汚部屋からの脱出そして心の解放
心模様は部屋にも現れる。
心が荒めば部屋も荒れる。
セクシャリティ自認が私の精神に及ぼしたものはとてつもなく大きい。
その一つが「汚部屋からの脱出」でした。
毒親育ちを受け入れた後も大概部屋が綺麗になったけど、セクシャリティの自認後はさらに進みました。
床にものを置いていない生活なんて今までしたことなかったんです。私。
けど今はものが棚に収まってます。
そしていらんもんは容赦なく捨てられるようになりました。
多分、「自分軸」が確立したからなんでしょうね。
一番に切り捨てたのは「女として必要なもの」でした。
(生理用品除く)
女性らしく見せるための髪飾り、帽子、服や靴。
それがなくなっただけでも随分と荷物が減りました。
自宅サロンをしていた2LDKの前の家から今の1DKの家に越してきた時から比べたら荷物半分以上減ったはず。
段ボールに入れてみないとわからないけれど。
それでもまだ減らせると思う今日この頃。
自分が確立していくと、迷いがなくなってくるんでしょうね。
そして自信が持てるようになる。
私が床に物を出す癖があった理由の一つが「しまい込むともう二度とそれを探し出せないかもしれない」という恐怖心があったから。
すぐ使うから、直してしまうとわからなくなっちゃう。そう思っていたからです。
それも今はない。
数年前に、今もお世話になっている人から、
「あずきは恐怖心に支配されてる。こうなりたくないが行動原理にある」
と指摘されたことがありました。
その言葉は言われたその日から私の心にずっと残っていて、ほぼ毎日思い出します。
私の恐怖心ってどこから起こっているのだろう?
それを考えた時、行き着くのは母の存在。
彼女の存在を意識しすぎて自分の思い通りにできなかった。
そしてできなくなってしまっていた。
「母親に叱られないように」が行動原理で、自分が脳死対価では行動できなくなっていた自分。
親が毒親だったことにも気が付かず、それも人に指摘されるまでわからなかった。
頭で理解した後も、心がなかなかついてこなかった。
けれど母への恐怖から逃げるために被っていたベールを一つずつ、時間は数年もかかったけれど外して行けてようやく「母親の恐怖」から解放されることができたのかもしれない。
それを象徴するのが、床にものが置かれていない今の部屋。
溢れるほどに物はなくていい。
必要なものだけあればいい。
思い返してみると、実家はいつも物で溢れかえっていた。
窮屈で必ず床にものが置いてあった。
使いきれない歯磨きチューブに石鹸、トイレットペーパー、マヨネーズ……
不必要なほどの枚数の服と靴……
物のない戦時中に幼少期を過ごした母。
溢れる物に囲まれていないと怖かったのかもしれない。
その母の影響を私も色濃く受けていた。
必要なものだけになっていく部屋を見て私は、
やっと毒母親から心が解放されたと実感できた。
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