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【連載エッセー第19回】「野菜か、魚か」で迷う

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日に更新予定)
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 2020年から新型コロナウイルスが広がったこともあって、大学(職場)に弁当を持っていくようになった(それまでは近くの店で食べたりしていた)。近頃は米と野菜の弁当だ。お昼は研究室で弁当を食べる(気分転換になりにくいのが難点)。仕事の関係で夜の帰りが遅くなるときは、弁当を2つ作ってもらうこともある(妻に感謝している)。

ある日の弁当

 泊まりがけで出かけるときには、さすがに食事の回数分の弁当を持っていくのは難しい。コロナの関係で遠出がほとんどなかったときはよかったのだけれど、少しずつ東京などでの集まりが増えていくと、行った先で何を食べるかを考えなければならなくなる。会った人といっしょに食事をすることもある。

 外で食べるときには、「野菜か、魚か」で迷ったりする。

 畜産によって大量の温室効果ガスが排出されていることや、現代の畜産のもとでの牛や豚や鶏の扱いを考えると、肉を食べるという選択肢はない。チーズや卵を使った料理も避けたい。基本的には野菜を食べるべきだと思う。

 ところが、店で食べる野菜が有機栽培のものかどうかは、必ずしもはっきりしない(有機栽培ではないものがほとんどだろう)。野菜の栽培のために農薬が使われていれば、その犠牲になっている生きものが無数にいるはずだ。そうやって生産された野菜を食べることは、日本海を泳いでいたアジを食べることより罪が軽いと言えるのだろうか。

 環境負荷という点で考えても、生きものの殺傷という点で考えても、魚よりも野菜がよい(まし)と一概に言えるのか、私にはわからない。

 有機栽培の野菜でさえ、生態系に害を与えないとは限らないし、動物を犠牲にしていないわけでもない。

 殺虫剤を使わずに野菜が育てられていても、その野菜を運ぶクルマは、虫を殺しているだろうし、温室効果ガスも出していることだろう。野菜を包むプラスチックも、生きものにとっての脅威になる。

 プラスチック包装された米国産の有機ヒヨコ豆は、環境負荷が少ないと言えるだろうか。イタリアから空輸されてくるオーガニック・オリーブオイルは、動物に危害を及ぼしていないだろうか。

 有機栽培の米や野菜を食べれば動物を殺さずにすむ、環境を壊さずにすむ、とも思えない。

 あれこれ考えると、「自分たちが食べるものは、納得のいくように自分たちで育てたい」という思いが強くなる。できることなら、家で食べる野菜は、自分たちの畑で自給したい。私たちの家族が山里に移り住んだのは、畑とともにある暮らしを実現するためだ。

夏野菜を育てる畑

 ただ、引っ越してきたとき、家の横の「農地」は、畑というよりも、「かつての畑」になっていた。何年も放置されていた間に笹が茂ってしまって、一生懸命に刈った後も土の中には根が残った。

 笹の根を取り除くのは大仕事だ。最初の一年間は、畑のことにまで手が回らなかった。今年は夏野菜のための場所だけ何とかしたものの、畑づくりが課題になっている。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』

#里山 #里山暮らし #山里