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強欲な人への向き合い方について

国の過大な欲は、君主から発したものか、臣下から発したものか、民から発したものか、見極めねばならない。そうはいっても、たやすく見極めのつくものではないかもしれないが、とにかく、臣下の欲によって国が動かされる場合は、それに従うことはない。つぎに君主の欲の場合、それが私的なものか、公的なものかによって、臣下は従い方を変えることができよう。最後に民の欲の場合だが、これには従うほかない。民は過大な欲をもたぬものだ。その民が異常な欲をもったとすれば、それは天意の反映と考えてよく、とても抗いようがない。

宮城谷昌光『晏子(二)』(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2295-2300). Kindle 版.

上の言葉は、息子の晏嬰から「自らは過大な欲を謹みても、国というものが過大な欲をもった場合、人臣のひとりとしてどうすれば良いか」と問われた際の、父、晏弱の回答です。私にとって非常に納得感のある考え方でしたので、ここに紹介させて頂きました。

私は政治家でもなんでもありませんが、現代は国民一人一人が政治に関わることのできる時代です。一人一人の考え方次第で国があっちにもこっちにも動いてしまうということです。逆に言えば、多くの人が国の動向に無関心であると、その行く末が全く不明瞭であるということでもあります。私たちは、実に難しい時代を生きています。

晏嬰らがいた当時は、君主の発言一つで国が動いてしまう時代でした。なので君主を諫め、国を正しい方向に導くことのできる臣下が歴史に名を残しました。晏弱、晏嬰親子はそれを見事に成し遂げた名政治家と言えるでしょう。彼らは寡欲に努め、常に国を思っておりました。

時代も政治制度も違えど、晏弱の言葉は身に染みてくるものがあります。それは人の本質を掴んだ言葉であるからでしょう。

現在の我が国が不当に高い欲を持っているとは思いませんが、あらゆる人のあらゆる欲は確かに存在しており、複雑に絡み合っています。これは政治に限らず、会社や家族でも同じでしょう。それが誰の欲であるか、そしてどのような理由で生まれた欲なのか、見極めなければなりません。

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