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8月18日のお話

任意の命題p・qについて、pが真であれば常にqも真であるとき、pはqを含意するといいます。

「がんい?」

「そう、含意。」

森の中で開かれた課外授業で、エル先生は生徒たちに”含意”という言葉を教えていました。初めて聞くその言葉に、彼らはキョトンとしています。普段使う言葉ではない言葉を教えるこの瞬間。これが、エル先生の好物でした。

エル先生は、常々思っています。

人間はたくさんの言葉を持っているのに、ほとんどの人がだいたい日常会話ではその数%しか使わないらしい。とてももったいないことをしているのだと。もっとたくさんの言葉を正確に紡ぎ、その気持ちや状況を語れば、もっと世の中の行き違いや誤解は減ります。そして、正確な表現の言葉を使えば使うほど、合わせて思考も深くなるのです。

例えばこういうことです。生徒たちが森を歩く間に見つけた木の実を口に頬張って言いました。

「これ、やべえよ」

エル先生は一瞬、何か良くない不味い実でも食べたのかと心配してその生徒を振り返りました。すると生徒は笑顔で次々とその実を口に運びます。エル先生はその様子を見て「ああ、美味しいという意味なのだ」と理解し、胸を撫で下ろしました。

そんな生徒の周りに集まった生徒たちも、その実を口にすると共鳴するように「本当だ、ヤバっ」とか「ヤバァイ、これ超やば!」などと連呼します。

「ねぇ、あなたたち。」

見かねたエル先生は、木の実をかき集めている生徒の前に進み出て、優しく微笑みながらこう言いました。

「これ、袋よ。使って。」

きっと持って帰って、ここにきていない友や家族にも分けてあげたいのだろうと察したのです。エル先生の手には、折り畳まれたビニール袋が何枚か置かれっていました。

先生ありがとう!と喜んで袋を受け取る生徒たちに、エル先生は「ところで」と話しかけます。

「あなたたちは、その実のことを、どう説明するの?」

そんなエル先生の問いに、生徒は言います。

「え、やばい実があってさーっていう!」

「うん、やばいんだぜ、この実とか。」

言いながら、ふと、勘の良い生徒が「でもさ。」と話題を止めました。

「それだけだったら、なんだか、危険な毒の実のような気もするわ。」

その一言で、生徒たちは「本当だ」「ヤバイ!」「そうだね」と自分たちの説明では相手に伝わらないことに気づき、ざわざわと騒ぎ出しました。

そういう生徒たちを見て、ふんわりと微笑むと、エル先生は生徒たちに先に進むように促しながら言いました。

「じゃあこれからの時間は、道を歩きながら、この実をなんて言うと良いか、みんなで言葉を出し合う競争をしましょう。」

手際良くグループ分けをすると、エル先生は「スタート」と号令をかけました。みんな、道を歩いていることを忘れそうな勢いで、口々に思いつく言葉を出して行きます。

甘い、プチプチ、後から酸い、美味しい、赤い、汁が出る、体の力が抜ける、ほっぺたが上がる、幸せになる、いい香り、蜜の香り?二つ食べると濃くなる!それは贅沢!もったいない!大事な実!

そう言う言葉を聴きながら、エル先生は満足そうに進んでいきます。こうしてたくさんの言葉を使うことで、生徒たちがこの森とこの実を思い出すとき、きっと豊かな表現と消えづらい記憶に助けられ、この楽しい時間を鮮明に描くことができるでしょう。

ヤバかった。と言う曖昧な感嘆詞だけでは、そう言う描写は二度とできないまま忘れてしまいます。

彼らは知っているのです。使おうと思えば使えるのに、使わなかったら宝の持ち腐れです。そう言う怠けた感じで大人になってしまったら、見えるものも見えず、伝えることも伝えられないまま、なんだかうまくいかない人生をぼんやりと生きることになるかもしれません。

そうならないで欲しい。

エル先生はそう思うので、広場についた時に"含意"と言う言葉を教えました。

「例えば、命題p・qにそれぞれ何が入るか、考えてみましょうか。」

そう言ってエル先生は、広場に思い思いに座る生徒たちに、「地面を触ってみて」と言いました。言われた通りに各々が地面を触り出すと、思ったより柔らかくふんわりとした地面に、生徒たちは楽しそうな表情になります。そうして「次に、上をみてみましょう」と空の方を指差しました。

生徒たちが見上げると、高い高い木の枝が大きく広がり、真夏日のはずの太陽を適度に遮って自分たちに木陰を作ってくれていることに気がつきました。

「この場所は、ふかふかな大地と程よい日照を得られる、小さな草木には最高の場所です。」

生徒たちの目線にたくさん生えている細い草花を指して、エル先生はそう説明しました。この大地をふかふかにしているのは、あの木々が落とした落ち葉、落ち葉を養分にして木を育てるのは落ち葉の影に守られた微生物。すくすく育って大きく葉を広げる木々のもたらす影が大地を乾燥をもたらす直射日光から守っている。ここはそう言う場所です。

「では、これらの木々が無くなったらどうでしょうか。」

この豊かな循環は、一気になくなります。

生徒たちはそう語るエル先生の言葉の意味を察して、ざわめき出しました。

「木がないと、落ち葉がなくなるよ」

「落ち葉がないと、微生物がいても役に立たない!」

「ばか、その前に、暑い夏の日差しで土がカラカラになるよ」

「そうしたら木は二度と生えられないよ」

循環を理解すると、悪循環も想像できるようになるのです。

「と言うことは?」

木がこの森から一切なくなると、森がなくなる。しかも、永遠に。

その事実に気がついて、生徒たちは顔を見合わせます。

「つまり、pには”木がこの森から一切なくなる”が入り、qには"森がなくなる"が入ります。そして、含意という言葉は、”木がこの森から一切なくなると言うことは、森がなくなることを含意する。”というように使います。」

エル先生の言葉が、少し難解さを帯びてきました。そこで、エル先生が生徒に問題を出します。

「あなたたちが大人になった時、森のそばを歩いていたら、人間たちがこんな話をしていました。
”あそこの森に遊び場を作りたいから、木を全て切ってしまおう。いや、大丈夫。遊び場には自然がいっぱいあるようにしたいから、緑がなくなるようなことはしないよ。自然の中の遊び場を作るんだ。”
さて、この話を聞いた皆さんは、どんな未来を予想しますか?」

少しの沈黙の後、一人の生徒が言いました。

「この人間たちは、木だけじゃなくて森をなくそうとしている。」

その一言を皮切りに、他の生徒たちも口を開きます。

「緑がなくなることはなくても、森と、森に住む生き物はなくされる。」

「自然の中の遊び場は人工の緑の中の遊び場の間違え!」

そうね。とうなづいてエル先生は生徒たちに「よくできました」と言いました。悪い人間の甘い言葉に騙されてはダメよ。良い人間の、心からの言葉をたくさんもらえるように、生きていきましょう。


2022年8月18日 エル先生率いる、猫の一団は少し足を伸ばして昭和記念公園の森の中で夏休みの課外授業をしていました。



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