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【連載エッセー第7回】暗闇を抜ける

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日に更新予定)

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 クルマがあったら違うなあ、と思うことがないわけではない。一つは、大学から家に薪を運ばなければならないとき(第6回を参照)。もう一つは、帰宅が夜遅くになってしまうとき。

 家の前を通るバスは、夜7時に着く便が最終だ。その便に間に合わないときは、家から2キロほどのところにある「駅(ターミナル)」までバスで帰る。「駅」までなら、夜は1時間に1本くらいだけれど、わりと遅くまでバスが走っている(10時半くらいに着く便が最後)。

 バスの「駅」からは、たいていの場合、自転車で帰る。「駅」の近くに、普通の駐輪場はないものの、自転車を置かせてもらえるところがある。春に移り住んだときには、その「駐輪場」はなかったのだけれど、自治連合会の会長さんらのはからいで、「駅」の近くの方が場所を提供してくれることになった。たいへん助かっていて、ありがたい。

 自転車がないと、「駅」から歩いて帰ることになる。家まで、たいした距離でないとはいえ、なにしろ都会の道ではない。「駅」のまわりには人が住んでいて、家路の途中にも集落があったりはするけれど、谷間の森を抜けていかないと、家にはたどりつけない。

夜になると本当に暗い

 そして、森を通る道は暗い。まばらに道路灯が立っているものの、少し離れたところでは、自分の足元さえ見えないことがある。大きな枝や石が落ちていないか、クルマにひき殺されたヘビがいないかは、道路灯の光だけではわかりにくい。

 何メートルか下を流れる川の音を聞きながら、いくらか心細くなりつつ、急ぎ足で歩くことになる。

 自転車があると、森の暗闇を走り抜けることができる。自転車のライトがとても頼もしい。以前は、住宅街の道は夜でも明るいので、ライトの必要性さえ感じにくかった。今は、自分で照らしながら走っているという実感がある。

 ただ、自転車でも緊張感はある。しっかり路面の状態を見ていないと、事故を起こしてしまいそうだ。それに、ときどき4本足の影がチョコチョコと道を横切ったりする。道の脇の茂みで急にガサゴソッと音がして、ドタドタッと何かが走り去る音が聞こえることも珍しくない(鹿だろう)。夜の森は、自転車に乗っていても、ちょっと怖い。

 真冬には自転車に乗れないことも増えるのでは、と心配している。雪が積もると、自転車では走れない。アスファルトの路面が凍結していると、とても危険だ。暗いと道が凍っているかどうかもわかりにくいので、用心のために自転車をあきらめるかもしれない。

道路灯が枝葉の陰になることも

 ちなみに、夜道を歩いて帰らなければならないことは今までにもあって、2度目からは懐中電灯を持参するようになった(電気を使う機械に頼るのは不本意ながら)。滑稽な感じもするけれど、そうやって通る人が自分たちで何とかするのが、本当はよいような気もする。機械設備で道を夜通し照らし続けるのは、資源の浪費に思えるし、虫たちにも影響を与えてしまいそうだ。どうしても灯が必要な場合には、昔ながらの提灯(ちょうちん)を使うのが理想的なのだろうか。

『気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』

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