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日本語ネイティブじゃない人と久しぶりに話した今日の反省文

今日久しぶりに日本語ネイティブじゃない人と話していて、拙いながらに日本語で話してくれることに感謝しかないと思いながら「難しい表現使ってしまった」と自責の念に駆られているわたしです。

10年以上前の大学生のころに「自分がこの国に馴染んできたなって思えるポイントってどこだろうね」という話をしていたことがありまして(そういうことを研究するような学科でした)。生まれも育ちもアメリカの教授が言うには、「『笑って〜』と言われて『いいともー!』って言えたらじゃない?」とのことだったんです。いいともが日常だったあのころは、確かに! と納得したことを久しぶりに思い出しています。

なぜ思い出したかというと、そこまでわかりやすくなくても「『VIVANT』がおもしろかった」と話しても全然通じなくて、そりゃそうだよな〜と思いながら、相手の文化というか理解できるちょうどいい塩梅のところに合わせるべきだったのかなんなのかと思い詰めているからです。

そりゃ相手に合わせるべきなんだろうし自分が逆の立場だとそれがうれしいんだけど、ニューワードがあってもよかったよね〜

なあんて自分を慰めているけど、そんなの無意味なくらいに反省しているんです。今日のわたしは疲れていて気が回らなかっただけです。ごめんなさい。

ていうか「合わせるべきだった」とかおこがましくないか。そういうところがよくないんじゃないのかとか思って「わーーー!!!」となっています。

自分がネイティブでもそうじゃなくても、相手がだれでも気は使ってしまうから、これは性格なのよ。

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