【連載エッセー第40回】和傘で歩く
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(3月からは月3回のペースで連載しています。)*********************************************************************************
1年ほど前から、雨の日に和傘を使っている。竹の骨組みに和紙が張られているものだ。新しい傘が必要になり、金属とプラスチックの傘を避けたいと思った。傘の撥水加工にはPFAS(有機フッ素化合物)が使われている可能性が高いようでもある。
和傘を試してみようと思い、探したところ、本格的なものは何万円もすることがわかった。とても気軽には手が出せない。日常生活に和傘を使った経験がないので、どれくらい実用できるのかも見当がつかない。もったいない買い物になりかねない。
インターネットで和傘を調べると、「コスプレにおすすめ」「劇に使える」というふうな宣伝文句が付いているものが少なくない。そういう需要があるようだ。実用性に不安を覚える。
そうしたなかで、「雨天使用可能」という説明が書かれている番傘を見つけた。通販で購入することへの引け目を感じつつ、6000円くらいで手に入れた。
届いた傘を見ると、パソコンの画面で見たときにはわからなかったものの、てっぺんの部分にはプラスチックのシートが貼られていた。残念ではあったけれど、和傘のなかではかなり安価なものを選んでしまったし、仕方がないのかもしれない。
雨の日にさしてみた。なかなか良さそうだ。すぐに壊れてしまいそうな感じでもない。地面に対してまっすぐに立てて持つので、体がしゃきっとする感覚もある。
ただ、周囲の目を引いてしまっているようには思う。「おしゃれ」で番傘を手にしているわけではないし、目立ちたいわけでもないのだけれど、近所でも職場でも、傘のことで声をかけられる。買い物に行った先でも「懐かしいものをお持ちですね」と言われたりする。どうも気恥ずかしいものの、「なるべくプラスチックを使いたくなくて」という話をする機会になるので、悪くはない気もする。
もっとも、この番傘の環境負荷がどのようなものなのか、実際のところはわからない。番傘がどこでどうやって作られているのか、私は理解できていない。和紙には油が塗られているけれど、それがどういう油なのかもわからない。
番傘についてのモヤモヤは、ほかにもある。ひどい豪雨のなかを長く歩いたときには、和紙と和紙の継ぎ目から雨漏りがして困った(傘の中にポタポタと雨が降る)。普通の雨なら問題ないものの、傘としての強さという点では難がありそうだ。
それから、よくある洋傘と大きさ(太さ)が違うので、傘立てに収まらないことが多い。使い捨ての傘袋にも入らない(それはそれでよいようにも思う)。
あと、逆さまにして持ち歩けないので、傘を閉じているときの持ち方に戸惑う。持ち手を手首にひっかけることもできないので、手がふさがってしまい、電車の定期券を取り出すのが難しかったりする(手首を通す紐を傘の先に付けるとよいのだろうか)。
考えていて思い至ったのは、濡れた傘を閉じて持ち歩くこと自体が本当は間違いなのではないか、ということだ。バスやら電車やら、地下道やら、大きなビルやら、そういうものを現代社会が増やしてきたから、傘を閉じて持ち歩くことになったのだろう。家を出るときに傘をさし、目的地に着いたら傘を閉じて置く、というのが自然なかたちだと思う。
そもそものところを言えば、「(よほどの理由がない限り)大雨が降ったら外に出ない」というのが、本来のあり方なのかもしれない。