暇空茜の言い分1|敗者の論理
一般社団法人Colaboの疑惑を提起し、一躍、有名人となった暇空茜氏。
彼の発言や行動を観察し、過去の記述を分析することで、
彼の文章構成法の一端が解明できましたので報告します。
※注目を集める人物が書いた文章を研究することが目的であり、
誹謗中傷の意図はございません。間違いがあれば、ご指摘願います。
資料として、Colabo以前の記述が、客観的判断材料となります。
前提を覆す
フロイトの著作「精神分析入門」を扱ったブログの記事で、
書評として、以下のように反発します。
「根源的なものは何か」という論旨に対して、
「こうなりたい」という具体的な願望は、
意識下の理性に属しており、根源的ではない。
指摘した内容が、フロイトによって論破されています。
書評が著者に論破されるという珍現象が起きているのです。
なぜ、このような「すれ違い」が生じるのか。
・全く文章が読めていないわけではなく、他者の考えを拒絶している。
・物事の客観的関係を無視して、自己の主張に必要な要素だけ取り出す。
・前提を覆して、新説を唱える。
前提条件を無視して、上位概念と下位概念を入れ替える。
論点が把握できていない読者に、「新事実を示した」と誤認させます。
一見、斬新な主張に思えてしまうレトリックです。
同じ構成で、「タコ部屋」の指摘においても、Colaboに論破されている。
・「一室で3人が寝起きさせられている。」を成立させるために
写真がタコ部屋の証拠であるとして、再定義する。
もし、シェアハウスの写真だったとしても、Colaboが
その写真を合宿中の様子として使用する必然性がありません。
彼の主張は、こっちが立てば、あちらが立たない状態が見て取れますので、
過去の投稿から他にも「すれ違い」を見つけられそうです。
過去のブログで、議論に臨むスタンスを述べています。
意見が対立する相手とは、議論するつもりはなく、
「相手が嫌がることをする」ことが有効な手段と認識しています。
「ゲームに負けて、勝負に勝った」は、敗者の論理です。
例えば、サッカーの試合では負けたが、局所的な1対1のデュエルで
勝ったと誇るようなものです。
相手の嫌がる話題を広めることで、相手のリソースを奪い、
支持者へ強さのアピールができます。
対立勢力と対峙して、強い攻撃が撃てる有能な自分を演出します。
SNS上のアピール戦略としては、有効なように思います。
しかし、客観的事実に基づいて、第三者の判断が下される裁判においても
通用するか。経過を見守りたいと思います。
以下の記事で、別の論点を考察しています。
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