見出し画像

「セクシー田中さん」調査報告書を読んで|ドラマ化原作改変問題2

どのような認識の相違があったのか。
本件は、漫画原作者と脚本家との対立が表面化したことから、
特に原作者の映像化に関する認識に、当初から注目していた。
報告書から原作者が改変に反発した理由として読み取れることは、
「ストーリーテリング」
「テーマに関わる表現」
「漫画原作とドラマオリジナルストーリーの兼ね合い」
「面白さの認識の違い」

調査報告書について

この調査報告書は、原作者と脚本家の主張の相違を報告したものではない。
日本テレビと小学館のやり取りが中心に扱われ、
契約条件の対立という関係性で構成されている。
責任の主体が日本テレビなので当然のことだが、対立軸が違って見える。
制作の過程で、原作者と脚本家の間で仲介者が情報を伝えているのと
同じことが調査報告書でも繰り返されているようだ。

原作者の人格を表す記述の違和感
報告書には、読者の印象形成に訴えるような記述があり、物語仕立てになっている。「A 氏は、~と思った。」という当事者の個人的印象を記述することが理解できない。
それに、原作者の性格がトラブルの原因と読み取れるような表現には疑問がある。性格という漠然としたものを扱うのは公平ではない。
「原作者は難しい人」→気難しい
「ざっくりプロット」→わがまま
「一言一句絶対に変えないで」→強情
日本テレビ側は当初から「難しい人」と認識しながら、どのような難しさなのかを掘り下げずに、なし崩しで関係構築を図ろうとしている。

意思統一がされないまま製作が進行した
脚本家が脚本を書いて、原作者が確認してコメントを返すという
やり取りをしながら双方の認識をすり合わせていく、
その過程で逐次、双方の仲介者が契約交渉の条件を出し合う。
この複雑な作業のほとんどを日本テレビA氏が仕切るという
双方にとって、とても負担の大きい方法を採用している。
最終的な内容の決定権は、原作者
情報の仲介者は、日本テレビA氏
プロット/脚本の制作は、脚本家

具体的な目標を設定せずに、明確な判断基準がないまま、
双方に配慮する方向でドラマ化が進む。加えて、
リーダーがいないので、それぞれの判断がすれ違って、
主導権を巡り対立が生じる。

認識が言語化されていない

※推察が含まれるため、実際の双方の主張内容とは
 異なる場合があることに注意してください。

報告書では、原作者と脚本家の立場の隔たりが大きく、
日本テレビA氏の板挟みの状況が見て取れる。
原作をリスペクト/ベテラン脚本家に配慮
この二つの条件を設定したのは、日本テレビA氏本人であり、
それに対応するために取った行動が、
1.脚本を修正させた。
2.原作者の指示書を脚本家へ直接、送付するのをやめた。

これらの行動から対立関係の原因を推察してみる。
1.原作に沿った脚本ができるという認識。
2.原作を改変した脚本の制作を継続するという認識。

原作者と脚本家の双方が重視していた点を推察してみる。
・ストーリーテリング
原作者:物語の語り手
シーンの順序に必然性があり、その並びを変えられることを拒否していた。必要に応じて、シーン内でのセリフや行動の追加、言い回しの変更なら許容範囲という認識だったのではないか。
脚本家:ドラマとしての効果
原作漫画と映像では、メディアが異なるので根本的な構成自体を改変する必要があり、シーンの追加、順序の入れ替えによって、盛り上がりを作るという認識だったのではないか。

・リアリティ
原作者:テーマに則した表現
取り扱うテーマに合わせて、キャラクターが設定されているので、必然的にキャラクターに焦点が当たるエピソードが問題提起となる。
脚本家:実現性に則した表現
テレビドラマで取り扱う内容として、また、視聴者やスポンサーへの配慮として、適切な設定へ変更する必要がある。

・オリジナルストーリー
原作者:整合性のとれた話
ドラマ放送後も続く連載と矛盾せず、ネタバレにならないストーリー
脚本家:ドラマ独自の展開
ドラマ独自の設定も関連するオリジナルストーリーを創作する。

まとめ
双方とも制作における姿勢は不合理なものではなく、
一般的認識に基づいて、行動したものと思われるが、
本件に関しては、特別な体制と対応が必要だったはずで、
クレジット表記に関わる問題に発展する前に
方針転換されなかったことが惜しまれる。


2024年 7/22 リンク追加


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?