【連載エッセー第42回(最終回)】春を迎える
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ってきました。今回で最終回です。2年近くの連載をお読みいただきありがとうございました。*********************************************************************************
早いもので、今の家に引っ越してから3度目の春が巡ってきた。
薪ストーブを使わなくなると、どこか寂しい気もするものの、ほっとする感覚がある。冬を越えた、と思う。山里に移り住んでから、「冬支度をする」「冬を越す」という言葉に実感がともなうようになった。薪を蓄えて冬を迎え、空になっていく薪棚を眺めながら冬を過ごす。
以前から夏と冬では服装も布団も違うのだけれど、薪ストーブや薪ボイラーを使うようになり、冷蔵庫や洗濯機を使わなくなって、夏と冬の間での暮らし方の差が広がったように思う。
夏と冬では、「家の外での家事」の具合も違ってくる。夏は早朝に庭や畑のことができるけれど(早朝でないと暑くて大変)、日の短い冬の朝や夕方に外仕事をするのは難しい。
冬は雨や雪も多く、外での作業を進めづらい。雪が積もると、土に鍬を入れる仕事はできない。
春になると、虫や鳥が動きだすのとともに、私たちの暮らし方も冬型から春型へと移っていく。これからの1年は、どういうものになるだろうか。
思えば、私たち家族の生活は、この2年ほどの間にいろいろと変化した。
冷蔵庫を使うのをやめ、壊れた洗濯機を処分してからは手と足で服を洗っている。いつの間にかテレビも観なくなった。
家の隣の土地を開墾し、鹿から畑を守るための柵を組み、野菜を育てるようになった。
鋸やチェーンソーで薪づくりをするようになり、家に13台、大学に1台の薪棚を置いた。斧での薪割りも上達した。
何より、たくさんの人との出会いがあった。地元での付き合いも濃くなってきたし、「伏見わっか朝市」を通しても人の輪が広がった(第39回を参照ください)。有機栽培や自然栽培を実践する人たち、ビーガン生活を送る人たちと知り合うこともできた。学校給食の民間委託を黙って見過ごさない保護者仲間と、議会請願に取り組んだ。すてきな人たちとの出会いは、希望の源だ。
これから私たちの生活に何が起きていくのか、すべてを予想することはできない。
家の近くにスクラップヤードが作られ、騒音公害と闘う日々を送ることになるなんて、1年前には思ってもみなかった。スクラップヤードというもの自体、知らなかった。
ニワトリと暮らすことも、1年前には考えていなかった。偶然が重なり合って、チャボが家にやってきた。
今年の初めには、生まれてすぐのヒヨコを譲り受け、今は2羽のチャボが庭で暮らしている。
最初に家に来たチャボのノブコさんは、今年の3月11日に初めて卵を産んだ。うっすらと桃色がかった小さな卵だ。冬の間は卵を産むことがなかったけれど、少し寒さがやわらぎ、あたりから鳥の声が聞こえ始めるなかで、1日おきくらいに卵を産むようになった。春が来た、と思った。