見出し画像

「女性でなければ」という最大の執着と思い込みを手放したら人生楽になった。

 「手放すことで人生楽になる」とか「幸せになる」という言葉を30代ぐらいからよく耳にするようになってきて、実際に物を捨てたり、頭の中に思い浮かんだ執着しているものを整理して手放したつもりになっていた。

しかし物理的なモノを手放すことは行動に移せばできたけれど、心の中にある執着や思い込みはなかなか消えることはなかった。

 親に対する執着
 何をやっても最後までやり通せない感覚
 達成感も感じたこともなく
 愛情に飢えて満たされない気持ち
 人を妬む心
 自己肯定感の低さ

 こういう思考は私の中にある「思い込み」や「執着しているモノを手放す」ことができればきっと解消するはずだと必死でもがいて、足掻いて……苦しんだ。

 「苦しんだ」という感情については、その最中にいるときは「認めたくない」感情なので、気づかないふりをしてきたけれど、今思えば「苦しかったよなぁ」と思う。
ていうか「苦しい」て認めてしまうと、そのことから逃げたり、負けたりしたみたいで、当時持っていたチンケなプライド(負けん気)が許さなかったのだ。

しかしそのストレスで心も身体も壊し、視力さえも失いかけたのだから。
「苦しさ」を認める勇気があればこんなことにはなっていなかったんだろう。と今なら思える。

それでも私は「大丈夫」とヘロヘロになりながらも、気づいていなかった「執着」にしがみついていたのだから。
その思い込みと負けん気たるや、凄まじいモノだと思う。


 その執着に気がつくことができたのは友達に言われた一言。
「あんた女が嫌いやろう?」
 だった。

これについては今まで書いてきた記事の中にもたびたび挙げてきたけれど、私は私の中にある「女性性」に激しい嫌悪感を抱いていた。

自分自身でも薄々気づいていたこの感情。
40代に入ってから実は僕前とはおもっていたのだけれど、あることがきっかけで勘づいた友達から「言葉」で指摘されて白日の元に晒されてしまった。

 最初はそれを私自身が、「母や姉のような女にはなりたくはない」という気持ちから起こってきたものと思っていたけれど、そんな単純なモノではなかった。

 もちろんその気持ちもあったけれど、そんな後つけ的な感情論ではなくてごくシンプルに、
「女であることが嫌だった」
「男に生まれたかったのに」
というのが私の本来の思いだったと気がついた。

 シンプルな願い……と書いたものの、このシンプルに至るまでには幾重にも包み隠し覆われた私の思い込みのラップを剥がす作業が必要だったのだけれども。

 その思い込みとは「女なのに」「女だから」だった。

 私が小さい頃はトランスジェンダーなんて言葉はまだなくて、「オトコオンナ」「オカマ」などの差別的な表現ばかりだった。
そういう人たちがテレビに出てくると、父や母は嘲の対象として「こういう奴らはこんなカラダを売る仕事しかでけへん。病気や」と罵った。
 この頃の私はまだ女性で性別違和を主張している人がいることを知らなかった。
 宝塚や歌舞伎を見て「あれはどうなんだ?」みたいなことを聞いたら「あれはちゃんとしてるからええねん」と何度もいい加減な説明を受けたけれど、幼い私にはその説明で納得したようだ。

 とにかく自分の性別と別の振る舞いをしたら、親から「病気」と思われてとっても叱られる(=折檻)と理解してしまったのだった。

 実家が町工場を経営していたので、休日は従業員のお兄ちゃんたちと遊んでもらっていた。
幼稚園でもあんまり女の子と遊んだ記憶はない。
体が小さかったので男の子とおもちゃの取り合いになると負けていたので、本を読んで過ごしていたような記憶があるが、男の子以上に先生に叱られて廊下に立たされた記憶もある。

人形遊びやおままごともしたけれど、さっさとリカちゃん人形は捨てたような記憶がある。
それよりもレゴなどで家を作ったり、お城を作ったり、車や秘密基地を作って楽しんでた記憶もある。
そして「プラモデルを買ってくれ」と親にねだると、「それは男の子の遊びだから」と断られた記憶がある。

 女の子とは趣味が合わなかった。
ゴム跳びや縄跳びはしたけれど、人形遊びやお菓子作りは興味はなかった。というか、女子がやってる遊びの何が楽しいかわからなかった。
 仲良しでアクセサリー揃えたりするのが気持ち悪かったりしてそれを言ったらいじめられたりもした。

 成長するにつれて自分の中で「女子っぽいことはどうにも苦手」という思いが強くなり、また小学校での女子達と一緒にいるのが苦痛で環境を変えたい……。
そういう気持ちもあったので、中学は私立の女子校に進学した。

 今更に思うのだけれど、女子との付き合いが拗れて環境変えたいとおもったのに、なぜ女子校に行ったのかが不思議なのだけれど。
幸いなことに、この学校はそれほど校風も厳しくなく、女子らしさもそれほど感じずに済んだのでのびのびと過ごせた。

 あまり性別を意識することもない学校ではあったけれど、自分の体がどんどん変わっていくことと、精神的な性別とのギャップに激しい違和感と嫌悪感を抱き始めていた。
しかし好きになる相手は男性だったので、ここでますます私は自分を拗らせていくことになった。

 女なのに、男になりたいって、でも好きになるのは男の人が多いから……私やっぱり女だよね?

 いや、実は好きになった相手は男ばかりでなく、女の子にも性的な欲求を感じることもあった.
しかし好きになる相手は大抵が男性だった。
男に好かれたい自分としては「女性らしく振る舞わないと」という気持ちが芽生えていた。

 おりしも父や母からも「女らしくしなさい」とか「女なんだから」「女は結婚して幸せになれ」などと言われる機会も増えたことで、

「女なんだから女らしくしないと私はダメだ」と思うようになって行ったのだった。
それと同時に「女なんだから、何をやっても最終的には結婚して子供を産んで、それが幸せなことなんだ」
と、徐々に思い込むようになって行った。

 女性の自立が叫ばれるようになってきた時代の風潮の中、私は「女性でなければならない」を意識しすぎて、時代と逆行した女性像に執着するようになってしまっていた。

 今ならば、トランスジェンダーFtMであってもゲイはいるのは当たり前だと理解しているけれど、80年代にはそんな情報もなく、私はますます自分のジェンダーを拗らせて行った。

 この思春期の頃の「女でなければ」な思い込みはそれから以降も肥大して、私の本質を覆い隠していくことになる。
しかも時代錯誤な女性像に。

当然、本質で生きていない私の人生はうまくいくわけもなく。
なな親からも「あんたは何もでけへん子やねんから親の言うことを聞いとけ」と言われ、搬送するとヒステリーを起こして当たり散らされて……

どんどん自分を失い、親の言いつけから逸脱することができず、心の均衡を失い、25歳の時に「鬱症」の診断を受けるに至ってしまった。

 それからさらに25年「女でなければ」「女なのに」「女として幸せになる」と思い込みを肥大させてゴリゴリに固まった執着を手放すことができずに生きていた。

 けれど、この執着をたまたま友達が放った「あんた女嫌いやろ?」の一言をきっかけに手放すことができた。

四半世紀をかけて身につけた「時代錯誤な女性像」への執着は、あの一言を聞いてからほぼ一年かけて手羽出すことができた。

 自分の人生変えたくて、スピリチャルなカウンセリングにも行き、いろいろやってみた。
「執着を捨てなさい」
と言われるので
「それは何でしょう?」
と尋ねると、
「答えはあなたの中にあります」
と言われるばかり。

 しかも私が女性前提であることで話は進むので、全くもって真実、真相には辿り着けなかった。


 振り返って、ではこれまでの経験が全部無駄な時間だったか?というとそうでもない。

 自分の本質に気づかずに苦しんだ時間も貴重な経験だ。
思い込みは自分の心身を蝕むということを身をもって知ることができた。
それがどれほど辛いことなのかは、経験しないと分からなかったことだ。(人には勧めたくない)

 家族の中が拗れたことも経験したからそのしんどさや辛さが理解できる。

 そして思い込みと執着を手放したら、こんなにも心が豊かになれると実感できた。

 この「女でなければ」の思い込みはいろんな恐怖症も私にもたらしていたけれど、今はそれもほとんど感じない。

 今の時代を生きている人は、いろんな情報を手に入れられるから、私のように「体は女、だけど精神的には女ではなくて、で恋愛対象はほぼ男」というトランスジェンダーがいてもいいんだということがわかるだろうから、私みたいな時間の無駄遣いはしないだろうけれど。
(多少はもっと早くに気がついていたらという気持ちがないわけでもない)

 何が思い込みで執着なのかは人それぞれだけれど、それを手放すことで「心が幸せになる」「心にゆとりが持てる」「気持ちが楽に生きていける」のは本当のことだと今は実感しています。

 もちろん、しあわせの形も人それぞれです。

 皆さんの幸せを心よりお祈りしております。

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?