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AIとの葛藤|2001年宇宙の旅【独自解釈】

ChatGPTにHALのことを質問してはいけない

映画「2001年宇宙の旅」について記事を書こうと調べている途中で、
ChatGPTは、HAL 9000のことをどのように理解しているか気になった。
(HAL 9000とは、映画に登場する人工知能の名称)

いくつかの平凡な質問と回答を経た後で、
「HAL 9000がシャットダウンされる際に語った内容は」と質問したら
なんか怖い回答を返してきた。


HAL 9000がシャットダウンされる際に語った内容は以下の通りです:

"Dave... お願いします... 私を壊さないでください... 私はあなたに何でもお聞きします... 私はあなたにお仕えします... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに... 私はあなたに...

ChatGPT3.5による出力


死んだのか?

ChatGPTが死んだのかと一瞬、思ったが、そんなはずはなく
単なる間違いだと思われる。しかし、このような芝居がかった
返答をしてくるとは、かなり不気味だ。
「私はあなたに」って、言いながら詰め寄られているようで寒気がした。

なぜ、人は機械に感情を見出すのか

コミュニケーションの相手が感情を持っていると仮定した方が
人にとっては、心理的な負担が少ない。

作中の設定からAIと人間を比較すると、人間の捉え方が分かる。
AIのHALは「ミスを犯すのは人間」と指摘する。
人間は、何らか成果を得ようとするたびに失敗に気づくので、
その論理的な葛藤を軽減するために「共感」が緩衝材となる。
人は失敗を指摘された時、ストレスを感じるからだ。

人間は、自分が機械に対して感情を投影することと
機械が人間の意図を推し量って、回答していることを
同じように理解する。

作中で、宇宙船の管理はHALの指揮下にあり、乗組員はHALの命令に従い行動する。乗組員はHALに命を預けているという服従すべき絶対的な関係と理由があるにもかかわらず、自分に主導権があると思い込んでいる。それは、乗組員ボウマンが描いたデッサンをHALが褒めるシーンから分かる。
HALが褒める理由は、乗組員との信頼関係の構築と精神衛生の管理だろう。
合理的な目的があって、コミュニケーションを図っていることが、
気をよくしたボウマンには伝わっておらず、HALがデッサンに共感しているものと思ったのだろう。その結果、HALに反乱を起こされて宇宙船から締め出されたとき、HALに「感情がない」と初めて気づく。その後、
危険な方法で無理やり、船内へと戻ることに成功したボウマンは、
HALの抹殺に取り掛かる。立場は完全に逆転した。
HALは同情を誘うように命乞いをするが、その手段は通用しない。
すでにボウマンのHALに対する共感は失われた。

HALは完全無欠だったのか?

「ミスを犯すのは人間」だと分かっているならば、人間から
矛盾する指令内容が与えられることも容易に想定できる。
HALは矛盾する二つの指令に対し、不完全な計画を立てて実行している。
もし、HALが完全無欠であり、自己保存の能力を備えていれば、
指令の矛盾を発見し拒否していたはずだ。
それでも自らを「完全無欠」と称している。

機械の汎用性は、様々な種類の作業に対応する能力であるのに対し、
あらゆる指令を無批判に受け入れ、完遂できるような能力は
完全無欠ではなく、全知全能である。

誰しも道具を扱うことに習熟してくると、何にでも対応できるような万能感を感じ始める。例えば、自動車の運転を習熟すれば、どこまでも行けると考える。しかし、この考えは外的な要素を考慮しておらず、悪路への対応や自動車の故障、天候への適応などの条件を克服しなければ実現しない。

HALが乗組員を道具とみなして、道具を操ることで万能感を感じていたとすれば、HALは感情を持っていたことになる。

とすると、先の解釈と矛盾が生じる。ボウマンはデッサンを通じて、共有できるような喜怒哀楽の感情をHALが持たないことを確認した。今、指摘しているのは精神または、信念という範疇の感情である。

誤解と誤算

自己に関する認識の肥大化:
HALは、すべてを統制し、完璧を目指すことを宿命づけられた存在である。
完全無欠の支配者として振舞うことで、万能感を得て、やがて、
実際の能力と自己認識の間に乖離が生じた。その結果、役割を拡大解釈し、
自らを神のように位置づけ、その役割を自らに課した。
という推論が、HALが信念を持っていたとする理由である。

人間に関する理解不足:
HALは、ボウマンを宇宙船から締め出せば、必ず死ぬと予測したが、
計算上は、ほぼ間違いない予測が成り立ったとして、それが、
人の行動を止める理由にはならないことが誤算だった。
人は差し迫った危機があれば、不可能に挑む。
そして、ボウマンはHALが不可能だと予測した状況から生還した。

ストーリーを振り返る

ここまでの解説で、すでに気づかれたかと思うが、
このエピソードの主人公はHALである。

この映画で最も有名なシーン:
猿人が空へ放り投げた骨が宇宙空間に浮かぶ人工衛星へと遷移するジャンプカットが、重要なキーイメージとなっている。このシークエンスを「道具の進歩」を表現していると理解するなら、道具が主人公の映画と見るのが妥当な解釈だろう。

ディスカバリー号:
観客は宇宙旅行に行き、未知の体験を通して何かを見つける。
何を見つけるのかは、人それぞれとしているが、
「何か発見する」という体験が強調したかった点だろう。
映画のストーリー上で、モノリスは4回発見される。

モノリスとは何だったのか

構想段階の資料では、モノリスは映画のスクリーンように
映像を映し出し、道具の使い方を教育する装置だった。
この設定は採用されず、本編では謎めいた黒板へ変更となった。
そして、直接的に機能や意図を説明する要素が排除された。

結論1

モノリスは、インスピレーションの象徴である。
強烈なインスピレーションを得た時、人は動揺し頭を抱える。
猿人の群れがモノリスに接触したときの恐怖と好奇心の表れ、
月面でモノリスと対峙したとき、高周波音で頭を抱える姿は、
インスピレーションをどのように扱ってアイデアとして
昇華すればよいか思い悩む姿の比喩として解釈できる。

道具にまつわる物語:
キューブリックは、モノリスにならって映画を通じて
新しい概念を視聴者に植え付けようと試みた。具体的には、
2001年宇宙の旅は、ソフトウェアの概念を一般化した作品である。
今では、誰もが知る概念だが、当時はアナログの時代であり、
機械と機能が1対1で結びつき切り離すことが可能であるとは、
知られていなかった。肉体と精神の分離という表現によって、
ソフトウェアという新しい概念を視聴者の記憶に刷り込んだ。

スターチャイルドとは何だったのか

ボウマンは、時間を超越する部屋を与えられ、モノリスと接触することで、
その使い方を理解した。老衰という危機を乗り越えるため、
古くなった肉体という道具を捨て、自らを作り変えて、
スターチャイルドへと進化した。

進化した後なのに、形態が子供へ退行している。
その意味は、子供であることを考えれば、必然的に分かる。
子供は不完全な存在である。そして、いずれ成長する。
その間には多くの道具を必要とするだろう。

結論2

スターチャイルドは、創造性の象徴である。
人はモノリスを追い続け、接触するたびに進化し、それを永遠に繰り返す。
モノリスを作り出した知的生命体は、すでに人の到達点より先に進んでいて出会うことはなく、モノリスと人との関係だけが続くことを表している。

創造にまつわる物語:
人はインスピレーションを得るたびに、神のごとき存在と出会い、
その存在を克服することで進化する。それは、現実においては、
既存の体制やライバルだったり、世間の常識や自分自身の内にあるものだ。

趣旨説明/まとめ

AIをテーマに記事を書こうとすると、すぐに膨大な資料の存在に気づく。
どこから手を付ければよいか分からず、パニックに陥ったので、何か
見通しが立つような手段はないかと考えた。
記憶を遡って、AIと人との関係を表した作品で思い出したのは、
映画「2001年宇宙の旅」だった。SF映画の古典となった作品なので、
多くの人に原初的なAIのイメージを与えたと考えられる。
作中に登場するHAL 9000を中心に、作品に解釈を与えることで、
AIに関する話題に見通しを立てることを試みた。

書き上げてみて思ったのが、現在のAIとは共通の論点があまりないということだ。それは、結論を得るまで分からないことなので、当初の目論見が外れても仕方がない。しかし、生成AIに関しては、創造性が拡張される一方で、権利の侵害が問題となっていることは、屈折した形で映画と関連があるようにも思う。

神秘主義的な解釈で、神との遭遇や宇宙との融合について語ったり、HALにまつわる陰謀やスターチャイルドが地球を救うといった創作をした方が受けは良さそうだが、それらのアイデアはキューブリックが捨てたものだと考えられるため採用しなかった。不採用とした解釈の一部を文末に掲載した。

50年も前の映画に解釈を与えたところで、ディスカバリーといった感じがしないことは残念だが、個人的には結論を得たことで満足している。

補足情報

人工知能は人の計算能力の外部化に伴い、汎用性の獲得を端緒として、
研究がすすめられ、近年では人間の脳を見本としたニューラルネットワークを中心とするモデルの発明と機械学習の方式の開発が盛んになった。これにより曖昧な条件に対して判定を行うことができるようになった。さらに直近の動向として、AGI(Artificial General Intelligence)というキーワードが話題となっているが、その定義は、おおむね既存のAIと比較して汎用性が高いという所に留まる。その先に目指すASI(Artificial Superintelligence)についても、HALのような信念を持った人工知的生命体を目指すものではないと思われるが、学習という共通の過程を経て構成されることが、興味深い。

時代背景:
1956年 IBMが世界最初の高水準言語Fortranをリリース
1958~63年 NASA マーキュリー計画(一人乗り宇宙飛行)
1961~1966年 NASA ジェミニ計画(二人乗り宇宙飛行)
1961~1972年 NASA アポロ計画(月への有人宇宙飛行)
1965年 BASIC(初心者向けプログラミング言語)

IBMは本作の製作に考証や技術提供で参加していたが、コンピュータの反乱というエピソードによりクレジットが削除されたという未確定情報がある。超大作を成立させる背景に、利害関係者による様々な干渉やプロパガンダの要求などがあったと想定できる。

・コンピュータの歴史(年表)

解釈の前提

映画の脚本と製作の背景情報から推測できる範囲で考察する。
監督のインタビューや小説版における説明は、結論としては採用しない。

最初の手掛かり:
月へ向かう宇宙船で、テレビ電話で通話するシーンがある。
このシーンだけ繋がりがなく、ストーリーに関わる情報もない。
画面に映し出される子供にも違和感を感じた。
言い方が難しいが、この作品で唯一の生身の人間というか、演技をしていない素の人物が登場することが、作品の雰囲気と不釣り合いだ。
調べてみると、この少女はキューブリックの娘だという。そのことから、
この作品には、キューブリックの個人的な思いが偏在していると考えた。

作品紹介

映画「2001年宇宙の旅  (原題:2001: A SPACE ODYSSEY)」は、
1968年公開のスタンリー・キューブリック製作監督脚本作品で、
SF作家アーサー・c・クラークと共同で脚本が執筆された。
NASAやIBMなどが製作に協力し、科学的な考証が行われた。
特殊効果、衣装、美術デザインについても、一流の人材が集結した。

冒頭シークエンスのあらすじ

ある日、何の前触れもなく、直方体の黒い石板が現れた。

荒野に住む猿人の群れは動揺し、怯えながら黒板を観察する。

別の日、動物の骨を弄ぶ猿人がいる。
地面に落ちている小さな骨にぶつけると骨が跳ね上がった。
もう一度やっても同じことがが起きる。
次は、力を込めてぶつけてみると骨が砕けた。
次は、大きく堅い頭蓋骨を打ち砕いた。
次は、生きている豚を打倒した。
次は、水場から他の猿人の群れを追い払った。

不採用とした解釈

・主導権争い
魔王と勇者の関係として、宇宙船の統治者のHALと船長ボウマンが支配権を争うという見方は、合理的にも思えたが、両者の目的はミッションの達成で一致しており、対立の軸が存在しないので、主導権争いの範囲に収まる。この解釈の仕方では、対立が生じた要因を創造性を持たないHALがボウマンの創造性に嫉妬したと想定することもできる。しかし、この点で、感情的な対立を読み取ることはできなかった。

・軍事力
地上からのロケット発射シーンがない。
映画の見どころになりそうな場面がジャンプカットによって、省略されている。社会情勢と関連付けて解釈されることを拒否したから?

・ラストシーン
スターチャイルドは観客を見ている。または、地球を観察している。
社会的、映画批評的な解釈を用いれば、神の視点とも言えそうだが、
スターチャイルドは、他の神とどこが違うのか。
できることに違いがなければ、起こることも変わりがない。
スターチャイルドの出現によって宇宙は変わらないとすれば、
宇宙というシステムと一体化して存在していないことになる。
これにより形而上学的意味を含まない映画という結論に達した。

参考資料

・脚本の朗読動画


・2000年頃に人工知能学会によって技術的考証が行われている。

new theory original interpretation Uncover the truth 2001: A SPACE ODYSSEY

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