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【エッセイ】「夢」で知る自分の気持ち

 月末、月初は皆様がお忙しいからか、仕事で呼ばれることもなく毎月家にいることがほとんどで、お陰様でのんびりと過ごすことができる。
先週ひいた夏風邪も回復したが、どうしても咳が残っていて夜はなかなか寝付けない。
そのせいか、クーラーの効いた室内にいると、昼間はやたらと睡魔に襲われる。

  まあ、休みなんだし、来客も宅配も予定ないし軽く目を閉じるか……

 ベッドに横になって目を閉じる。
あれこれと小説のことやふんわりと浮かんでくることをぼんやりと頭の中で眺めるようにしているうちに微睡に落ちていく。

 二時間ほど寝て目が覚めた。
ぼんやりと見えるシーリングライトを見つめて、今見ていた夢を反芻する。

  なんて夢だ……意味わからん。 

 その夢の内容はーー

 場所は子供の頃に住んでいた家の居間。
そこにテレビとパソコンが2台あって、それぞれの画面でアニメを流して見ていた。
どれも同じ内容のようで少しずつ違う。
その状況を私は留守にしている夫が録画しているものが映し出されていると認識している。

 それを見ながら私は自分のジェンダーについて考えていた。
なぜ夫との夫婦関係を続けているのだろう?
もう夫婦として機能はしておらず、夫は「女性」を外に求めている。
このままで意味はあるのか?
夫とは家族ではあるけれど、私は彼に恋人のような感情を持てていない。それでいいのだろうか?

 結果色々考えて私は「計画離婚」を夫に提案することにした。
今すぐ離婚すると大変だし、色々と離婚に向かって準備をしていこう。このことを夫に提案しよう。

 そう思った私はなぜか台所に向かう。
台所も子供の頃に住んでいた家のものだ。
食器棚の前で「あ、お父さんとお母さんに連絡しなきゃ……この話を伝えなきゃ」と呟いて勝手口に向かおうとする。 
 当時、自宅の隣りに父が経営する町工場があり、そこの事務所に行けば父には会えたからだ。

 しかしそこで私は足を止める。
「そういえば父さんと母さん旅行中だっけ?帰ってきてからでいいか……あれ?いつ帰ってくるって言ってた?」
私はその場に立ち止まって考える。けれど、両親が戻る日時を聞いていないことに気がついた。
「会社に聞いてみる?いや、こんなこと会社に聞きに行くのも邪魔だよな?」
と、悩んでいるうちに
「あれ?お父さんとお母さんてもう死んでるんじゃない?」
と気がついたところで目が覚めた。

「なんて夢見たんだ……」

 私は眠気覚ましのコーヒーを沸かして飲みながら再び夢を思いだしていた。

 登場人物は私一人。

私は14年前に離婚した今は音信不通の夫と、すでに亡くなった父と母のことを考えていた。そして場所はもう28年以上も前に壊されて跡形もなくなった家。

 夢というものは時空を超えて記憶の中にあるものを混在させる不思議な空間。ユニークなファンタジー世界だ。
そしてそれが今の私の心の奥底にある御伽話の世界なのだと理解する。

 夫との離婚当時、私はまた自分のセクシャリティーには気づかずに、また「自分が思う女性像」にはなれないコンプレックスにも気づいてもいなくて、浮気を繰り返す夫との意味のない婚姻生活にイラついて、ストレスから体を壊し右目の失明と鬱の真っ只中にいた。
 夫との関係性も最悪で「こんな生活をしていては私がダメになる」と離婚を決意した。
しかし夫は最悪の関係性になっていても私と離婚するつもりはなかったらしく、私から離婚を切り出した後は青天の霹靂だったようだ。
それまで私に酷い言葉を投げつけていたのに、途端に甘い言葉をかけるようになり態度も優しくなった。
けれど私の意思が硬いとみるや、再び攻撃性を高めてきた。
それでもなんとか一年三ヶ月で調停離婚に持ち込めた。

 あれから14年。
自分がトランスジェンダーであることを認識してから、元夫に対して私なりの「詫び」の気持ちが湧いてきていた。
「私が女じゃなかったって、本人がわかってなかったにしても、騙していたみたいでちょっと申し訳なかったな」
 自分のトランスジェンダーを受け入れてからのこの一年、何度となく彼に対して思っていたことだった。

 せめて離婚する時にわかっていたら、夢で願っていたような「計画離婚」ができたかも。
あんなふうに啀み合い罵り合うもうなこともなかったんじゃないか?
という甘い気持ちが私にあの夢を見せたのだろう……

 たとえ別れて2度と会うことのない夫であっても、私自身に対する嫌な気持ちや記憶が他人の中に残っていることが嫌なのだ。
わた自身の中に「私の嫌な部分の記憶」があるのは仕方がないにしても、他人の中にもその記憶が残っているのだと思うことが嫌なのだ。

 本当に私はなんて自分勝手で甘えたやつなのか?
どうしょうもないことなのに、私はそんなことを思ってしまうみみっちい人間なのだ。

 そして両親。
両親は二人で旅行に行くなんてことはなかった。
そんなことするような夫婦ではなかった。
夫婦仲はとても悪かった。

そんな二人に対して私は最近度々思っていた。
仲の良い両親であったらいろんなことが変わっていただろうなぁ……と。

 私は彼らのことを心から尊敬できていたかもしれない。
もっと素直な子供時代を過ごせていたかもしれない。
こんな卑屈な自分にならなかったかもしれない。

 自分自身の性格が両親の不仲にも原因があるんじゃないか?と責任転嫁をしてしまっている。
これまたこんな甘いことを心の奥底では思っていた。

もちろん両親の仲がどうであろうと、私の性格がそんな劇的に変わったとは思わない。思えない。
それでもふっと思ってしまうのである。

 そしてこう思っていたことを愚痴であったとしても友達にはいえなかった。
いや、実は言ったことがある。
そして話した後は必ず「甘えてる」と言われていた。

私自身そんなことはわかっていて、愚痴なんだから別にアドバイスなんでいらないからただ聞いて欲しいだけなんだけどなぁ……
と、いつも愚痴った挙句にアドバイスを受けてモヤモヤがのこっていた。
そのうち友達のありがたいアドバイスが辛くなり話すことがなくなった。

 そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら「両親は不仲だった」事実を思い出すたびに心の奥底では「自分の理想の両親像であって欲しかった」と思っていた気持ちが夢に出てきたんだろう。

 そう思った。
そしてそんな自分の心の奥底にある本音が垣間見えて、おかしくなってしまった。

 大抵これまではこういう過去に絡む夢を見ると、不愉快に思ったりしたものだけれど、今回はそうネガティブな気持ちにもならずに、素直な気持ちで夢を振り返ることができた。

 そんな自分は少し器が大きくなったように思えて、また一つ自信を持てたように感じられた。

「叶えたい夢」と違って睡眠中に見る夢は自分の心の中が見えるユニークな自分だけのファンタジーの世界。
現実とかけ離れ過ぎていて時には絶望することすらあるだろうけれど、それでも自分の心のうちを教えてくれる。

そしてそれを覗き見ることで自分自身がどのような方向性で進めば良いのかをたまには示してくれたりする。
そして今回のように自信を持たせてくれることもある。

こういうふうに自分の見た夢を活用するのも悪くはないなぁ。
そう思えた真夏の白昼夢。

 お読みいただきありがとうございました。

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