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1月26日のお話*

「イルミネーションってさ、寄り添いながら歩いてくれる人がいるから、きれいだなって思えるんだと思う。」
すれ違った女の子二人の会話が、急にそこだけ切り取られたように耳に入ってきた。彼女たちが歩いて行った方に少し視線を向けると、もう一人の子が慰めるような言葉をかけているのが聞こえてきた。失恋でもしたのだろう。

冬になると街路樹が葉の代わりに電球を纏い輝く街。銀座。
イルミネーションの発祥もこの街だったと思い出すと同時に、そのことを僕に教えてくれた人のことも思い出してしまった。

彼女と銀座の街を歩いたことはない。
彼女とはゲームの中だけで会う関係だった。オンラインでプレイヤーが集い、コミュニケーションをしながら仮想の敵と戦うバーチャルの世界GINZAで、僕と彼女は出会った。
彼女は夜の仕事をしているらしく、ログインするのはいつも夕方だった。そういう僕も、夜勤の仕事をしているので、多くのプレイヤーがログインする夜間にはプレイできず、所属するギルドは学生やニートが多かった。そんな中で僕と彼女は、お互いに”オトナ”ということで仲良くなるのは自然な流れだった。

彼女はバーチャルのGINZAを拠点としていた。冬のアップデートでイルミネーションの街並みになったからと誘われ、ゲームの中の夜景を散歩しながらいろいろな話をした。
彼女は西の方の出身で、チャットにもたまに関西弁が混ざること。バーチャルの中のアバターは清楚系のOLだが、本当は派手な服も似合うということ。東北の方に住んでいたことがあり、今は関東に住んでいるということ。リアル銀座も、別に簡単に来れる距離だと言っていた。

僕はというと、有楽町に勤めているからリアルな銀座はよく飲みに来る。だからバーチャルの拠点は六本木にしている。彼女はそれを聞いて「何それ、リア充に憧れているの?港区?」とからかってきたが、そうではない。
慶應に行きたくて行けなかった、三田への憧れだなんて理由が恥ずかしすぎるから、あの雰囲気が好きだ、と適当に濁している。アバターはリアルの5割増し。そんなにイケメンじゃないけど、雰囲気は似ているように作った。その方がアバターに感情移入できると思ったからだ。体型も少し筋肉質にして、服も本当は買いたい(けど予算的に買えない)ブランドを選んでいる。

もしも、バーチャルの世界で出会った人と、リアルで対面するようなことがあったら相手は絶対にこう思うだろう。
「あぁ。この人、理想の自分をアバターに投影しちゃってる系だ」

そう思われるのが恥ずかしすぎて、僕はこのゲームのオフ会などには一切顔を出していない。このゲームをきっかけに出会い、結婚したというカップルも多い中で、一切会わないというのは珍しがられるが、本当は女なんじゃ?とか実はガキだろ、と的外れに噂される方がよっぽど気が楽だと思っている。

そんな僕だけど、彼女とは、リアルで会ってみたいと思ったことがあった。いや、会ってみたいという好奇心のような表現ではなく、会ってできることはないかという方が近いかもしれない。いや、でもものすごく自意識過剰な考え方だ。そういうわけではないのだが。

ある日、彼女は夜景モードのGINZAを歩きながら言った。
「ゲームの中のイルミネーションも、冷たい光やね。」
どういうことかと聞いてみると、リアルの世界の方で、イルミネーションがLEDになってから、光が冷たく感じられるようになったということだった。
青とか白とか、色味の問題なんじゃないかと言っても、彼女のアバターは首を振り、黄色い光でも冷たいよ。白熱灯とは違う。実際、リアルなLEDも電球のところあったかくないし。と口を尖らせるのだ。

そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。白熱灯がいつかLEDに変わったんだろうと疑問に思い、ググってみると、大体どの記事にも「省エネ」とか「色の種類が豊富」とか、LEDの方が良いに決まってる、という内容ばかり。エネルギー問題とかないバーチャル空間くらい、もっとレトロな雰囲気のイルミネーションでも良いだろうということなのかもしれない。

「銀座ってね、イルミネーション発祥の地らしいんよ。明治時代に。」
明治屋という店が、12月に電飾を飾ったことが有名になり、人々が集まるようになったことで、日本中に冬の風物詩として広がったという。
「その頃、電飾に集まってきた人たちはな、”綺麗”って思う気持ちの中に、”暖かい”っていう気持ちが結構入ってたんやと思うんよ。」
彼女のアバターが不意に見上げるような動作をして、それを画面越しに見ていた僕は、その視線の先にまるで明治時代の銀座の街が見えているような感覚になった。
大きめの白熱球がいくつもぶら下げられた灯りの下では、ほのかに発熱する光に照らされて、冬の寒さも少し和らいだのかもしれない。そういえば、キャンドルの灯やランプの灯はそれに照らされると暖かな印象になるものだが、LEDライトに照らされても、そんなふうに思うことはない。硬い光なのだ。

「私ね、今、日本一明るい街におるけど、暖かいと思ったことは一度もないんよ。」

チャットにその文章が打ち込まれた時、僕はなんだか読んでは行けないものを読んでしまったような気分になったのだ。これは、彼女の心の底から漏れてしまった本音で、本当は僕なんかが触れては行けないようなものだと。

だから僕は、気の利いた返答もできず、ちょっと、通信状態が悪くて、と言い訳をしようとかそういうことを考えながら、スマホを持つ手を止めて画面をただ見つめていた。

「明るい=暖かいって、時代は終わったんやな。」
彼女のアバターがお手上げのポーズで戯けたことで、僕はその一つ前の発言は聞かなかったかのように流してとりあえず頷いた。

その時だ。
自分で彼女の発言を流そうと決めたのに、流してしまった途端、僕の中でその言葉が急に重みを増してのしかかってきたのは。
彼女に、暖かいと思って欲しい。彼女の心の叫びに応えたい。そんな自意識過剰で中二病な考えが僕の脳内を駆け巡った。あれは絶対に僕へのSOSで、それに応えないのは男じゃない。だって彼女は、これまでも他のプレイヤーより僕と過ごすことを好んでいたし、随分と僕に心を開いてくれていた。有楽町で働く僕は、彼女がリアルの銀座に来た時、迎えることができるじゃないか。

でも…、

僕は結局、その"でも"に打ち勝つことはできなかった。

あの日のログインを、どうやって切り上げたのかは実はよく覚えていない。言い訳にしようと考えていた「通信状況が…」と打ち込んだような気もするし、そのままアプリを閉じたような気もする。

そしてなんとなく、ゲームに戻ることのないまま、一年がすぎた。

視界にふと、イルミネーションの巻かれた街路樹が入ってきて、僕は足を止める。あの電球は、やはり暖かくないのだろうか。そんなことを考えて、わかり切ったことなのに、僕は手を伸ばして指先で電球に触れてみた。

やっぱり。

世界は変わったんだと思う。僕が生きるこの世界は、いつの間にか、明るければ暖かい、とかそういう単純なものじゃなくなったのかもしれない。
僕はなんとなく、そんなことを考えながら、一年ぶりにアプリのログインボタンを押そうとしていた。

2020年1月26日


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