、それは個人的な記憶だけを指すのではない。集団として持ってしまっている記憶、受け継がれてきた記憶、共有している/してしまっている記憶。それは個人の枠を超えて、人々の身体をつくっている。「個人的記憶」に対して「集合的記憶」とも呼ばれるこの記憶のあり方は、「わたしたち」という集合体において不可欠なものだ。そして、瀬尾による、敢えて一人称を伏せることで、個人的な経験として閉じないテキストは、この「わたしたちの記憶」を集合的記憶を喚起するのに最適ではないだろうか。
東村山(東京)公演において、わたしたちが焦点を当てた「記憶」というテーマ。これに向かっていくためには、作劇や演出だけでなく、俳優の役割や演技の質についても認識の変化が求められる。これまで、俳優の大きな仕事のひとつが、テキストの「伝達」であった。よりよい伝達のため、俳優には大きな声や明瞭な滑舌が不可欠とされてきた。けど、わたしたちが今必要としているのは、伝達ではなく「話す」ことなのではないか。
俳優の行為が「伝達」なのであれば、聞き手の振る舞いは問われない。けれども、「話す」とき、話す方だけでなく聞き手の態度もまた大切なものになる。人と人との間の微妙な空気を通じて、「話す」ことが行われる。それは、伝達のような個人的な作業ではなく、話し手と聞き手の共同作業なのだ。また、共同作業である以上、2人の身体は同じモードである必要がある。同じモードになれないと、話は噛み合わなくなってしまう。
電話回線のこちらと向こうに人間がいる。その2人の間を満たすように言葉が置かれ、その言葉を介して、その2人はお互いにいる。その発話は、相手の思考をこちらの意図で染めるのではなく、相手との空間を満たす。そして、相手の思考を動き出させる。
「キャッチボール」に喩えられるような個体としての言葉ではなく、気体のような質感の言葉。
そうして、話が記憶を触発し、別の記憶が引き出される。そのとき、俳優が話していることは、関係のない記憶が引き出されているかもしれない。受け取った観客の頭の中につくられた「作品」は、舞台上のそれとは異なった形をしている。
けれども、それで問題はない。
わたしたちは、東日本大震災において、同じ経験をしていないし、同じ感情にもなっていないように、それぞれが違った過去を持ち、違ったビジョンを描き、違った感情を生きている。けれども、どうも、わたしたちはしばらくは同じ場所で、同じ時間を生きていく。違うわたしたちが、同じ場所で生きるために。わたしたちは、そのために公共という概念を用いながら演劇をつくっていく。
まとめ、あるいはタイトルについて
「電話で『NOT I』を上演すればおもしろいんじゃないか」と、思いつきのように生まれたかもめマシーンの電話演劇。しかし、それは、決してコロナ禍における緊急避難としての形ではなく、劇場空間と不可分であった演劇という言葉をとらえ直し、劇場空間における演技についても反省する機会となった。今、演劇が取っているフレームは、あくまでも暫定的なものに過ぎず、将来においても暫定的なものである。いくらでも形を変え得るし、変えなければならない。でも、どれだけ形を変えても、形を変えたことによってそう呼ばれなくなったとしても、それは「演劇」であることには変わらないと信じている。
最後に、アントナン・アルトーについて。
おそらく、パンデミック以降、多くの人々が改めて読み直したであろう『演劇とその分身』(河出文庫)所収のテキスト『演劇とペスト』において、フランスの演出家/詩人であるアントナン・アルトーは「ペストと同じように、舞台の戯れがひとつの錯乱であり、それが伝染性のものである」と、語った。電話演劇は、錯乱も、熱狂も、残酷も伝染させることはない。その代わり、電話演劇は声を通じて、他者の身体に入り込み、その記憶へと触れる。1918年〜20年にかけて全世界を覆ったスペイン風邪が、アルトーの生み出した演劇とペストというアナロジーに対して、どれくらいの影響を及ぼしたのかは寡聞にして知らないが、それからほぼ100年後に発生した新型コロナウイルスを通して、わたしたちは「熱狂」ではなく「記憶」を伝染する媒体として演劇を捉え直すこととなった。
電話演劇上演史
もしもし、わたしじゃないし
2020年9月23日〜25日
2021年2月11日〜14日
2022年8月2日〜6日 (2日のみ早稲田大学演劇博物館での特別公演)
演出|萩原雄太
原案|サミュエル・ベケット「わたしじゃないし」(翻訳:岡室美奈子)
出演|清水穂奈美
舞台監督|伊藤新(ダミアン)
制作|清水聡美
主催|合同会社かもめマシーン
協力|早稲田大学演劇博物館
助成|公益財団法人セゾン文化財団
もしもし、シモーヌさん
公衆電話バージョン 2021年9月10日〜14日
通常公演 2021年12月5日〜9日(会場:関内・泰生ビル屋上)
テキスト|シモーヌ・ヴェイユ
訳|田辺保(「重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄」 (ちくま学芸文庫)
「ロンドン論集とさいごの手紙」(勁草書房))
冨原眞弓(「ヴェイユの言葉」、「シモーヌ・ヴェイユ選集 II―― 中期論集:労働・革命 単行本」(ともにみすず書房))
構成・演出|萩原雄太
出演|清水穂奈美
舞台監督|伊藤新(ダミアン)
美術|白鳥大樹
黒電話制作|立原充泰
制作|清水聡美
製作|合同会社かもめマシーン
助成|文化芸術復興創造基金(通常公演のみ)
もしもし、あわいゆくころ
仙台公演 2022年6月24日〜27日(定禅寺通グリーンベルト)
東村山公演 2023年1月21日〜25日(竹田商店工場跡)
作|瀬尾夏美『あわいゆくころ』(晶文社)
吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座叢書)
演出|萩原雄太
出演|清水穂奈美/伊藤新(Wキャスト)
美術|白鳥大樹
黒電話制作|立原充泰
助成|公益財団法人 セゾン文化財団
公益財団法人 全国税理士共栄会文化財団
─── その他 ───
【展示】
早稲田大学演劇博物館 2021年度春季企画展
Lost in Pandemic ――失われた演劇と新たな表現の地平
2021年6月3日(木)~8月6日(金)
早稲田大学演劇博物館 2階 企画展示室
【プレゼンテーション】
LIVE DREAMS 2021(Performance Space)
https://performancespace.com.au/thoughts/live-dreams-2021/
─── レビュー ───
もしもし、わたしじゃないし
電話演劇と「身体」(岡室美奈子)
演劇博物館報 enpaku book 117号
https://www.waseda.jp/enpaku/publication/12047/
もしもし?!(内野儀)
KEX magazine
https://kyoto-ex.jp/wp-content/themes/kyotoexperiment/assets/files/KEX_magazine_web_210922.pdf
もしもし、シモーヌさん
artscapeレビュー(山崎健太)
https://artscape.jp/report/review/10171754_1735.html
ベンチのためのプレイリスト
ゴジラと私、殺人鬼(佐藤朋子)
現代詩手帖22年6月号
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