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過去の夢日記が怖い

数年前に使っていた学習ノートをパラパラと読み返していたら
1ページだけ「奇妙な夢」と題する夢日記が書かれていた。

夢を記録する習慣はないし、書いた記憶もない。
ただでさえ、過去に書いたものというのは現在の自分が書くものとは
乖離があって違和感を感じるのに、夢ともなると到底自分のものとは
思えない。いや、少し違う。過去の自分自身が怖い。

奇妙な夢
私は男を追跡していた。
古びたデパートの中、階段ばかり上ったり、下りたり、
男は誰かに追われているような素振りも見せずに、競歩のように進んでいく
吹き抜けから下の階を見下ろして、追跡者の様子をうかがう。
迷子になった子供を探す親を見て、捕まらないことを喜ぶ子供。
上りと下りエスカレーターが交差するところで二人は鉢合わせした。
追跡者は嘆く。「なぜ、逃げなければならないのか」
私たちは喜んで逃げるが追跡者の姿が完全に見えなくなると、
私は男の将来を悲観して泣けてくる。
彼には届かぬ親の声が、私には聞こえるからなのか。
親亡き後の彼の姿、彼は一人になるのでは

建物から出てしまえば過去の事となる。
遠くで花火大会をやっている。浴衣の男女が歩いている。
これから向こうに行くのだろうか。
男に向きなおると、男はちゃっかり浴衣を着ている。
目を離した隙に着たのか、浴衣がねじれて体にまとわりついている。
それを見て、私は笑った。

内容も変だが、表現が不安定な感じが不気味だ。
さらに、この夢についてコメントが付されていた。

夢というのは不思議なもので、イメージとナレーションが一つながりになっている。登場人物であると同時にナレーターでもある状況が同時に起こっているので、客観的な視点が入る余地がない。

夢の中では現在しかない。
前の事が後に影響を与えない。
未来は分からない。何一つ時間で確定しない。
そう考えれば、奇妙には感じない。

あの夢の記述をどう理解して、この結論に至ったのか。よく分からない。
記憶が時系列で並んでいないことに気づいたのだろうか。
それよりも、内容に一切触れない過去の自分が怖いし、
ニヒリズムに陥っていた時期に見た夢だとすると、
以下の記事の内容と共通するところがあり、循環しているか、
予知夢のようで怖い。


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