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日本人の持つ感覚

日本人の美意識は素晴らしいと思います。

それは日本の伝統文化である華道や茶道、武道によく現れていると思うのです。
日本のいけばなは、空間を意識することに長けています。
枝の長さや葉の分量に強弱をつけることで立体感を感じさせます。
また、美しい花々であっても、ぎっしりと生けるよりも、一輪一輪どの表情がいいのかを見て生けてゆきます。

余分なものは何か?

引き算をするわけです。

そうすると、枝と枝の間に大きな空間が生まれると、作品自体が伸び伸びと広がってゆくように見えます。
花と花の間に小さな空間が生まれると、風が通るような動きが見えてきます。
この感覚は、おそらく、日本人特有の感覚なのではないでしょうか?

《花材》すかしゆり 素馨

もう少しわかりやすいものとして、和歌や俳句があります。
『5・7・5・7・7』というたった31文字だけで、心情や情景を表現するというのも凄いことです。
でも、その31文字を聴いて詠み手の心情や情景、伝えたいことが解るというもの、また日本人の凄いところなのだと思うのです。
これは、日本人の「行間をよむ」という能力が長けているからなのでしょう。
文字と文字の間の目には見えないけれど表現されている何かを察する能力。
聴こえないけれど、鳥が鳴いているだろうなぁ、とか、小川のせせらぎや樹々の葉を揺らす風の音が感じられたりする。
そういう感性が日本人には受け継がれているのだと思います。

ですから、いけばなでも、枝葉や花の美しさを表現しようとした時、この感覚があるので、「引き算」ができるのだと思います。
見えていないものが、見える。
聞こえないものを、感じる。
引き算されるから、伝わってくる。
しかも、生けた人の一つの表現は、観る人によってさまざまな表現としてキャッチされる自由も生み出されている。

この「引き算の感覚」は本質を観ることにも繋がると思います。

表面の華やかさに惑わされず、そのものを見極める。
あるがままに観る。
この感覚がさらに磨かれれば、生け手ですら思っていなかった本質を観ることができるのではないでしょうか?

茶道の所作にも無駄な動きがないので、手先の流れに美しさを感じます。
武道でも達人になるほど、その動きがシンプル過ぎて目に止まらない。
日本の伝統文化は素晴らしい技術はもちろんですが、「本質を観る」という元々持っている能力を磨くためにあるような気がします。


【華まつり🌸天咲】は、天地の流れを受けて、天地をつなぎ、人と人をつなぐ、いわば天地流のいけばなを探究しています。
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