透過
透過 2022.8.22
すごくきれいな、日々だった。
そんな印象を残して、景色は途切れた。ぷっつりと。
そう、
ぷっつりと。終わり、
はじまっていくことの意味を、ただ、
問うように。
この春に見た桜の光景を、私はいつまでも忘れないのだと思う。
私の中で確かに、ひとつの時間が、私を、私としてかたちづくってきたあの鮮明な日々が、今はっきりと途絶えたのだということを、やわらかに、しかしきっぱりと告げている、そんな光景。吹き抜けるように流れ、ぷっつりと終わり、私はまた終わるまで、地続きの日々を歩いていく。そんなことわかりたくもないのに、でも知らなきゃいけないんだよと、ただ在るだけで告げている、そんな光景。
川沿いに並木道は長く長く続き、空は青い。透けるみたいにかろやかな雲が、鱗のように散って一面にただよい、そのかすむような色合いの、やわらかな調和を背景にして、桜の花びらは揺れている。
まだ散りはしない、ちょうど満開の。
私はずっと眺めていた。静かな、おそらくは感動といえるひそやかなふるえが、たしかに体のすみずみにあった。
はじめてだった。
桜並木を前にして、花だけでない、その「光景」を眺めるのは。ゆれている花だけではなく、その揺らす風を、揺れる光を、花びらどうしのかすかなふるえを、狭間に透けていく川辺の色を、空を、雲をも眺めるのは。
「この光景を、言葉に写しとることはできるだろうか。」
私は考えた。
橋の欄干にひじをつく。なにひとつ、見逃すことのないように。
(眺めて、眺めて、あるいは問うて、私も桜に透けていく……)
気づけば、花びらの合間に揺れている空は、うっすらと染まって、夕がたの訪れを告げている。
私はまた考える。
「この色の調和を、書けるだろうか。書けただろうか。」
「いつか、書けるだろうか?」
美しい印象を先へ先へとつないで、日々は終わる。
私は問いつつ、ここに在り、
またこの日々を、歩いてゆく。
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