抜け出したい、偏差値50の人生

私には熾烈な受験競争を乗り越えた過去がない。

上に姉がいて、小学校・中学校は公立に行っていたものだから自分も当然そのあとを追うと思っていたし実際そうだった。親もとりわけ勉強に厳しい人ではなかったし、中学受験という言葉すら高校に入るまで知らなかった。何なら今でもあまり馴染みはない。地元の公立中に進んだとき「多少顔ぶれが変わったな」と思ったけれど、それが受験によるものとまでは認識していなかったというのが競争の外にいた私の素朴な実態だった。

しかし高校受験となると、地元の公立中ということもあり様々な人がいたので超進学校を目指す人もいたし、ぼんやりとしたままの人もいた。親から初めて受験のことを教えてもらったのもその頃だった。すると現実的に目指せるのはどうやら偏差値50程度の学校らしい、私立には行けないらしいということを知り、いくつか候補を選んで説明会に行ったりしたが、正直どこでもよかった。考慮する要素は偏差値ではなく学校の雰囲気や家からの通いやすさとかだった。自分のキャリアを俯瞰で見れるほど賢くなかったし妥当だったとは思う。勉強に関しては中の下くらいで、親が入れてくれた進研ゼミでポイントを貯めるともらえる景品のカタログを見てワクワクしてたことは覚えている。実際にペンとかマッサージ機とかをもらってかろうじて勉強のモチベーションは保っていた気がするけれど、目標がそれになっていて勉強というのは手段に過ぎなかった、露骨に意識が低い。

結局、受験直前の三者面談で先生に推薦入試を勧められたので、言われるがままに受けたところ、それで合格してしまった。受験勉強はそれまでほとんど何もしてなかったし仮に推薦で落ちてたら中坊の自分はどうしていたのだろうと今でも思う。そうして高校受験があっけなく終わったことは大学受験でかなり響いた。苦労して受験勉強をして合格したり、落ちたりする---というような経験をしないまま高校生になったことは不幸中の幸いと言えるだろうか。良くも悪くも私の偏差値50人生を確固たるものにした出来事だったといえる。

そして大学受験。このときちょうどコロナが急速に拡がり少し変わった形で受験シーズンを迎えたわけだが、つまり高三になった途端、「自粛」が謳われ3〜5月まで自宅で過ごすこととなった。働き詰めだった母親も在宅ワークをするようになり珍しく家族が一日中揃って家にいるという奇怪な光景は、とにかく新鮮で思い返せば楽しかった。家にずっといると人間は考えを巡らせて暇を潰すので、私も例に漏れず受験について色々なことを考えた。そこで初めて「偏差値」とか「受験」というワードが色濃くのしかかってきて競争の一員になったことを強く自覚した。しかし、私が進学したのは偏差値50の高校。要領のいい勉強法や素養もイマイチで、勉強に対する根性にも欠けていた。結局、偏差値50〜55くらいの大学群を第一志望に据えて、平凡な勉強を重ねた。何もしない日もパラパラあったし、それでもなお疲れを感じて「これは18歳が背負っていい重責じゃない」とかぼやいていた。世界史が好きだったのでそればかりやって「受験勉強」をしたつもりになっていたあたりが中途半端なところで、肝心の英語や国語は平凡以下の出来だった。そして終盤につれ失速してしまい直前期に焦って詰め込むというダメな典型例みたいな1年となってしまった。結果はかろうじて、第一志望にしていた大学群のひとつに合格。偏差値50の大学だった。

ここまで話してきたのは私がいかに偏差値50の人生を送ってきたかということで、平凡具合がよく伝わったと思う。そのくせ大学受験期にネットに転がっている誇張された受験情報などに踊らされて偏差値へのこだわりみたいなものだけ、不本意に醸成されてしまった、クソだ。勝ち組負け組とかいう価値基準を認めて自分を何とか勝ち組に当てはめたいと考えるような愚の骨頂である。いわゆる勝ち組になりたい、世間から認められたいという貪欲な精神は裏返せば勇気ある挑戦者と捉えられなくもないが、カッコつけすぎである。偏差値50の人生から抜け出したいと考えるようになったのが大学入学後というのは出遅れた。大学受験をもっと頑張っていれば、など考えるが理想論でしかない。それが現役時代にできた人が良い大学に進むのであって、進学先は自分の人生を投影した場所に他ならない。そう後出しで考えるのもまた自分の人生というわけだ。

だがそこで腐らなかったことは褒め称えたい。反骨精神が大学3年次には肥大しており、遂に行政書士の受験を決意した。法学部なので何か法律に関連した目標を達成したい、と一念発起した私は行政書士試験用のテキストを買って必死に勉強した。これが人生で初めて真面目に勉強した経験だったと感じるのは、やはりその自主性ゆえだと思う。大学受験という既定路線を超えた先で自主性をもって勉強するという経験は自分を大きく変えたし、自信にもなったし、勝ち組への転換に一筋の光が差した。そして結果は合格。私の何かが目覚めてしまった。勉強で成果を上げる快感、競走に勝つ快感でゾクゾクした。こんなことをnoteに書くのはさすがに気が引けるが、私は人にマウントを取るのが好きだ。もちろん、直接的にそういった言葉を投げかけたい訳では無い。それが自分の価値を下げる自殺行為なのは重々承知している。ただ内心で得る優越感は至高だ。ゆえに勝ち組になって人を見下したいと思ってしまうし、--まあそれが愚かなのは自覚している-- 社会的名誉の獲得に基づく内在的なマウント感、名誉感情みたいなものがさらに欲しくなる。そうして司法試験の受験を決めるまではそう時間がかからなかった。

勝ち組を自分になぞらえて得ようとする幸福感というのは、その勝ち組基準のもので実際に自分は何も成し遂げてないのだが、もうそれも辞めたい。自分自身の功績だけで勝ち組と豪語したい。偏差値50→偏差値50という平凡なルートから外れて高みの見物をしてみたい。勝ち組の世界に紛れ込みたい。下品な思考ばかりで書いていながら笑ってしまいそうだし、適材適所があろうがそれでも外れたい。ゲームを買い与えて貰えなかった子供が大人になってゲームしかやらなくなるような、それの自責verといった感じで、平凡ルートしか辿れなかった子供が大人になって勝ち組ルートしか辿りたくなくなった、という具合である。

司法試験に受かるかどうか、今は分からない。ただ間違いなく受かってやるという気概は捨てない。受かった先の世界でさらなる競争に駆られるだろうが、きっとそれは自分にとって射精に匹敵する快感なのだと思う。そして自分の立ち位置を把握してハングリー精神を持った今、きっとその先には大学受験と異なる結果が待っているだろうと信じている。そうして平凡だった自分を抱き上げてやるのだ。

抜け出したい、偏差値50人生。


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