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6月13日のお話

2010年6月13日 日曜日

梅雨らしく、天気がいまいちすっきりしない朝ですが、今日は私たちの結婚式です。

数日前から夫の実家がある北摂の山間の町、能勢町に帰省していました。今日までの間は、実家のご近所の方々にあいさつ回りをしたり、式に参列してくれる私の親族を迎え入れたり、あわただしく過きていきました。

いよいよ当日を迎えてみればあっという間でしたが、式をすると決めてから今日まで、特にやっかいだったのが、私のおじいちゃん。70歳を迎えても、まだまだ元気なことは良いのですが、夫の実家のある能勢町という場所が大嫌いで、式にも出席したくないと言うのです。

昭和15年丹波生まれのおじいちゃん。戦争末期から戦後という、日本が貧しかった時代です。おじいちゃんが育った丹波地域は厳しい寒さと積雪で、これという冬場の産業がなく、働ける男子は出稼ぎに出るのが常だったそうです。

その出稼ぎ先が、ここ、能勢町の寒天づくりだったといいます。

それを聞いた時は、

おじいちゃんが若いころに通ってたところの人と、私がご縁をいただくなんてめっちゃ素敵やん!

とはしゃいだのですが、そんな私を見ておじいちゃんは苦虫をかんだような顔をしてふいっとどこかへいってしまいました。戸惑った私に、あとから事情をこっそり教えてくれた叔母さんによると、戦後すぐの頃のその「寒天づくりの出稼ぎ」というのが、重労働かつ極寒な環境で、おじいちゃんにとっては何一つ良い思い出になっていなかったのだといいます。

能勢なんて、いかんぞ。

そういうおじいちゃんを説得してなだめるために、私は何度丹波の実家に帰省したことでしょう。ようやく、冬場以外の能勢町をみたことないでしょうというところで論理勝ちし、今日を迎えたわけです。

そんなおじいちゃんも含め、式場までの道のりを、新婦親族で貸切ったマイクロバスで向かっていたときでした。朝から厚い雲に覆われていた空にふいに晴れ間がのぞいたのです。

みてみ、晴れそうやで。

母と母の姉にあたる叔母さんが、マイクロバスの窓の外を指さしながら、みんなに声をかけます。ほんまに?どれどれ?幸先いいんちゃうか。などと親戚たちが口々に晴れ間の除いた空を見上げて言いました。私も、せめて式の間だけでも晴れてくれればいいのになぁと、願うように窓の外を見上げましたが、見えたのは、今にも隠れてしまいそうな太陽です。

少しがっかりして車内に視線を戻すと、通路を挟んで反対側の席に座っているおじいちゃんがみんなとは逆側の窓の外の風景を、かじりつくように見ているのに気が付きました。

おじいちゃん?

気になって、隣の席に移動します。

どうしたん?

私が隣に座っても、こちらを振り向きさえしないおじいちゃんの後頭部に、こっそりと声をかけました。おじいちゃんの視線の先には、何の変哲もない田んぼとその真ん中を通り抜ける一本の道。その先にある山が二つ。

一瞬だけ射した太陽の光に、キラキラと輝いていました。

あの山や。あの山と、道や、この道。

おじいちゃんは、私の問いに振り向かずにそう呟きます。え?何?何の道と山?ときこうと、おじいちゃんの顔を覗き込んだ時、おじいちゃんの顔が見たこともないくらい生き生きとしていたことに驚きました。

車が交差点をまがり、先ほどの山が見えなくなっても、おじいちゃんは窓の外から視線を戻そうとしません。もしかしたら、昔来たときに、通った道なのかもしれないと思ったものの、すこしずつ瞳が潤んでいくおじいちゃんに、それ以上こえをかけることができず、私は元の自分の席に戻りました。

しばらくして式場に到着すると、先ほどの晴れ間は幻だったのかと疑いたくなるような土砂降りになり、親戚一同、晴れ着が濡れないようにと大騒ぎでマイクロバスを降りました。

結局、雨は式の間も降り続け、外の景色を全く楽しむことも出来ず、粛々と式と披露宴は執り行われていきました。

私も披露宴が終わるころには、おじいちゃんのそんな様子もすっかり忘れ、なんとかこの日を終えられたという安堵感でいっぱいになっていました。今日までの段取りを手伝ってくれた夫の親戚の皆さんに、お礼の挨拶を終えて、すっかり日が暮れたころ、夫婦で滞在する旅館に戻ると、先に戻っていた母と叔母が、旅館のロビーで寛いでいます。

訊いてみると、おじいちゃんの話題です。あれだけ今日来ることを渋っていたのに、式を終えて披露宴の間中、おじいちゃんはずっと寒天出稼ぎの頃の話をしていたそうです。寒天を固めた箱を山に担いで登るのがどれだけ大変だったかとか、あと一歩で職人技と言われる窯の番が出来るようになった頃に、工場製造に切り替わってしまったこととか。母も叔母さんもきいたことのないようなエピソードがたくさん。辛かった辛かったといいながら、祝いの席でお酒の勢いも借りて紡ぎだされる思い出話は、意外とおじいちゃんがその仕事に誇りをもっていたのではないかとさえ思えるほどだったそうです。

今度は、冬に連れてきて、あんたが思い出話に付き合ってやりよ。

そんな風に笑う母たちも、すっかりお酒で酔っぱらっていました。楽しんでくれたみたいやね、と夫が耳打ちしてきた時に、ようやく本当に気を抜けるような、よかったーという気持ちになれました。結婚式は花嫁が主役というが、こんなに両家に気を遣うのに、主役もくそもないと後から振り返ってつくづく思ったほどです。

部屋に戻り、一息ついたころ。外はすっかり日も暮れて、雨はいつの間にか小降りになってきました。先ほどつけていたテレビのニュース番組によると、日付が変わる頃には、2003年に地球を出発した小惑星探査機はやぶさが地球に戻ってくるのだと言います。オーストラリア上空の大気圏に突入するらしいので、見えるはずもないけれど、なんとなく空を見上げて私は夫に言いました。

無事に戻ってきてほしいね。

なんで?と夫は訊きかえしてきます。

なんでって。だって帰還が成功したら、今日は日本の宇宙史に刻まれる歴史的な記念日になるやん?そうしたら結構記念日を忘れへんやん。ずっと。

なるほどーと気のない返事をする夫は、そういえば宇宙とかそういうものには全く興味がない人でした。まぁ私もそんなに興味もないけど…と思いながら、私は心の中だけで続けました。

きっと、はやぶさ帰還の記念日には寒天ゼリーをデザートに出そう。今日の苦労と幸せと、みんなの笑顔と、おじいちゃんの頃から縁が続くこの能勢町を、東京で暮らしても忘れないように。

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