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11月23日のお話

道を歩いていて、ふと視界に入った脇道に視線を送ると、そこにとても素敵な扉が待ち構えていることがあります。狭い路地のどん詰まりに、その扉を潜る目的の人しか通らないような裏路地の合間に、そういう扉は存在しています。

そういう扉に吸い寄せられる性質の人と、そうではない人がいますが、木戸山コンノは少なくない確率で、まるで何かに呼ばれるように、そういう扉を見つけ、足をそちらに向けてしまうのです。

今日も。

「祝日だし飲まない?」という友人の誘いに乗って、コンノは待ち合わせよりも小一時間早く約束の場所近くに到着していました。久しぶりの街だし、少し散歩をしてみよう。そう思ってのことでしたが、今思えば、そう考えたこと自体、彼らに呼ばれていたのかもしれません。

いつも歩かない道をなんとなく辿り、そして目にしたのが、先ほどの狭い路地のどん詰まりにある素敵な素敵な扉のある建物です。よく見ると扉にはアンティークと書かれています。古道具屋さんかなにかなのでしょう。古道具に興味がないわけではないコンノは、母親からいつか言われた「古い道具には色々なものが宿っているから、使う前にお浄めが必要」という言葉を思い出しながら、扉のほうへ歩いて行きました。

そう、以前からお洒落な古道具、アンティーク雑貨に興味はありましたが、古い生き方をしてきた母親から言われたその一言のせいで、どうしても手に取って持ち帰るまでできなかったのです。なんせ、母のいうお浄めという作業は、そのアンティーク雑貨を塩漬けにする、もしくは密閉した容器に塩とともにしばらく置いておく、などということをしなければならないのです。

そんな手間と時間と、なんだか塩がもったいないことをするのは気が引けます。そういうお浄めを、全てやった後に販売してくれる古道具屋さんがあればいいのに、と何度思ったことでしょうか。

目の前にある素敵な扉の古道具屋さんも、そこまではしてくれないと思いますが、「まぁ見るだけなら」と考えたコンノは、深く考えずに、カランとその扉を開けて中に入って行きました。

一瞬、めまいがしたような感覚に襲われましたが、店内を見回してみて、外よりも明暗のコントラストが強く、暖色の明るいランプが所々に灯されているからだと理解しました。外の雑多な路地とは打って変わり、店内は西洋の古い家具雑貨が所狭しと、しかし上品に並べられた、暖かい雰囲気を湛えた空間です。

「いらっしゃいませ」

不意に横から声をかけられて、コンノはハッとおどろきました。先ほどまで、そちらに人の気配を感じなかったためです。店主はきっと店の奥のほうにいるのだろうと、完全に油断して誰かがいる可能性を捨て去ってしまっていました。

「あ、すみません。」

反射的に謝り、コンノは声のした方を振り返ります。

しかし、そこには人影は全くなく、大きな振り子時計がどっしりと置かれているだけでした。少し視線を下げると少し古びた犬の置物と、年代物の日傘が立てかけられた素敵な傘立て、皮張りの四角い旅行鞄も置いてありました。

あれ?確かにこっちから声がしたのに。

コンノはおかしいと思いながら、どこから声がしたのか、見極めてやろうと改めてそこにあるものたちを凝視しました。大きな振り子時計?違う。このどっしり感は、先ほど声をかけられたような、軽めの女性のような声ではありません。そういう感じではなさそうです。古びた犬の置物。犬。犬ならともするとあり得ます。時計よりも生き物を象った物の方が喋るイメージは沸きます。

こいつか?

じっとその置物を見つめますが、コンノは「犬の置物」という選択肢はミスディレクションだと見抜きます。声の質からすると、日傘の可能性も捨てきれませんが、日傘も傘立てもそんな感じはしません。やはりここは、四角い旅行鞄が発した声だと判断するのが良さそうです。

そこまで推理を巡らせると、コンノはスッと蹲み込むと、四角い旅行鞄に向かって、気を取り直したように今度は堂々と、こう言いました。

「こんにちは。店内を、見せていただいても構いませんか?」

彼女の言葉を吸い込むように、しんっと店内が一斉に静まりかえった次の瞬間、ワッと弾けるように店中から様々な声が聞こえてきました。

「久しぶりに話のわかる人間がきた。」

「鞄さんの挨拶に動じなかったなんて何年ぶりかしら。」

「まだ若そうなのに、珍しい。」

「賭はわしの勝ちじゃな」

「おいそこは普通驚くところだろ!」

コンノが立ち上がり、店内を見回しますが、先ほどのように声はすれど、人の姿はどこにもありません。おそらく、店内に並べられた道具たちのいずれかが、口を開いているということなのでしょう。足元にあった四角い旅行鞄も、「まさか見破られるなんて」とカタリとかすかに動きながら言いました。

「お姉さんの推理通り、そこの振り子時計さんは、まだ90年しか使われていないのよ。だから喋られるようになるにはまだかかる。日傘も傘立ても、そうね、後一二年というところかしら。」

四角い旅行鞄の発言によると、どうやら古道具たちは百年経つと言葉を持てるようになるようです。

「その辺りは、日本の付喪神とおなじなのね。」

日本にも、百年使い続けた道具は神や精霊が宿り、付喪神となるというルールがあります。彼ら海外の道具も、同じルールの中で生きているのでしょうか。

「私たちは神ではないけどね。」

コンノのその言葉に、四角い旅行鞄がそう返事をしました。確かに、早くからアニミズムや多神教の信仰が抑圧された西洋では、彼らは言葉を持っても「神」とは信じてもらえないでしょう。

「日本の道具たちは良いわよね。神になったからって大切にされて。今日とかも収穫の感謝祭でとても楽しそう。」

収穫祭ではなく新嘗祭です。なるほど、彼らと日本の付喪神には、そういう待遇の差があるらしい。コンノはその文化の違いにみょうに感心してしまい、ついつい面白くなってきてしまいました。以前に何度か日本の神様に出会ったことがあることを思い出し、「そうは言っても、神様もたくさんいると神様関係が大変みたいですよ。」なんて、世間話のような会話を続けたりもするのでした。

そういうコンノに気を良くした古道具たちは、面白い話し相手がきたとばかりに、次から次に、様々な話を振りかけてきます。

帽子掛けは、日本に来る前はフランスのある貴族の家にいて、そこで起こる様々な政治的駆け引きを見守ってきたと言います。「地位のある人の心を掴む話術は全て頭の中に入っているから、いつでも聞くと良い。」と友好の言葉をかけてくれたりしました。

一方、薔薇の描かれたオイルランプは、「あなたは私たちを買う気がないようね。」とコンノの本音を見抜き、「そういう人に用はないの」と冷たくそっぽを向きました。(実際には動いていませんが、声の方向がそっぽを向いたのです)

一際大きな声のレコード機は、あらゆる音楽を奏続けてきたのが誇りで、次の持ち主はジャズ好きが良いと話していました。「ジャズが好きな人がいたら紹介して。あ、でもタバコを吸う人は遠慮したいかな。」と、彼氏を探す女子のような言い方です。

そして、最後に、これまで7つの大陸を旅して回ったという四角い旅行鞄がこう言いました。

「私たちはこの店にいる限り、新しい思い出を刻むことができずにとても暇をしているの。
早く持ち主に出会って、その持ち主の思い出を共有したい。誰かと思い出を共有できず、こうして道具たちとただ何もない時間を過ごす。
これは、とても寂しいことだから。」

寂しい。その言葉を聞いた瞬間、店内の道具たちが、一斉に再び静まりかえりました。その沈黙が、彼らの「寂しい」という気持ちを代弁しているかのようで、コンノは、ハッと息を飲みました。

自分もいつか、寂しいという思いをこんなに重たく口にするような日が来るかもしれない。今は気ままな一人の生活と、たまに訪れる人間以外の物たちとの会話が刺激的で楽しんでいるけれど。

誰かと思い出を共有する、ということは、ここ何年も、やっていない。

コンノは、不意にそんなことに気がついて、心がポツネンとなってしまいました。

「大丈夫だよ、お姉さんはまだ、若いから。それに今夜も、誰かと会うんでしょう。」

コンノの気持ちを読み取ったように、机の上に置かれていた古びた丸眼鏡がそう言いました。

「でももうそんなに若くもないんだから、今日この後会う人も含めて、これから時間を共にする人のことは、大切にするのよ。もしかしたら、そろそろ、死ぬまで時間を共にしたいと思う相手が見つかるかもしれないから。」

四角い旅行鞄がそう付け加えたのを聞いて、コンノは「あっ」と声を上げて時計をみました。ずいぶん時間があると思っていたのに、もう約束の時間の10分前です。

「ごめんなさい、もう行かなきゃ。」

慌ててそう言いながら、コンノは扉を開けて外に出ます。少し薄暗くなった外の空気を感じた時、扉の向こうの店内から「彼によろしくね」と声をかけられたような気がしました。

今日飲みに誘ってくれた友人は、確かに男性です。恋愛対象などとみたことはなかったけれど、古道具たちにあんな話をされてしまうと、なんだか妙に意識してしまいそうです。

風が吹いて、路地の中に、ざぁーっとイチョウの落ち葉が流れるように降り注いできました。

ぼんやりしている暇はありません。ここから待ち合わせ場所まで、小走りで10分ほどかかります。

コンノはもう一度先ほどの店内を振り返りながら、大きく手を振ると、足早にその路地をぬけ、大通りに走り出て行きました。


小径のどん詰まりに扉がある時、そちらに行ってみたい気持ちを少しだけ押さえて、真っ直ぐにその道の真ん中に立って扉の方を見てみてください。もし、その道と扉が、少しだけ歪んでいるように見えたらラッキーです。そこは不思議の国に繋がる扉になっている証拠です。勇気を出して進んでみると、普段会えない何かに大切なことを教えてもらえるチャンスかもしれません。

FIN.

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