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トランスジェンダーと自認して一年だって変わったこと

 自分がトランスジェンダーだと気づいて受け入れてから一年がたった。

 気がついた当初は「自分はトランスジェンダーX」だと思ったけれど、一年たった今では「トランスジェンダー/ノンバイナリー」なのだと認識している。

 気づいたきっかけはWEBに投稿しているBL小説の人物設定をトランスジェンダーにしようとして色々調べ始めたことだった。
そこに書かれていた「トランスジェンダーX」について読んでいると、まるで自分について書かれているかのように思ったのだ。

 それを読んだ時は漠然と「ああ、私はトランスジェンダーだったんだ」と気づいて納得した程度だったけれど、それ以降、自分方ぜトランスジェンダーであることに気が付かずにいたのだろうか?と考えた。

 ネットで見る他のトランスジェンダーの手記や記事などを読んでいると、割と早い時期から「性別違和」を感じている様子が書かれている。
それなのになぜ私は生まれて半世紀近く気が付かなかったのか?

 私は自分の記憶をゆっくりと遡り、思い出すことも少なくなっていた子供時代のことも細かく思い出すようにしてみた。

すると思春期の頃は毎晩「明日は男の子の体に変わっているかも!」と期待しながら眠りについていたことを思い出した。
そしてその時の自分の感情は「私は中性で、女でも男でもない存在なんだ」と思っていた。
 しかし当時の私はそれを思春期にありがちは妄想だと思い込もうとしていた。
ファンタジー好きでアニメや漫画が大好きだった私は、そう言った妄想に耽り現実逃避をしていると思っていた。
こんなことを口に出して言えば頭のおかしい子だと思われて、親に怒られたり、みんなから嫌われると思っていた。

 特に母親とは良好な関係を築けているとは言えない状態で、私は常に母に叱られることにビクビクしながら過ごしていた。
そして現実主義的な姉に話しても揶揄われて馬鹿にされるのが怖くて言えなかった。
父に至っては絵に描いたような昭和の堅物親父なので、言えばどんな目に遭わされるか容易に想像がついた。

 学校ではそれについては「創作」という形で書いて友達に見せたりしていたけれど、それが自分自身のことであるとは決して口には出さなかった。

 そのうち私は当時「やおい」と言われていたアニメの二次創作にハマっていった。

 男女の恋愛もの、特に女性視点の作品にはときめきも何も感じなかったのに、「男同士の恋愛もの」にはときめきなど高揚感があった。
 そこに自分自身を投影することで、現実世界で自分が女であることから逃避していたのかもしれないと思い至った。

 それと同じ頃、母は私に「姉はあれはあかんから、あんたががんばらなあかんで。あんたがええ大学出てええむこさん捕まえて後注がなあかん」と熱心にいうようになった。
 その頃、姉は母親に激しく反発しいうことを聞かなかったので、母の興味が私に向いたのだ。

 母に嫌われたくなかった私は母が望む「女の幸せ」を叶えるべく「女なんだから女らしくならなければならない。」と強く思い込み、自分の中にあった「性別違和」を「妄想」と思い込み蓋をしてしまったのだった。

 そのことに改めて気づいたのは、トランスジェンダー辞任をしてから間もない頃だった。

 トランスジェンダー自認と同時に、母への依存からの解放が始まり、私の意識はそちらに向いていた。
そしてそれに対しての気持ちの整理がついた今年の春先、再び自分自身の「性自認」に向き合うことに多くの時間を割くようになった。


 トランスジェンダーであることを自認してからの新たな悩みが「男よりなのか?女なのか?」だった。

 自認をした当初、抑圧の象徴であった母への思いから自分の中にある「女性性」を嫌悪していたと考えていた。
 それが原因なんだろうか?と思ったけれど、母との関係性について自分の中で整理がついた時、それは私の性自認とは別問題だと思えた。
 いまだに母や姉のような女性は苦手だが、それ以外の女性については驚くほどになんとも思わなくなっていた。

けれど自分自身が女性であることには受け入れ難い気持ちがあった。
しかし男とも思えない。

 そのことを考えるようになって、幼少期の頃の感情を思い出した。


 背が小さくて体も弱く、運動神経も良くない。
幼い頃、理想としていた筋肉隆々の男の体には自分は慣れない……。そのことに小学校へ上がる頃には気づいていたのだ。

その頃も可愛い女の子であることを求められて、そういう姿をして振る舞えば周りのみんなが喜んでくれる。

 自分がこうなりたいと思っていた姿にはなれないと気づき始めた頃に、可愛い女の子として振る舞えば、みんなが私を認めてくれる。
子供ながらの気づきとそれによる思い込みで、私はここでも自分の性別違和を封じ込めていたようなのだ。

 それでも、普段着は男の子のような格好を好み、一人で美容室に行くようになると勝手にショートカットに刈り上げをした。
旅行先で「僕可愛いね」と声をかけられて上機嫌になり、男の子に間違えられるたびに嬉しく思っていた。

 そんな子供の頃からの記憶を思い出し、改めて私は物心ついた時からトランスジェンダーだと思った。


 ただ「トランスシーX」というカテゴリに自分を置いたときに釈然としないものを感じていた。
このカテゴリの中には「中性」「両性」「無性」とあるけれど、そのどれにも当てはまらないように思えた。

 これは自認してからの1年間、ずっと密かに悩んでいた。
けれど最近になってようやくLGBTQの交流会に参加するようになり、そこで様々な人と出会ったときに、自分はノンバイナリーなんだと理解した。

 そこにいるさまざまなトランスジェンダーの人たちと出会ったことで「ノンバイナリー」がどういうものなのかを肌で感じることができた。

 自認する性別も振る舞う性別にも囚われないノンバイナリー。
肉体が女性であることは自認していても精神的性別は女性であることを受け入れられず、だからと言って男とも思い切れない、今の私の状態を表すには一番適していると思える。

 これからも「性別」の狭間で揺らぎながら悩み続けるのだろうけれど、その悩みそのもの丸ごと楽しみ味わい尽くして人生を楽しんでいきたいと、この一年を振り返りながら思った。

お付き合いありがとうございました。

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