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1月25日のお話*

2022年01月25日

「大切な話があるの」
そう呼び出された僕は、浮き足立つような気持ちと、それをかき消すような違和感を交互に抱えて深夜の銀座の街を歩いていた。

僕を呼び出したのは、一月前に出会い、意気投合した女性、紅 宮音さん。
銀座のバーで「ミヤネさん」と呼ばれていたから、てっきり苗字だと思っていたが、周囲に倣ってミヤネさんと呼び始めてしばらくしてから、それがファーストネームだということに気づき、とても慌てたのを今でもつい2、3日前のことのように思い出す。
「苗字のベニも、珍しいから。気にしない。」と、笑っていた彼女がとても綺麗で、そんな女性を初対面なのにファーストネームで呼んだなんて余計緊張したのだった。

彼女は仕事で定期的に東京に滞在しているのだと言っていた。
年齢は僕と同じ40代と聞いて、見た目に似合わぬ落ち着きに納得をする。一見30代前半かと思うような顔立ちだが、佇まいや発言はずいぶん大人びていて、そう聞くと年相応なのかもしれない。もちろん、同世代なのに全く落ち着きのない自分を棚に上げての感想だ。
しばらくこの店に通う、と話していたので、年末、忘年会などの予定の入らない僕は、彼女に会うためにその日から毎日店に顔を出した。

話を重ねるうちに、他にもいくつか行きつけの店があるようなことを言っていた。そういうそぶりを耳にすると、自分とはステージの違う人種なのかと気後れもしてしまうこともあったが、「なかなか鋭いわね!」と否定せずにニヤリと笑う表情が妙に子どもっぽくて、そのギャップが親近感の方を膨らませていった。

年が明けてからも、店を変え、時には二人で食事をするなど約束を重ね、彼女は僕のほぼ全ての誘いに応じてくれた。それは彼女が植物の研究者で、僕が植物を得意とする写真家(趣味)だったことで意気投合したからだった。
Instagramに投稿していた、僕の植物を記録した写真を見せるなり、今度は少女のように嬉しそうな顔をして次々と被写体の植物の名前を当てていった時、僕は多分彼女に恋をしたのだと思う。

そんな彼女から、終電後の時間を指定しての呼び出し。
時間はすでに深夜1時を回っている。僕の自宅は銀座から電車で1時間近くかかるため、もうタクシーなどでの帰宅は絶望だ。彼女は‥。おそらく近くのホテルに滞在している。この年で夜通し飲むというタイプでもなさそうだし、そうなるとこの後はもしやと考えるのは男として当然だろう。
しかし、急にそんな積極的に?という疑問もあるし、もっと前もって気持ちを確かめ合うようなシチュエーションでも良いような気もする。そこに違和感を覚えるから、素直に胸を高鳴らせられないのだ。

妙な緊張を抱えたまま、約束の場所に到着した。店などではなく、大通りの真ん中だ。これも違和感の一つなのだが、深く考える前に、目の前に彼女の姿を認めると、僕の心は単純に会えたことに喜びを感じていた。

「ごめんなさい、こんな時間に。」
ペコリと頭を下げるが、そんなに悪そうに思っていないところがむしろ可愛らしい。僕は犬派か猫派かと言われたら猫派なのかもしれない。
「早速だけど。」
そういうと、彼女は綺麗な手をスッと差し出した。まるで、手を握って、と促されているような格好で、僕が戸惑っていると、「そうよ、手を出して。」というが早いか僕の手をつかんで歩き出した。

「宮音さん。」
どこに行くんですか?と聞こうと思い、彼女の名を呼んだ、その時。
振り返って微笑みを向けた彼女のすぐ後ろに、時計の看板が迫り、ぶつかると思ったところまでは覚えている。
しかし、その次の瞬間、気がつくと僕は植物が溢れている部屋の中にいた。
カフェのような店にも思えるし、花屋のようにも思えるが、売り物なのか飾り物なのか境界がないレベルで、植物が存在感を出している。切り花や鉢植えの花が至る所に置かれており、普通の花屋で見かける「花の冷蔵庫」的な設備がない。

「あれ?」
狐に摘まれたような顔をしていたのだろう。いつの間にか目の前のカウンターの中に立つ宮音さんは、手遊びの狐を作って「コンコン」と言いながら、「いらっしゃい」と少女のような微笑みを向けてきた。

「ようこそ、私の本当の世界へ。」

ぽかんとする僕に、蜂蜜の香りのする紅茶を出してくれた彼女は、まるでお伽話のようなことを語り出した。
自分が別の世界の存在であること。その世界は、ある一定の時間だけ、待ち合わせをした時計のところから僕の世界とつながること。(イメージは、ハリーポッターの魔法の世界と行き来する扉みたいな感じで、あの映画はとても秀逸だとも言っていた)
世界が繋がった時だけ、彼女は僕の世界にこれて、次につながる時まで僕の世界に滞在し、そして時が来たらこちらに戻ってくるのだという。

「え、そうしたら僕は…。」
と、こちらに来てしまった自分の戻り方に思い至ると、彼女は「大丈夫。4時間後くらいにまたつながるから」と聞かれることを予測していたようにすんなりと答えた。「そんな、攫ってきたりしないわ。ちゃんと帰してあげる。」

彼女が僕をこの世界に呼んだのは、ある写真をスマホから削除してもらうためだと打ち明けた。
「本当は事実を言わずに、ただ、消すように言うこともできたのだけど…。」と前置きをして、「でも、あなたにこの部屋の植物たちの写真を撮ってほしいとも思ってしまって。」と肩を竦めながら首を傾げた。本当はいけないんだけどね、とでも言いたげた動作だ。

「全部打ち明けても大丈夫な人だと思えたから、ちょっと時間がなかったんだけど、強引に連れてきちゃった。」
これまでの一月、彼女が多くの時間を僕と過ごしてくれたのは、試されていたのだとわかり、少し胸がちくりと痛んだが、なんとなく、全部打ち明けて良い人と思われたことと、写真を撮って欲しいと言われたことの方に気が良くなっている自分を自覚した。情けないが、男はそういうものだ。
それに、自分の大好きな植物を、その植物が大量にある空間の中で、植物を愛する人に「撮って欲しい」と言われて断る選択肢などない。(それが目の前の美しい女性でなかったとしても。多分。)

「じゃあ今度は、カメラを持ってまたここに来るということだよね?」
彼女は僕のその言葉を「OK」だと判断したようで、安心したような表情を滲ませると、よかった、と小さく呟いた。そして、この場所への入り方を教えてくれた。

「この場所の時空の番地名は000 111 2222 55番地というの。2が4つ、01が3つ、5が2つよ。時空だからこれらの組み合わせをアナグラム的に組み替えることはできる。もちろん、あなたの世界に存在する時間限定という縛りはあるけれど。」
そう言いながら、手元のペーパーナプキンに数字を書いて、こう説明してくれた。

202201210515 202201210551 202201250115 202201250151 202201250155 202201250515 202201250551 202201251501 202202011155 202202011515

「今日はこの太く書いたところ。2022年01月25日01時15分。これがさっき、私たちが入ってきた時刻。そしてあなたが戻るための時刻は、今日は5回くらいあるのだけど、そうね、電車とかのことを考えると、ここ。」
と、もう一つの数列を太字になぞる。4時間後と言っていたのは、05時51分のことだと理解した。
「こういう風に、番地の数字で示すことができる時刻、あの時計に通路が開くの。今日を逃すと、次は2月1日よ。」

「2月1日の11時55分、これのこと?」
手元の数列を指しながら彼女に確認すると、彼女はコクリと頷いた。

202202011155

「そう。それで、帰りは15時15分に帰られるわ。2月5日でも大丈夫。2月中は1日に何度かつながる時間があると思うわ。」
なるほど、1日に入って出るタイミングがないと、次のタイミングまで日が変わると確かにややこしい。僕は自分の世界で行方不明ということになるのだろうから。そんなことを考えながら、ジャケットに入れていたスマホ(圏外)のカレンダーを見ながら、自分の手元のペーパーナプキンに2月の”タイミング”を書き出してみる。

202202151550

「…あれ?」
2月15日の日付を書いた後、僕は思わずそう呟いた。意外とあると思っていた”タイミング”は、その後、しばらくないことに気がついた。
「そうなの。次は5月、10月、11月に機会が巡ってくる感じ。」
数字の並びからして、1と2と5以外の数字が含まれる「月」はそもそも論外なのだ。
「去年と今年は良いの。一番機会の多い2年間だから。ただし、その後は3年間繋がらないわ。さらに、その次を待とうとすると、なんと30年も待たなければいけなくて。そして、その次は50年という時間を要するの。」

そんなに貴重なタイミングで、僕はこの女性に出会ったのか。

そう思うと、僕に許されるタイミングはできる限りここに来て、彼女に会いたい。彼女のために写真を撮りたい、と思うようになった。データはその日のうちに渡したいからレタッチもここでやれた方が良いな、とか、余裕がある時は次のタイミングでも良いのかとか、頭の中では限られた時間でどう撮影するかの手順を早速組み立てていた。

「とりあえず、1日にくるよ。」
僕がそういうと、彼女はにっこりと微笑むと「ありがとう。」と言って、紅茶のお替わりを入れてくれた。すっかり話し込んで、もう手元の時計は午前4時を回っている。眠気も何処かに行ってしまったし、帰るまでに、ここに何回来れるか考えてスケジューラーに入れておこう。そう思って数字の組み替えにペンを走らせていると、彼女が少し真剣な声色で下を向いている僕の頭に話しかけた。

「あとね、もう一つの本題。帰る前に、あなたのスマホの中の写真を一つ、削除して欲しいの。バーで写真を見せてもらっているときに、見つけちゃったのよ。」

本当に困ったような表情で語り掛けられたので、僕はそんなまずいものを撮影したかと思い急に不安になった。酔っぱらった彼女を撮った記憶もないし、一体何のことだろう。

すると彼女は、手元のペーパータオルに、20211215…と書き始めた。

「うちの番地。偶然かな、写したでしょ。去年。」

FIN.


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