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愛猫の茶々が教えてくれたこと


【3回目の命日】


今日は3年前にこの世を去った愛猫の茶々の命日です。

茶々は迷い猫。
生後二ヶ月くらいの時に我が家にやってきて
21年間、わたしと暮らしてくれました。

3年前のこの日。
薄く平べったくなってしまった身体をわたしに預けて、最後に3回ほど声にならない声をあげて、この世から旅立っていきました。

その前年に本を出版しました。その本を抱かせてあの世に送ることができたのが、わたしにとっては大いなる慰めです。茶々も出版を見届けたかったはず。茶々がいなかったら書けなかった本だったから。

猫も10歳を超えると、魔猫道に入ります。
人間の言葉を解し、意志をしっかりと主張するようになります。
最後の半年くらいは、ボケていたのか、それとも見えないものが見えていたのか、しばしば壁に向かって吠えていましたが、最後の最後までトイレも自力でこなしていきました。

彼女は自立した猫で、いろんなことを教えてくれました。

茶々は、この家を棲家と決め、暮らしていましたが、掃除もしないし、ご飯も作らない、ましてお金を稼いでくるということもなし。
当然のように、そこに居ただけ。

気の向くままに、居ただけ。

【生きる意味はない、生きるだけだよ】

茶々が教えてくれた一番は、これです。

いるだけで、いいんだ!

つらくて生きる意味をついつい探していた時、そう教えられました。

シンプルに生きればいいんだ。

マイペースでガンコだった茶々。
夜中でも家から出ていきたいとなったら、絶対に出て行く。
寝ている飼い主を猫パンチで叩き起こして玄関を開けさせて。
「まったく、もう!」
何度怒鳴ったことか。
飼い主との意地の突っ張り合いは日常の光景。言い争いも絶えなかった。

15歳を超えてからは、何があっても、病院には連れて行かないことに決めました。病院へ行くたびに震えて大きなストレスを感じるようだったので、自然の成り行きに任せようと、覚悟しました。
17歳と19歳の時に死にかけました。19歳の時には10日間も飲まず食わず。しかし自力で立ち直り、21歳という長寿を達成したのでした。
6歳の時には腎臓が悪いと言われていたのに、寿命は長かったようです。
病と寿命は違うということも教えてもらいました。

茶々はこの世で与えられた身体を、目一杯使い果たして逝きました。

人間だって、猫となんの違いもありません。
高齢者の仲間入りをした今、わたしは茶々のように、積極的には病院の世話にならずに暮らしたいと願っています。
なので、健康診断も受けてはいません。
ですが、身体の声には懸命に耳を傾けるようにしています。

今、身体は何を必要としているのか。
食べたいのか、眠りたいのか、歩きたいのか、レゴをしたいのか。

【ペットロスにもならず】

実は命日も忘れそうになっていました。

ん?死んで何年だ?

何年経ったかも、確認しないとわからない。

茶々がいなくなったら、ペットロスになってしまうと心配していたのに、そんな気配はまったくなく、3年を経てしまいました。

飼い主も飼い猫に負けず劣らずマイペースかもしれません。

ひとり暮らしで、つまんないなあと思う時もあるけれど、今からまた別の命を支えるほどの余力もなし。

ですから、茶々は最初で最後(だと思う)の同居猫。

猫はとても神秘的な生き物です。
何か、もってます。

そうそう、「CATS 」というミュージカルも大好きで、10回ほど観ています。

「CATS 」のCDでも聴こうかな。

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